NOTE始めました 自己紹介~前編~
どうも、こんにちは。
プロスノーボーダーのチバマナトです。
YoutubeだったりSNSだったりと色々な物を活用して自分の滑りだったり有益な事だったりを発信して活用しているのですが、自分は昔から文を書くのが意外にも得意というか好きなので”NOTE”という媒体を用いて何かいろんな記事だったり日々の事を発信していけたらと思います。
更新したら各SNSには載せますがフォローしていてくれたら嬉しいです。
最初の投稿なのでざっくり自己紹介的なところから。
・スノーボードとの出会い
自分は18歳くらいの時に地元の友達に連れられてスノーボードと出会い、そこから自分だけハマってその年にはもう1人で行っちゃうくらい沼に浸かっていた。
何でこんなにのめり込んでしまったのか分からないけど、あの非現実感や雪山のピリっとして冷たい空気感、ピーカンで真っ白な幻想的で少しエモーショナルなそんな雰囲気にやられてしまったのかもしれません。
・専門学校時代
そんなこんなでスノーボード沼にどっぷりつかってしまい翌年にはスノーボードの専門学校 ”ヒューマンアカデミー”に通うことに。
今思えばスノーボードを学校に行って学ぶなんて、、、と思うかもしれませんが当時はそれくらいプロスノーボーダー、ライダーというものへの憧れが強く最短で上手くなれるならという思い一心で入学。
しかし言うても学校は学校。
様々な規則やスノーボードだけをしていれば良いというものでも無く、そもそも中学ですらまともに通っていなかった不良少年は専門学校にもちゃんと通えるわけがなく座学の授業はサボリがち、今は亡き室内ゲレンデ ”スノーヴァ溝の口” での滑走授業も日に日にダルくなっていた。
いざ冬が到来して学生の仲間達とようやく籠り生活を迎えれる。
初めての雪山籠りというものにテンションは最高潮。
と思っていたのですが籠り始めて2週間程度で授業外の自由時間にキッカーで足首を盛大に捻挫。
下山を余儀なくされた。
せっかくの初籠り、そして雪山で毎日授業を受けれるチャンスというのを逃し当時はかなり凹んでいた。
同級生達がどんどん上手くなっていくのをSNSで指を加えて見ているしかなかった。
・ライダーになるまで
凹んでいても仕方がないと思い怪我が治ってからは切り替えて、たまにスノーヴァ溝の口や新横浜へオフトレしに行ったり過ごす。
そうこうして次の籠り先を考えていた時に知人から赤倉のホテルでの仕事を紹介され冬は妙高で籠る事を決意。
そこから先は書き綴ると5時間以上はかかってしまうような数多くの出来後があるのでまた後日ということで詳しくは割愛。
赤倉パス 1年
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妙高3山パス(赤倉・池の平・杉ノ原) 1年
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池の平 2年
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妙高3山(赤倉・池の平・杉ノ原) 3年
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杉ノ原パス~現在まで
といった感じで約15年妙高の地で冬を過ごしております。
肝心のライダーになったタイミングというのが25歳?くらいのタイミングでとある町田の某ショップにてショップライダーになることが決まる。
経緯はそこのショップがライダーを募集していて友達の紹介で連絡してみることになり、そこから話が上手く進んでライダーになれたという感じ。
当時は本当にいち早く”ライダー”という肩書が欲しいだけの若造だったので右も左も分からず”ライダー”になれるなら!という思いで連絡したものの理想と現実のギャップというのに悩まされたりもしましたね。
当時からMA7TVというチャンネルで自分や周りの友達と初期のGoProを駆使して撮影を行いそれをアップしたり、ジブやジャンプの大会に出たりと駆け出しのライダーみたいな活動はしていました。
その時はまだあまりYoutubeというのがメインストリームではなく、スノーボード系Youtuberといえばタカト君の”P-can factory”かDoggyさんの”W.O.W”かみたいな感じでしたね
と言うことで自己紹介前編は終了。
後編はライダーになってから現在に至るまでの話などしていこうと思います。
それではまた!