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盛岡市マガジン(不来方)

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東北盛岡の風景写真です、よろしくお願いいたします。
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記事一覧

岩手山:盛岡

岩手山は見る方向を変えると南部片富士と言われます。

岩鷲山(岩手山)

銀白檀塗合子形兜(ぎんびゃくだんぬりごうすなりかぶと)

福岡藩の藩祖・黒田官兵衛(如水)が戦場で用いたとされる兜のこと。 これは「如水の赤合子」と呼ばれ、敵にとても恐れられたと伝わっています。盃やお椀をひっくり返したような形をしたあの兜です。 うるし塗りで施されたこの赤合子。もともとは独特な艶のある鮮やかな 赤褐色のものだったそうですが、現存する実物をみるとかなり痛みがひどく、時折補修をおこなっているようで、色調にもムラが目立っています。 岩手県盛岡市、もりおか歴史文化館に所蔵されている。 口の広がった椀を臥せた形状の兜で、鉄地に

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岩手県盛岡市:銀白檀塗合子形兜

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岩手県、盛岡城

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岩手県:岩手山(岩鷲山)、南部富士

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盛岡市:旭橋から見た岩手山(岩鷲山)

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岩手県盛岡市:どんど晴れ=めでたしめでたし

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大島高任生誕の地:盛岡市仁王 活躍の地:釜石橋野

岩手県:原敬

1921年(大正10)年11月4日の午後7時20分頃、原敬首相は京都で開かれる政友会の京都支部大会へと向かうべく、東京駅へ到着します。 一等待合室でしばしの間休憩した後、電車の発車時刻が迫ってきたために 東京駅長の案内で見送りに来た各大臣とともに待合室を出て、中橋徳五郎 文部大臣と談笑しつつ改札口へと進んだ頃、突然、群衆の中から飛び出した絣の着物に鳥打帽をかぶった24〜5歳と見える書生風の男性が、刃渡り 約15センチの短刀を原首相の右胸に深々と突き刺しました。 原首相は一言も

原敬別邸跡:圓通神社

原敬 安政3年2月9日 〜 大正10年11月4日 (1856年3月15日 〜 1921年11月4日) 出身地 岩手県 職業・身分 ジャーナリスト 、 政治家 、 首相 別称:一山、逸山 父は南部藩士。苦学の末、明治9(1876)年司法省法学校に入学。 12年に退学後、『郵便報知新聞』、『大東日報』の記者をつとめる。 外務省入省を契機に官界へ転進。外務次官などを歴任。 30年9月、官界から引退するが、伊藤博文を中心に結成された 立憲政友会に参加。35年衆議院議員に初当選。以後連