【弥生の句】
①夕光(ゆうかげ)のレンギョウ遺(のこ)る父祖の庭
② 禅の寺 籬(まがき)レンギョウ 昼下がり
③レンギョウの 散りし花筒 孫集む 《仲春の一日》
学校現場を離れて久しいので、3月の「その年度をまとめる」という発想から縁遠くなっているはずなのだが、今年度の場合、そうでもなかった。例年だと、弥生と聞くと、寒さはさて置き、日の出時刻が生活時間に近づいてきて、寒さ厳しい佐久の地でも、日一日と確かな春の訪れを感じて嬉しくなる。それが、そうではなかったのだ。
いくつかの要因がある。第一は、M教授のご厚意で、私の山中白亜系西域の地質研究を大学の紀要に載せてはというお誘いを受けて、取りかかったことである。苦労が伴うという覚悟はあったが、やはり学術論文としての最低レベルをクリヤーする壁を乗り越える必要があり、負担も大きい。日々苦しんでいる。
第二に、地学同好会の皆さんの総会兼研修会での講演を依頼されたことである。これは、3月に入ってからの突貫工事で「Power-point」にまとめ、当日は何とか乗り切った。緊張感はあったが、やり遂げたことへの満足感も残ったので、貴重な体験となった。
第三に、地域公民館長と地区公民館会計係の仕事があり、N地区公民館の集いの運営スタッフの仕事や、年度のまとめと引き継ぎの雑用があった。面倒ではあるが、この程度のプレッシャーには耐えられる。
第四は、例年の事とはいえ、年間の療養医療費請求と確定申告申告手続きなどが、今年の場合は少し複雑であったので大変だった。
第五は、私事になるが、1歳の孫の子守の必要があり、家内と共に奮闘した。
まだ、その気になって、老体に鞭打てば動ける状態であったので、何んとかこなすことができた3月ではあったが、私の散歩習慣の時間が削られ、孫と共に早く寝てはいるものの、普段より2~3時間早めの未明に起きて、論文に関する作業に取りかかることも増えたので、寝酒が復活してしまい、勢い酒量も増えてしまった。それで、「Sober-Curious」は、かなり破ってしまっていた3月ではあった。
ところで、忙しい中、我が家の庭に咲く「連翹(レンギョウ)」の良さに改めて気づいた。それで今月は、連翹(レンギョウ)を季語に、俳句を創作してみた。
【俳句-①】日が延びた夕方、黄色一色に咲き誇る連翹(レンギョウ)の力強く生きる事を訴えかけるような迫力に感動していた。それを遺してくれた父や祖父のことを思い出した。季語は、レンギョウで、春である。
春休みに帰省した孫が、黄色の花に気づいて、私に名前を聞いてきた。私は、レンギョウだと伝えると、「一年生が横断歩道を歩いているみたい」と感想を述べた。
自身は、4月から小学2年生になるのだが、
黄色の通学帽子を被って横断歩道を渡った時のことを連想したのだろう。確かに、ひとつずつの花の存在はあるものの、黄色のペンキを塗ったような統一性と、警告するような黄色のイメージが強い。
* * *
突然、話は飛ぶが、私は梅も桜も好きだが、どちらかを選べと言われたら、梅を選ぶ。遠目には、梅も桜も似たように見えるが、なぜか梅は近づいて一輪を見る。
咲く時期が、寒風の時期に、小児の「うてな」のような花を、けなげに咲かせるからなのか、一枝、一輪に目が向く。これに対して、桜(ヨメイヨシノ)は、なぜか油絵の具のひとタッチのように、全体に目が向く。花が散った時に、初めて花びらの存在に気づくのは、私だけの感覚なのだろうか。
そんな観点からすると、レンギョウは、桜とかなり似ている。そして、強烈に黄色をアピールするのは、桜以上かもしれない。日中も、夕闇せまる頃も、存在感を示している。
少し疲れて、落ち込んでいた時、「しっかりしろ!」と、父から叱責されたような気がして、レンギョウを遺してくれたことに感謝しつつ、庭を眺めた。
【俳句-②】参道の一部に、両脇にレンギョウを籬垣(ませがき)にした禅寺がある。四季のいずれの時期に訪れても風情を感じるが、早春の華やかさを具現させてくれた。季語は、レンギョウで、春である。
年間を通じ、杉や欅の巨木に覆われた寺山は、遠くからでは、伽藍の様子がわからない。
しかし、山門をくぐり、参道の階段を登れば、次第に仏門の世界に入っていく。
苔の参道を経て、本堂へと通ずる広場に出ると、レンギョウの真っ黄色の色彩が飛び込んできた。
まさに、春爛漫である。
【俳句-③】孫(1歳11ヶ月)が、意味不明な言葉で尋ねてきた。白く変色したレンギョウの花筒を拾い集めてきたので、元の花はここだと伝えたやりとりを詠んだ。同時に、私自身、花筒が白く変色することに気づかされ、驚いた。
季語は、レンギョウで、春である。
幼児は、万物に興味があり、何でも手で摘まみ、私に見せる。特に、幼児の視線は低いので、大人が見落としている地面には、様々な新発見がある。
孫が、レンギョウの花筒(合弁花なので全体が残る)を集めていた。何かと聞くような雰囲気であったので、元は黄色の花のレンギョウだと教えたが、実のところ、レンギョウの花が散るようになると、変色して、鮮やかだった黄色が失せていることなど、私は知らなかった。
改めて、花のつくりを見直した。調べて見ると、花びらは4弁あるが、合弁花で、花の下は筒状になっている。それを支える「がく」は、きれいな緑色の4裂で、英国ではレンギョウのことを「Golden bell」と呼ぶ名前の由来だと知った。原産地は中国だが、日本へは平安時代に伝えられていて、すっかり日本の花として位置付いている。
高村光太郎が愛した花だそうで、命日の4月2日が、連翹忌となっている。
前述の梅と桜の話題もあったが、どちらかというと、一花に目が向かずに、全体の黄色に関心が向いていたが、花の「ウンチク」を知ると、父が大切にしていたことと共に、味わいのある花だと改めて意識した。
【編集後記】
令和6年度の俳句は、この3月で終了となる。退職後の3年目、平成28年5月から「前山みゆき会」に入り、途中2ヶ月ほど入院のために俳句を作らなかった時はあったが、ここに丸10年の足跡が残せた。コロナ禍で、会が中止になったこともあったが、個人的には俳句の創作を続けてきたので、欠けた月は、計3ヶ月である。
今年度は、「前山みゆき会」が、実質6月から休会となり、7月から正式に解散したので、それ以降は、先輩諸氏のご意見や批評をもらうことなく、独力で創作してきた。
代わりに、昨年から、佐久俳句連盟に入会し、年に1~2度の俳句会や、吟行会に参加しているが、私のレベルとは段違いで、毎回、挫折感を抱いては、気落ちした何日かを過ごすことになる。もともと、自信などあるわけでは無いが、それでも、自分の俳句の評価に1票も入らない現実を目の当たりにすると、劣等生の気持ちの一端が理解できたような心境になる。思えば、私もそんな思いを、彼・彼女らに味合せて教師を30数年間も続けてきたのかもしれないなあと回顧した。
ただ、私の場合、そう長くは悩まずに、俳句を題材にしたエッセイのような文章を書くことを趣味として割り切ることにしている。私の人生の日記帳ならぬ、月記帳と思えば、生きた証を綴ることなのだと独り合点している。ちょっと図々しいかな?
今季の佐久は、本当に雪が少なかった。雪かきをしたのは、数える程度で、しかも、雪はその日の内に消えてしまった。雪かきをして道の端に集めた所だけが残る。これなら、何もしないでそのままにしておく方が、寧ろ、良く雪が解ける。一方、県の北部や日本海側では大雪で、浅間の峰峰は、強い季節風で雪雲が流されてきて積雪となった。
だから、麓の光景と冠雪は、どこか違和感がある。
気がつけば、四月を迎えている。今年は、まだ、一度も畑仕事に出かけていない。周囲の田畑は、春ぶち(春耕)が済んで、日々、畑も水田も着々と作業が進んでいる。
まだ、例の論文の方が、なかなか進まず、もんもんとしている。(おとんとろ)