第90話 「何だそれ、はコッチのセリフすぎる」
綾子は拉致されてから現在に至るまでの、ここ十分ほどの出来事に現実感が伴っていないのか、挙動不審にフラフラしている。
落ち着かせた方がいいようにも思えるが、下手に自身に何が起きたかを認識させてしまうと、ショック状態に陥る可能性もありそうだ。
そうなると連れ帰るのが面倒になるので、綾子のフラつき感は放置する。
「えぇと……弟くんは怪我とか、してない?」
「問題ねぇですよ。こういうの、慣れてるんで」
「慣れてるんだ……」
手首を回して言えば、綾子はリアクションに迷った様子で鸚鵡返す。
実際には、ちょっと派手すぎる動きをしたせいか、右肩と左肘に違和感が。
準備運動なくスタントマンめいたムーブをするには、この体は貧弱すぎる。
そろそろ本格的に鍛え直しておかないと、どこかで致命的なミスに繋がるかもしれない。
「あいつらも、その……ストーカー? の仲間、だったのかな」
「いや、あの二人は金で雇われただけっぽい」
「警察に連絡しないで、放っといてよかったの?」
「よくもないけど、アレが捕まっても黒幕は野放しだよ。それに警察沙汰になったら、高確率で綾子さんが事件に巻き込まれてるとマスコミにバレる」
何か反論しようとする綾子だが、たぶん俺の言う通りになると悟ったらしく、溜息を吐いて項垂れた。
有名アイドルグループを脱退した元メンバーに奇妙なトラブルが、となれば世間は興味津々で事情を知りたがる。
となれば、マスコミは嬉々として綾子の個人情報を掘り返し、食い散らかす。
「とにかく……助けてくれて、ありがと」
「守ってくれ、って頼まれたからな。姉さんに」
しかし、こういう状況を避けるため避難させるハズだったのに、鵄夜子は何をやってるんだ。
アテが外れたから予定を変更するのは仕方ないとして、自宅はないだろう。
どうしてこうなったか、両こめかみを片手で揉み解しつつ綾子に訊く。
「で、どっかに避難するって話が、どうしてウチに来ることに?」
「それが……シィさんに連れられて、匿ってくれるって人のとこ行ったんだけど……何かダメになって」
「何か、って何なんだよ」
「ゴメンね、よくわかんない。そこの家主の人とシィさんが二人で話してたんだけど、それが終わったら『やっぱナシで』みたいになって」
説明されてもサッパリだが、報酬の交渉で揉めたのだろうか。
或いは現地に行ってみて、安全性が確保できないと判断したのかも。
鵄夜子のことなので、深く考えずに知り合いを頼ったら想像以上に頼りなかった、みたいな脱力オチもあり得そうだが。
「まぁ、詳しいことは姉さんから直で聞くか」
「そういえば、シィさん一人にしちゃったけど……大丈夫かな」
「誘拐犯の仲間もいないだろうし、たぶん平気でしょ」
テンパッて110番に通報されてると、ちょっと面倒だが。
そんなことを思いながら家の前まで戻ると、門の前に姉とデカいのがいる。
あのドタバタの中で状況を察し、芦名は鵄夜子の傍にいるのを選んだか。
見かけによらず機転が利くというか、パワー系なのに頭の回転が早い。
そして、そのギャップもまた武器になっている、と言えそうだ。
「はー……キミも苦労してんだねぇ」
「まぁ大変は大変で。自業自得って言われたら、それでおしまいだけど」
「だけどさぁ、勝手にハンコ使われて知らん内に連帯保証人にされるとか、そんなの避けられなくない?」
「マジ焦るよなぁ。法律の隙を見事に衝かれた感じで」
いつの間にか、芦名に人生詰んだ感じの設定が生えているのだが。
ホントかよ、と目顔で問えば、フイッと目を逸らしてくる。
その直後、コチラに気付いた鵄夜子が慌てて駆け寄ってきた。
「あっ、アヤちゃん! 大丈夫なのっ!?」
「うん……心配かけてゴメン」
「そんで荊斗っ! どうしてあんな無茶をっ!?」
「イケるんじゃないかと思ってやったら、意外とイケたんで」
「意外とイケた、じゃないんだよっ! 犯人はっ!?」
「あー……ドア蹴りまくりながら怒鳴ってたら、ビビって綾子さん置いて逃げた」
俺の返事に「えっ?」という顔で綾子が見てくるが、訂正まではしてこない。
自分が動ける理由は、いずれ鵄夜子に説明しておく必要があるだろう。
しかし、今の混乱した状況でやったら、高確率でワケがわからなくなる。
安心して気が抜けたのか、クソデカ溜息を吐いた後にしゃがみ込んだ鵄夜子に、綾子が抱きついて小声で語りかけている。
間に割り込むのも何か違う気がするので、俺が車に飛び乗ってからの流れを芦名に訊ねる。
「アンタと俺の関係、姉さんにどう説明したんだ」
「去年ゲーセンで知り合った、俺の格ゲーの師匠的な存在って設定に」
「無駄に凝った設定を出すなよ……流行りの格ゲーっていったら『スト2』か『餓狼伝説』あたりか?」
「何だそれ? 人気なのはやっぱり、『デンブラ』か『タマコロ』だろ」
「何だそれ、はコッチのセリフすぎる」
俺の返しに、芦名は軽く首を捻る。
どちらも略称なんだろうが、何をどう略したのかもわからん。
どうやら俺の知っている前世の人気作は存在しておらず、まったく知らないゲームが流行っているようだ。
「それで、ウチに来た理由はどんなだ。何か連帯保証人とか聞こえたが」
「えぇと……俺は田舎から上京して、先に東京に出てた地元の先輩のアパートに居候してたんだが、そいつがヤベェとこから借金してバックレた。そんで、その先輩が勝手に印鑑使って俺を連帯保証人にしたんで、全力で逃げてる最中……とかそんな感じでよ」
「だから、イチイチややこしいんだよ設定がっ!」
とはいえ、咄嗟に嘘プロフィールを組み立て、一応は鵄夜子が信じる程度に話を盛れるとは、やはりハイスペックなのだろう。
「で、逃げても行く当てがないから、前に庭にガレージがあるって言ってたお前を思い出して、しばらく住ませてくれないか頼もうとした、って想定な。庭を見てて思い付いたんだけど、あそこのアレはガレージでいいんだよな?」
「車はないけどな。しかしまぁ、何だかんだ辻褄は合ってる……のか? しょうがねぇ、そのセンで押し通すか」
「おっ、雇ってくれんのか、俺を?」
「おう。まずはアッチのゴタゴタの処理だ……ちょっと待ってろ」
少し落ち着いたのか、立ち上がってボンヤリしている鵄夜子と、その横で手を握っている綾子に声をかける。
「ウチのリビングで、改めて作戦会議だ。二人とも先に行っといて」
「うん……荊斗は、何かあるの?」
「芦名と、ちょっと話があるんでな。そんなに待たせないハズだ」
鵄夜子と綾子が屋内に入るのを見届けてから、俺は倉庫へと向かう。
ロフトのガラクタの中にある、半端なサイズのダンボールの山。
そのいくつかに、雪枩の屋敷から持ち出した諸々が隠してある。
ビデオと一緒に突っ込んである札束を三つ抜き出し、少し考えてから一つ戻して芦名のところに戻った。
「詳しい説明は改めてするが、とりあえずアンタに任せたいのは、ウチの警備と運転手だな。免許は?」
「大型まで取ってる」
「謎の堅実さを発揮してんな……まぁ、あればあるで役に立つだろうが、今は普通免許の範囲でいい。状態良ければ中古でも構わんから、コイツでライトバンとかワゴンとか、そういう感じのを用意してくれ。お前の寝床にもなるから、デカめのサイズにしとけよ」
二百万をポンと渡すと、「多くないか」と言いたげに芦名は見返してくる。
「残った分は初任給だ。手取りを多くしたくて廃車寸前のポンコツを買う、とかそういうのはナシでな」
「そこらは心得てる。これだけはダメだ、みたいな色や車種はあるか」
「修理が面倒なアメ車とか、悪目立ちするファイヤーパターンとかはNG」
「了解した。アメ車はともかく、トンチキなペイントは俺もしんどい」
急ぎ足で出て行った芦名を見送り、家の方へと踵を返す。
このまま帰ってこない率も結構ありそうだが、その時はその時だ。
他には、貞包や洪知会など、俺に遺恨がある相手が送ってきたスパイって可能性もなくはない。
もしそうだったとしたら、逆に利用する手段は何通りもある。
とはいえ裏切られると対処が面倒なので、普通に働いてくれるのが一番ラクだが。