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サイクル ロードレース コラム 2025年2月2日

移籍後初レースのピドコックが中東のステージレースを制す 第5回アルウラー・ツアーで自身初の総合優勝を達成【Cycle*2025 アルウラー・ツアー:レビュー】

サイクルロードレースレポート by 山口 和幸
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アルウラー・ツアー

エリートレースで初めて総合優勝したピドコック

サウジアラビアを舞台としたアルウラー・ツアーが2025年1月28日から2月1日まで開催され、スイス登録の第2カテゴリーチーム、Q36.5プロサイクリングに移籍したトム・ピドコック(英国)が総合優勝した。上り坂が組み込まれた第2ステージと第4ステージで独走し、大会2日目に手中にした緑色のリーダージャージを、横風が吹き荒れた最終日ではチーム一丸となって守り抜いた。

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南半球の猛暑、欧州の寒さは別次元のもの。気温20度ほどで、スポーツするにはちょうどいい気象条件のもと5日間のステージレースが始まった。第1ステージは距離142.7kmの平坦路で、ステージ優勝したスプリンターが総合1位になることは明白だった。その予想通りに、欧州チャンピオンジャージを着るスーダル・クイックステップのティム・メルリール(ベルギー)がUAEチームエミレーツ・XRGのフアン・モラノ(コロンビア)を制してレースが動き始めた。

メルリールは2024アルウラー・ツアーで2つのステージを制しているので、大会通算3勝目。総合首位のグリーンジャージも獲得した。

この日はスタートしてすぐに6人のアジア勢が集団から抜け出すことに成功した。カザフスタンのアレクサンドル・ヴィノクロフ(XDS・アスタナ チーム)、サウジアラビアナショナルチームのアル・アブドゥルムニムとアル・クライフ、日本の山本大喜(JCL TEAM UKYO)、マレーシアのモハンマド・ロスリ(トレンガヌ・サイクリングチーム)、タイのティマチャイ(ルージャイ・インシュランス)だ。

先頭の6人は5km地点で1分35秒の差をつけた。スプリンターを擁するジェイコ・アルウラー、チューダー、スーダル・クイックステップが追撃を開始したが、5km後には2分10秒の差をつけた。山本としては2024年の岡篤志に続いて、4つのリーダージャージのひとつ、アクティブライダー賞を狙いに行ったが、最終的にはマレーシアのロスリに奪われた。それでも山本は最後まで逃げて、残り約15kmで集団が再びひとつになるまで善戦した。

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【ハイライト】アルウラー・ツアー 第5ステージ|Cycle*2025

それからはスプリンターチームのコントロール下で、集団は最後の瞬間までコンパクトなままだった。残り5kmで、ステージ優勝候補のアレクサンダー・クリストフ(ウノエックス・モビリティ)とアーヴィッド・デクライン(チューダー)がクラッシュで転倒。スーダル・クイックステップのチームメイトにうまく先導された32歳のメルリールは、早めにスプリントを開始し、シーズン初、キャリア51回目の勝利をものにした。

メルリールが第1ステージ優勝

メルリールが第1ステージ優勝

第2ステージはアルウラー・オールドタウンをスタートし、新登場のゴールであるビルジェイダ・マウンテンウィルカを目指した。ステージ後半は2周回するコースを取り、平均勾配9.2%、最大勾配15%という2.9kmの上りを3回上る予定だった。ピドコックが勝負を仕掛けるポイントとして満を持していたのは容易に想像できる。

2021年に開催された東京五輪、2024年のパリ五輪ではマウンテンバイクで金メダルを獲得したピドコック。地元英国のイネオス・グレナディアーズに別れを告げ、電撃的に移籍したQ36.5プロサイクリングチームのユニフォームを着ての初レースだ。ピドコックは最後の上りをうまく利用し、残り500mからアタックを決めて後続を振り切った。ライナー・ケップリンガー(バーレーン・ヴィクトリアス)とマウンテンバイク世界チャンピオンのアラン・ハザリー(ジェイコ・アルウラー)を抑えてゴールラインを越えた。今シーズンのこの初勝利により、ピドコックは総合首位に立つことになり、総合リーダーのグリーンジャージを着ることになる。

アルウラー・ツアー

旧市街をスタートした第2ステージ

この日は絵のように美しい迷路のような旧市街から118選手が出走。スタートしてすぐにJCL TEAM UKYOのシモーネ・ラッカーニ(イタリア)、ロスリとアブド・ハリム(トレンガヌ)、ティマチャイらの5人が集団から抜け出し、77km地点でその差は3分20秒になった。後続集団はQ36.5、ジェイコ・アルウラー、ピクニック・ポストNLの3チームがペースメークしてその差を詰めていった。

周回コースに入り、ラッカーニが1回目のフィニッシュライン(103km)を先頭で通過したが、下り坂に砂利が多く、選手の安全上の懸念から、レースの距離を短縮する決定が下された。最後の周回コースは2周から1周に変更され、さらに下り坂はレースをニュートラル化してペースを制御。下りきってから先頭選手とメイン集団との差を従来のタイム差に調整してレースを再開。残り5kmで先頭は28秒のリードで、最終的にゴールから3km手前で追いつかれた。

最後の上りで、ラファウ・マイカ(UAEチームエミレーツ・XRG)が激しいペースを設定し、数人のライダーだけが追従した。ケップリンガーが最初にアタックしたが、決定的な動きが見られたのは残り500mでピドコックが攻め込んだときだった。最後の300mで引き離し、ケップリンガーに4秒、2024年のUCIマウンテンバイク世界選手権でピドコックに勝っていた南アフリカのハザリーに7秒の差をつけて勝利を収めた。

アルウラー・ツアー

第2ステージに続いて第4ステージを独走勝利したピドコック

ピドコックは、2022ツール・ド・フランスのラルプデュエズ優勝や2024年のアムステルゴールドレース優勝に続き、プロロードレースでキャリア6度目の優勝を果たした。同時に総合リーダーのグリーンジャージを獲得。総合2位ケップリンガーに8秒差をつけた。ピドコックはポイント賞でもトップに立った。

アルウラー地域の古代の美しさを巡る第3ステージは、メルリールがオランダのナショナルチャンピオンジャージを着るディラン・フルーネウェーヘン(ジェイコ・アルウラー)を制して第1ステージに続いて優勝した。メルリールは大会通算4勝目。フルーネウェーヘンの3勝を上回って単独首位に立った。レースは3日連続で日本のJCL TEAM UKYOが第1集団に加わった。小石祐馬と山本がアタックしてメイン集団から抜け出すことに成功。山本はこの日も終盤に単独になるなど積極性を見せつけた。

アルウラー・ツアー

メルリール(左)がフルーネウェーヘンを撃破

総合成績ではピドコックがその座を守った。ピドコックはゴール前でパンクして遅れたが、ゴール手前3kmを切ってからのアクシデントは救済されるというルールに救われ、1位選手と同タイム扱いになり首位を守った。

第4ステージはアルウラーの自然の風景を映し出す世界最大の鏡張りの建物の前からスタート。ゴール手前には平均勾配17%の坂が4km続く坂があった。ピドコックはゴールまでのこの上りの途中で集団を抜け出し、ゴールまでの非常に長い直線で向かい風が吹いたにもかかわらず逃げ切った。最終的にハザリーとケップリンガーに12秒の差をつけてゴールし、残り1ステージを残して総合2位ケップリンガーに29秒差をつけた。日本勢はこの日もJCL TEAM UKYOの小石が第1集団に加わってその存在感を示した。

最終日の第5ステージはキャメルカップトラックをレース後半に周回する距離169.6km。サウジアラビア王国とアラブ世界の文化史に根ざした伝統的なラクダレース専用のトラックとそこに至るルートは強風が吹き荒れた。砂漠の罠はリーダーシップの行方を左右するほどの存在だった。

アルウラー・ツアー

全ステージで逃げに加わったJCL TEAM UKYO

中東のレースは強風に悩まされることがあるが、最終日はまさにその通りになった。レース序盤からエシュロンと呼ばれる横風による集団の分断が発生し、リーダージャージを着るピドコックを守り抜きたいQ36.5プロサイクリングチームが警戒感を強めた。レース前半の平均時速は50km。Q36.5チームはマッテオ・モスケッティ(イタリア)を含む5選手がピドコックを守り抜き、最後の1時間で先頭グループは35選手に絞り込んだ。総合成績で29秒遅れのケップリンガー、32秒遅れのハザリーはこの時点で第1集団にはいなかった。ピドコックの初優勝はこの時点で決定的となった。

日本から参戦したJCL TEAM UKYOはこの日もニコロ・ガリッボ(イタリア)が攻撃を見せた。全5ステージで第1集団に選手を送り組む積極的な動きを見せたが、「上出来だけど、ここからスタートします。選手だけじゃなく、みんなが成長して強くなる必要があります」と片山右京代表。その思惑としては、ツール・ド・フランス主催者が運営するこのレースで存在感を示し、2026年以降にUCIプロチームに昇格した際にワイルドカード出場枠を獲得したいというものだ。

そして最終ステージのゴールは、総合優勝を確実にしたピドコック自身が最後のスプリント勝負でリードアウトを開始し、アシスト役を務めたモスケッティの勝利に貢献した。2024年7月のトレーニング中に激しい事故を起こしたモスケッティにとって非常に感動的な勝利となった。

アルウラー・ツアー

アシストを務めたモスケッティが復活勝利

「信じられない。なんという1週間だったんだろう」とモスケッティはゴール直後にコメントした。
「チームの目標はトムを安全に保つことだった。チームが今週してあげたすべてのことをトムは最後に報いてくれた。トムとチーム全員に感謝しなければならない。スプリントを開始したとき、私はコース脇のバリアに非常に近かったが、いいスピードで抜け出し、最後の数mで先行していたモラノを追い抜いた。昨年は非常につらい時期を過ごしたが、今日は信じられない」(モスケッティ)

ピドコックは、風が総合順位のライバルたちに大打撃を与えた厳しい最終ステージを終えて胸をなでおろし、チームメイトを称賛した。「まるでおとぎ話のようで、ちょっと感傷的になってしまった。彼らにとってそれがどれだけ意味のあることか、そしてこのように締めくくることができたことは信じられない。今日、僕たちはチームとして走った。12月までどんな選手かを知らなかったし、1月に初めて会った選手もいた。そんな僕たちが一緒につかんだものは、ただただ信じられない」

ピドコックにとってキャリア通算8回目の優勝だが、エリート選手としてステージレースで総合優勝したのは初めてだ。

「正直に言うと、この総合優勝は僕のキャリアにとって大きな一歩だ」とレース終了後にピドコック。「この条件でリードを守るには集中力が必要だった。ワールドツアー大会ではないし、たった5日間だったけど、どれだけ難しいかはわかっている。大きな一歩だ。今の気持ちをうまく表現できない。レッドブルが翼を与えてくれるように、Q36.5もそれを与えてくれた」

文:山口和幸

代替画像

山口 和幸

ツール・ド・フランス取材歴25年のスポーツジャーナリスト。自転車をはじめ、卓球・陸上・ボート競技などを追い、日刊スポーツ、東京中日スポーツ、Number、Tarzan、YAHOO!ニュースなどで執筆。日本国内で行われる自転車の国際大会では広報を歴任。著書に『シマノ~世界を制した自転車パーツ~堺の町工場が世界標準となるまで』(光文社)。2013年6月18日に講談社現代新書『ツール・ド・フランス』を上梓。青山学院大学文学部フランス文学科卒。

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