第068話 白樺寮の窓辺に
考えてみれば、キャロルを一人行かせたところで、なんだかんだ気が気でなかったかもしれないわけで、有利な条件で出陣できることになったというのは、僥倖かもしれん。
そう考えよう。
ポジティブに考えよう。
とはいえ、急ぎ知らせておかなければならない人に、何人か心当たりがあった。
俺は王城を出てまっすぐに本社へ向かうと、カフを呼ばせた。
「どうした」
寝不足なのか、だるそうな顔で階段を降りてきた。
「ハロルを呼んでくれ」
「やつは荷降ろしで忙しいが、緊急事態なのか」
ああ、そうだった。
ハロルは荷の搬入で忙しいのだった。
船の積み荷の全てを把握しているのはハロルだけだから、ハロルがいなくなったら作業が止まってしまう。
考えてみたら、明日明後日に出発というわけではない。
それほど焦る必要はない。
「いや、やっぱりいい。終業時間になったらすぐ呼びつけてくれ」
「わかった。ここで待たせておこう」
***
というわけで、社のほうはひとまず置いて、学院にやってきた。
「さて、と」
俺は白樺寮の近くまでくると、森のなかに入り、顔に布を巻きつけた。
森のなかで適当に枯れ枝を拾いながら目的の場所までゆく。
目的の場所とは、シャムとリリー先輩の部屋の下である。
彼女らの部屋は二階なので、一階の窓から悟られないように、森の中から枯れ枝を投げる。
慣れたもので、パコンパコンと窓にぶち当たった。
百発百中とはいかないものの、建物は石なので、窓を多少それても、それほど大きな音は出ない。
そのうち、窓が開いて、リリー先輩が顔を出した。
森の際から顔を出している俺を見ると、踵を返して窓辺から消えた。
そのうち、玄関のほうからリリー先輩が走ってきた。
「えっと、急がせてしまったみたいで……」
なんだか悪いことをした気分になった。
「はぁはぁ……いや、なんの用」
やべぇすごい息切らしてる。
運動が得意な方ではないしな。
なんで走ってきたんだろう。
「えっと……あれ、シャムは?」
「はぁはぁ……今日は補習や」
補習か。
じゃあ諦めたほうがいいか。
「リリーさん、今お忙しいですか?」
「ふぅ……」
リリーさんはハンカチで汗を拭った。
「大丈夫やよ」
「じゃあ……ちょっと喫茶店でもいきませんか?」
「いいね~」
部屋に篭っていたせいで外出に飢えていたのか、もしくは単に疲れを癒やしたかったのか、リリーさんは晴れ晴れとした表情で快諾した。
「それじゃ、どうします。リリーさんが先に行ってますか?」
最近は本社で会うことが多いが、学院近くの喫茶店などを使う場合、リリーさんは時間差をつけて待ち合わせするのを好んでいた。
「いや、あれはもうええよ」
「えっ」
「ええんや、もう」
もう卒業も近いから、寮内政治についてはどうでもよくなってきたのかもしれないな。
別に、多少立場が悪くなったところで、卒業できなくなるわけでもなければ、殺されるわけでもない。
「じゃあ、いつものところで」
「うん」
いつもの喫茶店というのは、大図書館近くの個室のある喫茶店のことだ。
銀杏葉という。
店の名前など普段は覚えない俺でも、出版関係でピニャだのコミミだのと会うたびに使っているので、店名も覚えてしまった。
それどころか、ツケまで利くようになっている。
二人でトコトコと歩いて、銀杏葉に向かう。
途中ですれちがった教養院の生徒が、こちらをジロジロ見てきた。
俺がリリーさんと歩いているのが、よほど気になるようだ。
騎士院の生徒は、俺の顔見知りとすれ違っても、冷やかしてくるように笑うだけだが、教養院の連中は好奇心剥き出しといった感じで見てくる。
なんとなく、リリーさんが噂が立つのを嫌がっていたのが解る気がした。
上級生である今ならともかく、出会った当時のリリーさんでは、噂が立てられたら寮内で立場がなくなっていたのかもしれない。
周りをはばかって、俺たちは特に会話をすることもなく、銀杏葉に入った。
ドアを開けると、ドアについているベルが聞き慣れた音でカランコロンと鳴った。
「あ、どうも~。個室ですか? 空いてますよー」
もう慣れたもので、最初から個室に案内された。
「よろしく」
と、入ってゆく。
席に座ると同時に入ってきた従業員に、注文を出した。
ふたりとも、いつも注文するメニューだった。
「相変わらず酒は飲まんの?」
「二十になるまでは酒は毒という説の信奉者なんですよ」
さすがに、この年齢にまでなれば、少しくらい飲んでも悪影響などないような気もするけど。
「お固いなぁ」
リリーさんは茶化すように言った。
「そういえば、例の発明品はできましたか」
「ついさっきできたんや」
と、リリー先輩はポケットから布にくるまれた金属の塊を出した。
「お借りしますね」
断ってから、それに手を伸ばす。
金属の塊のようなものは、持ってみると軽く、中が空洞であることが解る。
上下を分けるスジが入っていて、それを開くとぱっくりと2つに割れた。
中には器具が備わっていて、細い荒縄のようなものが穴の開いた薄板でシールドされていて、その横に点火器がついている。
ライターだ。
今までは、こういった着火具を作ることはできなかった。
なぜかというと、揮発性の高い液体燃料が存在しなかったからである。
植物や動物の油にいくら火花を散らしたところで、火はつかない。
しかし、石油の分留がまがりなりにもできるようになると、こういう活用の道ができた。
ただ、これは俺の知っているライターの二倍くらいの大きさがある。
手にようやく収まりきるかどうか。という感じだ。
これには火打ち石の性能がからんでいて、このライターはヤスリ歯車で火打ち石をガリガリ削って火花をだすわけだが、大きくしないと火花の量が足りないのだ。
そのせいで、着火器が巨大化してしまい、こういうことになった。
つまりは素材的な問題によるもので、現行の技術では解決は難しい。
その問題は承知済みだったので、大きさについては不満はなかった。
力をいれてガリッと火打ち石を削ると、芯が着火して適切な大きさの炎が現れた。
立派なライターであり、火打ち石で火付けをする大変さを知っている俺からすると、ちょっとした感動すら覚えた。
「さすがやなぁ。鍛えとるだけあるわ。私がやってもなかなか火がつかなかったんに」
力が弱いと着火が悪いのか。
それは問題がある。
「火花の出がいい火打ち石を考えないと、難しいかも知れませんね。歯車のヤスリ目の入れ方とかに若干の工夫の余地があるかもしれませんが」
「そうやなぁ」
「それで、一個いくらくらいになります」
「金貨一枚……売るとしたら二枚か」
金貨一枚……。
なんとも高いな。
「そんなにしますか」
「ケースは銀なんや」
銀。
いま見て気づいたが、鉄とは輝きが違う。
ああ、銀なのか。
「鉄じゃどうにも、そういうポケットみたいな加工をすると裂けてもうてな。かといって、銅だの鉛だの使うわけにはいかんやろ」
金属というものは、もちろん柔らかいほど加工がしやすい。
しかしあまりに柔らかい素材を使うと、肩の高さから落としただけで破断したり、オイルの補充を何回かしているうちに口が広がってしまったり、という欠陥が現れてくる。
それどころか、鉛ほどに柔らかいと、ライターの火程度の温度でも溶けてしまう。
プレス加工などができればよいのだろうが、そういう設備もない。
その点で、銀というのは強度的な妥協点なのだろう。
「まあ、金貨一枚なら買う人もいるでしょう。ギリギリ」
富裕層であれば。
タバコはこの国にはないから、持ち歩きはしないだろうが、枕元のランプに火をつけるなどの用途に便利ではある。
必須のものではなくても、箔をつける意味で欲しがる人々はいそうだ。
銀製と銘打てば高級感も出るだろうし。
「ま、そうやな」
「なんだったら、リリー先輩のご実家で作ってもらってもいいですよ」
「あー、そりゃええかも知れへんなぁ」
「銀は銀貨を使ってもいいですし」
「実はそれも銀貨を使っとるんや。純銀はやわらかすぎてな」
ああ、そうなんだ。
コインを材料に使うことは、別に犯罪ではない。
銀貨は、財布に入れているうちに削れて摩耗してしまうようだと機能的に問題があるので、ある程度の硬さを持つように合金になっている。
その関係もあって、素材として丁度良かったのだろう。
こんこん、とドアがノックされ、店員が入ってきた。
トレーに乗ったティーカップや急須をテーブルの上に置いてゆき、菓子類も同じように置かれた。
「ご注文は以上でよろしかったでしょうか」
「はい。ありがとうございます」
と俺がいうと、店員さんは戻っていった。
熱いお茶を口に含んで喉を潤す。
陛下の淹れたお茶を飲んだあとだと、さすがに一段劣るような気がした。
「これの特許は、リリー先輩にさしあげますよ。申請しておいてください」
陛下はおそらく約束を守るだろうから、特許の価値は復活するだろう。
「ん?」
「この着火器の特許です」
リリー先輩は訝しげな顔をした。
「……なんで私が貰うんや? ユーリくんが考えたもんやろ?」
「僕は申請する時間がないと思うので」
「いらんわ。施しを受けるほど貧乏なわけやない」
施し。
そういうふうに聞こえちゃったか。
なんだか怒らせてしまったようだ。
「実は、どうも近いうちに戦争へ行くことになってしまったので」
「へ?」
「場合によっては死ぬかもしれないので、リリー先輩にお譲りします。死んだら特許はなくなってしまいますから。無駄はないほうがいいでしょう」
現行の法律ともよべない法律においては、一応は特許権は相続されることになっているが、出願中に出願者が死ぬと、特許はフリーになってしまう。
死者に特許を与えるわけにはいかず、また、一度出願してしまえば、後から別の人物が出願したとしても、それは認められない。
特許とは最初の発明者に与えられる権利なので、二番目に出した者にはその資格がないからだ。
その技術については、公開され、誰も特許を取ることはできなくなる。
俺が出願中に死んだとすると、リリー先輩が「やっぱ私が発明したんや」と出願しても、それは受け入れられないのだ。
特許が一つ無駄になってしまうことになり、それはもったいない。
「せ、せせせ、戦争って。ユーリくんはまだ卒業もしてないやんか」
リリー先輩は慌てふためいていた。
「ちょっと次世代の若者ということで、戦場見物に出かけることになったんです。まあ、上空からちょろっと見てくるだけなんですけど」
「そうはいうても。行かんほうがええよ」
それは俺も思ってるんですよ。
「女王陛下直々のお願いで、どうも行かざるをえない感じになってしまいまして……」
「でも……」
リリー先輩は、本気で心配そうな顔をしている。
嬉しいような、申し訳ないような。
「ま、見てくるだけで、戦ってこいというわけではないので、大丈夫とは思いますが。もし帰らなかったら」
「そないな不吉なこと言うたらあかんよ」
リリー先輩は顔をしかめた。
「シャムのことを宜しくお願いします。社の連中にはよく言っておきますから」
「……家族に言えばええやないの」
そらそうだよな。
そんなん押し付けられても困るだろう。
「立場上、ホウ家はおおっぴらに逃げろとは言えません。もしものときには、連れだして船に乗せてあげてください」
リリー先輩は社の連中とも面識があるし、大丈夫なはずだ。
というか、社の役員だし。
「駄目や。絶対帰ってき」
「もしものときの話ですよ」
「駄目や。いいよ~なんて言うたら、安心してもうて、帰ってこなくなるやろ」
そんなことはないけど。
「引き受けてくれて良かった」
「引き受けてない……」
リリー先輩は、いつもなんだかんだ言いながらも仕事を受けてくれるんだよな。
口では断っているが、こういっておけば、俺にもし何かあっても、シャムのことは気にかけてくれるだろう。
いや、なにもなくても気にはかけてくれるか。
「僕も、自分の命は大事なので、ちゃんと帰ってきますよ。その前に、やっぱり行かなくていいと言われるかもしれませんし」
「私は知らんからな」
「じゃあ独り合点しておきます」
「まったくもう」
不承不承に頷いた感じだが、本当はそれほど嫌がっていないのだ。
人付き合いの苦手な俺でも、これほど長い付き合いになれば、それくらいは解る。
「それじゃ、このライターは持っていきます。あれば何かと便利ですからね」
「いつ出るん?」
「一ヶ月後くらいです」
「……なら、それは返し」
「えっ」
返さなきゃならんのか。
どうしてもというなら仕方ないが。
「鈍いな。一ヶ月あればもっといいのを作ったるわ」
ああ、そういうことか。
「お言葉に甘えます」
「うん」
俺がライターを返すと、リリー先輩は俺の手を包み込むようにして、それを受け取った。
その後、会話を楽しみつつ本日二回目のお茶会を済ませ、リリー先輩とは別れた。