第073話 流浪者
「訊ねて良いものかわからないが、なぜこんな旅をしているのだ? 旅費が心もとないのか?」
と、俺はついに訊いた。
俺もトガ家というのは名前だけしか知らないが、いくらなんでも将家の身内がそこまでしなければならないというのは、ちょっと想像ができない。
何かあったとしても、家から金目の調度を幾つか持ちだして売るとか、それもできないのであれば親戚を頼るなりすれば、旅費くらいは工面できるはずである。
「お察しのこととは思いますが、僕はこの国の騎士なのです」
ジーノはボロ布で焼けた鉄串を持ちつつ、頻繁に肉をひっくり返しながら言った。
「その中でも、落伍者と言っていいでしょう。そして、今、この近くの宿は避難民でいっぱいです。食も足りていません」
キルヒナの国内では攻勢の話が広がり始めているのか、このあたりは避難民が多くなっている。
しかし、落伍者であることと避難民がごったがえしていることとが、なにか関係があるのだろうか。
確かに、ここらの宿はいっぱいだし、小さな村に大勢がおしかけたもんだから、冬明けで備蓄も心細いこのあたりじゃ、なかなか食料の確保は難しいだろう。
俺が買った食料も、かなり割高だったし。
「僕が宿に入るということは、避難する人々の寝床を一つ奪い、食を一つ奪うということ。落伍したとはいえ、僕も騎士の端くれです。我々騎士の至らなさのために避難を強いている人々に、せめて迷惑をかけないようにしようと思い、このような旅をしています」
なんとまあ。
あきれ……いや立派な心がけである。
「素晴らしいな」
「そうでしょうか」
素直に喜べないのだろう。
ジーノは困ったような笑顔を浮かべた。
「いや、素晴らしいよ。なかなかできることじゃない」
「いえ……」
「しかし、どうしてそういう考えに至ったんだ? 戦いの口がないわけではないだろうに。戦場が嫌になった口か?」
国、というか民のことを思うなら、騎士であれば、やはり戦場に出るのが一番の貢献だろうと思う。
俺は脱走兵はクズだとか考えているクチではないが、これだけ立派な志を持っているのに、戦場に背を向け、シヤルタ王国に逃げ落ちるというのは、やはり少ししっくりこない部分があった。
「どうにも騎士の方々に疎まれてしまい、外されてしまったのです。それに、僕は騎士号は持っていても、領地はありませんので」
えっ。
「トガ家といえば、将家の一つと思ったが」
「ああ、ご存知でおられたのですね」
「そりゃまあな」
「ええ、確かにトガ家は将家の一つです。いや、今となっては、そうだったというべきでしょうが」
「どういうことだ?」
「先だっての戦争で領地を殆ど奪われてしまったのです。それに、領の人々も流出してしまいました。なので、治めるべき領民もいません。名目上、トガ家の領地はありますが、まあ、ないようなものです」
なるほど。
いや、それってどうなの?
失地したとはいえ、名目上はトガ家の領地なのだから、取り返せばまた所有権を主張できるのでは……。
いや、無理か。
取り返すのにも軍を動かす必要があるし、それには莫大な費用が必要だ。
トガ家の軍がそのまま残っているのならともかく、そうではないのだろうから、無料で返してくれるはずがない。
トガ家の領地は他の将家で分割されるか、王家に接収されることになるだろう。
領地を守りきれなかった連中には任せておけない、などの理由付けをすれば、王家が領地を没収するのはさほど難しくない。
それでも、頑張り次第では……と思うが、大局を見ればシャン人は劣勢であることは明らかなので、頑張っても実を結ぶ可能性は少なく、限りなく無駄……と言って差し支えないだろう。
「浅学で申し訳ないが、トガ家というのは北東部を領地にしているのだったか」
「そうですね……そのあたりを治めておりました」
やはりそうであるらしい。
キルヒナ王国の北東部というのは、ほとんど既に占領されてしまっている。
占領といっても、既にクラ人の定住が済んでいるというわけではない。
しかし、完全に焦土化されてしまっているので、戻った所で民が元の生活を営めるわけではない。
クラ人の攻勢の弱点というのは、各国の連合軍であるために攻勢が持続的でなく、一過性であるというところにある。
一回の十字軍が終わったら、反攻に出られて領地が取り返されるかもしれない。
なので、彼らは取り返されるかもしれない土地を徹底的に焼いておく。
焼く前には略奪を無制限に許すので、あとの土地には踏み荒らされた畑くらいしか残らない。
土地を一時的に無価値化することで、再占領による旨みを無くしておくわけだ。
元より、彼らにはシャン人の住居道具をそのまま使うという気はないのだから、損ではない。
彼らにとっては、焦土化は『穢れた土地の浄化』にも繋がる。
つまりは、それをやられた上、領地をあらかた実効支配されてしまったので、将家としては存在しないも同じこと。ということになってしまったのだろう。
「では、君はトガ家の中では……」
「一応、当主ということになりますか。もうなんの意味もございませんが」
当主だったのか。
じゃあ、一応はルークと同じ天爵様ということになるのか。
「これは失礼した。ジーノ殿とお呼びしたほうがよろしいか」
「いえいえ、爵位は返上いたしましたので。私はもう騎爵ですらありません」
なるほど。
騎爵というのは、騎士でいう最低限度の騎士身分ということになる。
騎士号とは違うのだが、騎士としてどこか将家の騎士団に入っていれば、必ず最低限度与えられるのが騎爵という爵位だ。
吹けば飛ぶような、殆ど名誉称号といってもいいような爵位であり、それすらもないということは、騎士としては無職ということになる。
「ふむ……では、気にせず話させてもらおうかな」
「はい、ぜひ」
そっちのほうが俺も気が楽だしな。
「しかし、貴殿は野に下ったとしても、トガ家の騎士団はどうしたのだ?」
文字通り全滅したのかな?
「解散いたしました。結局、南方の会戦で大勢を失い、旧土も取り返せぬ有り様で……。戦力として不安のある状態でしたので」
南方の会戦というのは、つまりはヴェルダン大要塞近辺で行われた野戦のことだろう。
野戦の後、敗走した軍は、比較的健全な戦闘単位から優先的にヴェルダン大要塞に篭った。
俺は知らないが、その中にトガ家の騎士団もいたのかもしれない。
だとすると、北部を侵略した軍はヴェルダン大要塞を迂回したはずなので、トガ家は対応できなかった。ということも考えられる。
他の将家も、うわトガ家の領地が侵略されている、助けてやらねば。という風に、一目散に駆けつけて防衛してやる。といったことはしてやらなかったのだろう。
将家同士の仲間意識というのは、魔女家の悪口を言い合うときくらいにしか発揮されないもので、存外低い。
領地の過半を奪われてしまえば、騎士はいても兵を集めることが出来ない。
一般兵はほとんどが非貴族の平民層の男なので、そもそも領民の殆どが逃げてしまったら、軍を再構築しようにも人が集まらない。
騎士だけの軍隊を作るということもできるが、それでは数が足りないので恐ろしくもなんともない。
突っ込んでくる敵が全員高価値目標なのだから、敵が嬉しがるだけだ。
解散したというのは、残念ながら仕方がないことだろう。
「では、トガ家のほかの騎士たちは、別の騎士団に仕官を求めたわけか」
「そうなります。僕には最早、彼らの面倒を見れるほどの収入はないので……給金などは要らないと言ってくれる者もいましたが、遠ざけました」
ジーノは悲哀を感じさせる声で言った。
そういう、自分を慕ってくれる騎士たちがいるというのは、将家の者にとってはまさに本懐というか、この上なく嬉しいことだろう。
それを自ら遠ざけたというのは、胸が痛む話だった。
「なるほどなあ。まとめて近衛とかで雇ってくれればよかったのにな」
さすがに他の将家の主を雇用する将家というのはないだろうが、近衛あたりでは騎士団ごと組み入れても問題はないはずだ。
まあ、いろいろと面倒で軍組織に混乱をもたらすのは確かだから、それはしなかったのだろう。
騎士団を解散して各々で再就職先を見つけてもらうというのは、仕方のない選択肢に思える。
「まあ……私などは自らの領地も守れなかった無能な男です。雇いたくないのも当然でしょう」
「そうとも限らないと思うが」
「そうでしょうか」
実際のところはわからないけど。
こんな世間話で軍才の有無なんてわかりっこないし。
もしかしたら、優しいだけが取り柄の無能な男なのかも。
「今回の戦争について、貴殿はどういう意見をもっているんだ?」
俺は聞いてみることにした。
「どういう意見というのは?」
「勝つか負けるかとか、そんな感じの」
ああ、我ながら大雑把だな。
「私は悲観的です」
悲観的かぁ。
リャオ・ルベと同じような意見だな。
「なぜだ?」
「敵は、おそらく前回に倍する数の鉄砲を用意してくるでしょう」
鉄砲というのは、シャン語では火矢というような字を書く。
火矢というのは……鉄砲としかいいようがないのだが、クラ人が使う原始的なマスケット銃のことを指す。
「鉄砲というのは、ご存知のことかわかりませんが、機械弓と比べて格段に厄介です」
機械弓というのは、クロスボウのことだ。
こちらも、鉄砲よりずっと昔から使われてきた。
「そんなにか」
「はい。実際に死傷する数はそれほどでもないのですが、遠距離から一方的にうちかけられると、どうしても軍の腰が引けてしまうのです。特にあの大きな音が厄介で……」
「それはそうだろうな」
鉄砲が野戦で強力な理由は、その音にあるというのは、俺も知っていた。
前装式の滑腔銃というのは、装填に時間がかかるために、火力としての脅威はそれほどでもない。
弾丸の威力はもちろん高いし、優秀な武器であることに違いはないのだが、連射の点で難があり、射程や連射性の関係で弓のほうが強い場合もある。
それでも、火薬が爆ぜる大きな音と、立ち上る煙を目の当たりにすると、人は実際以上の脅威を感じてしまう。
それは猛獣の咆哮と同じで、「人垣を作って槍衾を拵えれば、獣ごときに負けるわけがないんだから、怖気づくな」と幾ら言っても、狂った猛り声をあげて威嚇する猛獣を目の前にすれば、大多数の人間は「そうはいわれても、怖いもんは怖い」と腰が引けてしまう。
獣と違い、実際に幾らかの人間は死ぬんだから、もっとたちが悪い。
大声で「射撃で何人か死ぬだろうが怖気づくな。物凄い轟音がして味方がバタバタと倒れるが、実際はそれほどでもない。見掛け倒しだ」と兵を指導しても、説得力はないであろう。
突っ込めば容易に押しつぶせる鉄砲隊でも、現実にはそれができないといった状況が現れる。
「しかし、貴殿はまだ若く見えるが、戦場を経験したことがあるのか?」
ジーノは若々しいが、シャン人の若作りチートを足したものなので、今はおそらく25歳前後だろう。
ゴウク伯父が死んだ戦争は十年も前なので、理屈が合わない。
キルヒナでは二十歳以下でも戦場に出ることがあるのだろうか?
「ええ。父は十年前の戦争で負傷して、寝たきりとなり、五年前になくなりました。僕はそれ以来、北部で失った旧土を取り戻そうと、自分のものとなった兵を動かし、何度か戦いました。ですが、恥ずかしながら、戦果は芳しくありませんでした」
「なるほど、そういうことか」
この十年間、まったく戦がなかったわけではなかったらしい。
ジーノは局地戦で頑張っていたわけだ。
察するに、そうやってもがいている間に金もなくしたんだろうな。
動かす兵を雇う金も、家の財産を処分して得たんだろうし。
「実際戦った経験から言うと、鉄砲に対し、どのような戦術が有効だと思うのだ?」
「堀と奇襲ですね」
と、すぐに答えが帰ってきた。
「堀というのは?」
「こちらの陣営に、即席の堀を作るのです。土を掘って」
やはり、塹壕のようなもののことを言っているらしい。
「鉄砲の厄介なところは、盾が通じないところです。矢と違って、持ち運びのし易い木の大盾などでは、貫かれてしまいます。分厚い鉄板を張れば弾けますが、全軍の正面に張るのは現実的ではありません」
そりゃそうだろうな。
重いせいで、ただでさえ遅い歩兵の歩みがカタツムリの早さになるだろうし、鉄は高価なので、費用がかさみすぎる。
木の盾をさらに分厚くして、丸太を並べた壁のようなものを作り、それを押し出すように戦うという手もあるが、それも現実的ではなかろう。
全員がゴリラみたいなパワーを持った怪力無双の寄せ集めのような軍であれば可能だろうが、そうではない。
「なので、土を掘って穴に入ります。鉄砲の弱みというのは、玉が直線にしか飛ばないところです」
「しかし、穴に入ったのでは攻められまい。それに……」
「包囲ですか」
先回りして言われた。
「そうだ」
機動力が低ければ、包囲されてしまう。
野戦での包囲という状況は、戦術上最悪の状態といえる。
孤軍になるし、兵は恐怖を覚えて錯乱するし、将は混乱する。
それに加えて、単純に、包囲されれば、外側を包んでいるほうが内側に対して面積が大きく、内側のほうは取れる面積が小さい。
つまり、内側は戦闘正面が広く取れない。
戦場において、それはかなり大きな違いで、もし、こちらがより多く、より練度の高い兵を抱えていても、向こうは正面で五千人で戦えているのに、こちらは三千人しか戦えない。ということが起こってしまう。
言ってみれば、一点に纏められながら、状況的には各個撃破されているような、わけのわからないことになるわけだ。
そして、その包囲を作る要因の中で、最も代表的なのは、機動力の差だ。
彼我の動くスピードに五倍も十倍も差があれば、包囲されるに決まっている。
「そこはカケドリで補います。鉄砲に唯一有効なのは、カケドリの突撃です」
「ふむ」
包囲するのに、あるいは包囲を阻止するのに騎兵を使うという用兵は、これも古今の戦術の基本である。
「しかし、この戦法はこちらから攻める場合には使えません。相手に引かれてしまえば堀は使えませんから。先に実際に使った例があればよかったのですが」
ジーノが戦った戦場では、旧領を取り返す戦闘だったので、例外的に攻める一方だったのだろう。
「提案したのか」
「はい。ですが、煙たがられるだけで終わりました。致し方のないことですが」
そりゃそうだろう。
同僚といってはおかしいが、トガ家は同業者の中では、当人に責任はないといっても、負け組といってもいい存在だ。
そこの当主をしている若造が、会議の場で奇抜な申し出をすれば、頭の硬い連中のことだから、一笑に付されて終わるのは、残念ながら仕方がない。
「しかし、合理的には思えるな」
「そうですか?」
俺の賛同が得られて、ジーノは若干嬉しそうな顔をした。
「だが、騎士団が寄せ集まった軍では、提案しても可能性はなかったな。凡庸な策しか取られんだろう」
トップが一人だけならやりようもある。
そいつを説得できさえすれば、なんとでもなるだろう。
説得の成功自体が奇跡的な可能性かもしれないが、兎にも角にも可能性は残る。
だが、キルヒナの軍というのは、シヤルタもそうだが、将家が寄せ集まって作った連合軍だ。
誰かが頭を張るといっても、そいつは議長職みたいなもので、独裁的な指揮権を持つわけではない。
トップが五人も六人もいれば、そいつらを全員奇抜な案に賛成させるなどということは、夢物語にすぎない。
誰かが賛成すれば、そいつと反目している誰かが「いやいや、それには反対だ」などといって、議論は平行線をたどるだけだ。
誰か一人を誠心誠意説得して、賛同を得れば良いというわけではないので、これはもう現実には実現不可能ということになる。
有能も無能も、平凡も入り混じった連中が、皆納得するのは、凡庸な策しかありえない。
「それは僕にも解っていました。しかし、僕には……」
無理とわかっていても提案しないわけにはいかなかったのだろう。
その結果が、この旅というわけか。
「そうだな。愚かな真似とわかっていても、しないではいられないという事も、世の中にはある」
「はい」
「その結果、こういう出会いもあった」
俺は袋からパンを取り出して、ナイフで二つに割った。
それを手渡す。
ジーノの手元の肉は、もう十分過ぎるほどに焼けていた。
「いただきます」
ジーノは早速肉をパンに挟むと、鉄串を抜き、おもいっきり頬張った。
そしてモグモグと咀嚼する。
美味そうに食うもんだ。
「もし必要なら、ホウ家へ仕官が叶うよう、紹介状を書いてさしあげるが」
「ふえっ!? うっ……ゲホッゲホッ」
ジーノはむせた。
「貴殿の仕官が叶うかどうかは当主殿が決めることだが、最低限会うくらいはしてくれるだろう」
俺が当主の息子だということは黙っておこう。
「それは……願ってもない。なんともありがたい」
「そうか。なら、食事が終わったら書くとしよう」
食事が終わると、俺は簡単な紹介状を書いてやった。
翌日、森のなかで彼の見送りを受けながら、俺は再び空に舞った。