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第060話 会計士

「よう……どうした? その顔は」

 社長室にいたカフは、俺の顔をみるなり訝しげな表情をした。


「頬をおもいっきりつねられた」

「例の悪ガキにか」


 例の悪ガキというのは、前に雑談で話したドッラのことだろう。


「いや、殿下に下ネタを言ったら滅茶苦茶怒りだしてな」

「殿下って、キャロル殿下のことか」


 カフは驚いた顔をしている。

 やつも平民にとっては天上人に近いからな。


「そうだな。今夜は寮にいないほうがいいと思ってこっちに来た」

 キャロルがトイレ行って席を外した隙に逃げてきた格好だし。


「キャロル殿下か。一度拝見してみたいものだ」


 いや、お前会ったことあるじゃん。

 と口にしかけて、危うくやめた。

 あの時は身分を隠してカツラを被って、偽名も使ったんだった。


「そうか、あの金色の髪は見ものなんだがな」


 あの金髪を見られないのは可哀想だ。


「金色の髪は見たことがあるぞ」

 なぬ?

「祭祀場のほうにでも行ったのか?」


 金色の髪というのは、この国には祭祀場と王城以外では、ツチノコなみのレアだ。


「いや、キャロル殿下の妹君だ。王城通りの商店に売り込みにいったとき、遠目から拝見した」


 王城通りの商店というのは、王城島に続く二つの橋の直近にある商店群のことだ。

 付近の高級住宅街の人々御用達の商店が並んでおり、服屋などは王室御用達の看板を掲げていたりする。

 だが、野菜屋などでは、大市場で買うのと同じものが、綺麗に洗っただけで五倍とか十倍とかの値札がついているので、ぼったくりというイメージがある。


 キャロルは、そういうところを買い食い感覚でブラついたりということは、決してしない。

 その辺は、キャロルがわきまえているのか、カーリャがだらしないのか、よくわからなかった。


「あれと似たようなもんだな。姉のほうはしっかり者だから、もうちょっと締まりのある顔をしているが」

「そうなのか」

 カフは興味津々なようだ。

 会ったことあるのに。

「あの姉妹の話をすると頬が痛む。俺は、メシを誘いにきたんだ」


「ああ、そうだったのか。いいぞ」

「ビュレはいるのか」

「別の部屋にな」

「じゃあ、連れて行こう」


「そうか。それなら少しいい店に行こう。彼女は良くやっているしな。たまにはいいだろう」


 カフにしては珍しい褒め方だった。

 そうか、良くやってくれているのか。


「そうしてやってくれ。店は任せるよ」

「よし、じゃあ予約をいれておこう」


 予約が必要な店なのか。

 社長室から出たカフは、いつもコキ使っているらしい丁稚格の若者を呼びつけ、使いにやった。



 ***



 飯屋の椅子に座ると、

「いい店だな」

 と、俺は素直に言った。


「はい! こんないいお店にきたのは初めてです。ありがとうございます、ユーリ様」


 ビュレはわざわざ席を立ってから、俺に頭を下げる。


「そうかしこまるな。ここの用意をしたのはカフだ」

「じゃあ、カフさんもありがとうございます!」


 カフは返事もせず、手をひらひらと振って返事をした。


 店は、小料理屋のような風体で、高級居酒屋店と料亭を足して二で割ったような雰囲気だった。

 貴族の作法が必要なほど堅苦しくはない、富裕層が利用する店といった趣だ。


「ビュレは会計を頑張ってるんだってな」

「はい!」

「カフ、どうなんだ?」

「才能がある」


 カフは真面目な顔で言った。

 会計の才能ってあんまり分かんないけど。


 ビュレの性格から考えて、脱税について誰も思いもつかなかったエグいやり方を何通りも思いつく。というような方向の才能ではないだろう。


「会計は性格だ。つまらんソロバン仕事をひたすら根気よく続けて、苦にならないという人間にしか務まらん」


 俺は会計というのは、信頼できる人間という条件が第一だと思っていたが、カフによると違うらしい。

 考えてみれば、知的労働かつ単純作業という仕事なのだから、それが苦になる人間は途中で疲れてしまうのかもしれない。


「その点、ビュレは向いてる。一時間でも二時間でも数字と睨めっこしてるからな」

 それは褒めてるのか。

 いや、褒めてるんだろうな。

「なるほど……」

「あっ、ありがとうございます!」

 ビュレはまた立ち上がって、今度はカフにお辞儀をした。


「じゃあ、ビュレにはこれをやろう」


 俺は持ってきた包みを机の上に置いた。


「えっ、そんな……私、受け取れません」


 中身も見ずに受け取れないとは。

 金子(きんす)かなにかかと思ったんだろうか。

 もしくはブランド品とか。


「中身は別に高いものじゃないぞ。とにかく開けてみろ」

「は、はい……」


 ビュレは丁寧に包装を解くと、中を開けた。


「こ、これは……」

 中からでてきたのは、ソロバンだった。

 綺麗にニスが塗られ、珠はキッチリとした菱型をしている。

 一列には5つの珠があって、1つと4つで分断されている。

 日本式のソロバンだった。


「試してみて、具合がいいようだったら使ってくれ」

「いいんですか?」

「いいに決まっている」


 現在のソロバンは、上下が分かれていない十珠のもので、珠もまんじゅうみたいな潰れた球形をしている。

 四ツ珠と五つ珠の違いみたいなもので、亜種に九珠というものもあるのだが、やっぱり使いにくいことに代わりはない。

 どうせ本格的に覚えさせるなら、道具も効率的なものを使わせたほうがいい。


「あ」

 りがとう。という前に、俺は体を乗り出して、立ち上がろうとするビュレの肩をガッと抑えた。

「礼はいい。働いて返してくれ」

「あ……、は、はい! がんばります!」

 いちいち立ち上がって礼をするんじゃ大変だからな。


「それで、収益のほうはどうなってる」

 俺はふたたび椅子に腰掛けた。

「借り入れはないから火の車とはいえんがな、当分は身動きできんぞ」


 身動きできないのはしょうがない。

 ハロルに船を買ってやるのが、いわば物凄い大運動だったわけだから、その後に息切れするのは当然だ。

 だが、例えばそのせいで給料も払えなくなったりすると、これは問題になる。


「大工が使う建材費くらいは出てるのか?」

 建材がなければ大工は仕事ができないわけで、そうなると、向こうの進展はストップすることになる。


「それは船代とは別にとっておいた。全部をあの野郎に預けるわけにはいかないからな」

「さすがだな」

 ちゃんと考えている。

「ビュレ、数字は覚えてるか」


「は、はい。最低限の貯蓄として三万五千ルガほど残しています。今月の給金の支払いで、約一万ルガほど支払い、建材費や材料費など、経費で一月二万五千ルガほど請求されますから、来月末までは大丈夫です」


 けっこうギリギリだな。

 この金額は、現段階では俺のポケットマネーから出入りしてる金額ということになるので、深く考えると気が遠くなりそうだ。


 といっても、一年で八十万ルガを捻り出せた事業だ。

 すでに向こうでは、完全ではないものの生産体制はできているし、流通にも乗っているのだから、一ヶ月利益がでないということはない。

 そのへんはピニャの新作にもかかっているが、第一作の評判は上々だったようだし、次が駄作だったとしても、売れることには売れるだろう。


 運転すれば黒字になる事業なのは間違いないのだから、予備資金が少ないことは、そこまで悲観する要因ではない。

 昔と違って、浮いた金が出来ても魔女家に気兼ねして設備投資に回せない。なんてこともないし。


 だが、心配事はある。


「警護のほうは上手く行ったのか?」


 上手いこと運搬できなければ、幾ら金になるものを作ったって一銭にもならない。

 ホウ家の領地内は治安が保たれているから、殆ど野盗に襲われるということはないが、領境から王都までの間には距離があり、ここでは安全は保証されていない。

 ラクラマヌスも、攻撃してくるとしたらこの間を狙うだろう。


 なので、俺は別邸と屋敷の間の兵交換に馬車を随行させることにした。

 そのために、恥を忍んでルークに頼みもした。


「問題ない。カラクモの屋敷のほうは良くしてくれるしな。サツキ様にもお会いした」


 サツキか。

 そういえば、移転のことを話しに行って以来、会っていない。

 それにしても、サツキがカフに会ったとは。


「話をしたのか?」

「ああ。少しな。お前のことを聞いてきた」

「俺のことを? 何を聞きたがったんだ?」

「俺がスカウトされた話とか、どういうふうに経営に関わってるのかとか、そんな話だな」


 まあ、共通の知人といったら俺しかいないわけで、普通に雑談してりゃ、俺がネタになるわな。


「まあ、それで仲良くなったんなら、それに越したことはない。交代の兵隊が泊まる宿では、せいぜい機嫌をとってやってくれ」

「分かってる。ちゃんと一番いい酒を奢ってやってるさ。それで済むなら安上がりな話だ」


 幸い、交換兵たちは、王都での軍団の顔になる関係上、それなりに練度が高い兵だが、社に関してどういう理解でいるかまでは解らない。

 カフとかは全員、身分は平民なので、平民の護衛なんぞ重要なものとは考えられないと勝手に解釈し、任務を軽視してしまうかもしれない。

 最悪、機嫌を損ねて先に行ってしまう、というのも考えられる。

 そうならない保証はどこにもない。


 が、こちらが下手に出て、軽くでも接待をしていれば、そういったリスクは極限まで抑えられるだろう。


「とりあえず、問題はないようだな」

 よしよし。

 順風満帆、ってやつだ。


「問題はある」

 えっ。

「なにが問題なんだ??」

「陸路じゃあ、費用がかかりすぎるんだよ」

「ああ……」

 なるほど。

「紙なんてものは、かさばらない上に安いからいいが、それでも売値を上げざるをえんほど金がかかってしまっている」


 輸送コストというものは陸路より海路のほうが格段に安い。

 ましてや、この国ではトラックを整備された道に走らせるのでなく、馬を使うのだから余計だろう。


 海賊の危険はあるにしろ、海路を使うに越したことはない。

 だが、その場合は問題があった。


 王都の港というのは、当然魔女家の管轄であり、今朝ハロルが出港したような場合は、空荷でなにを儲けるわけでもないから問題はないが、儲けになる積み荷を積んでいると問題が噴出してくる。


 紙なんぞを積んでいたら大問題だ。

 どっかの大魔女家に上納金を治めなければ、沖仲士(おきなかし)が紙束に塩水をぶっかけたり、泥棒してケツを拭く紙として配って回ったりするだろう。


「そのへんは、ハロルが着いてからだな」


 今すぐに解決しなければならない問題ではない。

 当分の間は陸路でも大丈夫だろう。


「むしろ、やつが一番の問題だろ」

「ああ、信用出来ないのか」

「お前は楽観してるのか? やつは、いってみりゃ一国一城の主だった男だ。おとなしく部下になるとは思えんぞ」


 そりゃそうだわな。

 俺もそう思っていたし。

 カフはイーサ先生のことを知らないから、不安なのだろう。


「ハロルは大丈夫だ。ハロルが裏切ったら、やつは心底惚れてる女と二度と逢えなくなる。そういう仕組みになってんだ」

「なんだ、人質でも取ってるのか?」


 俺がそういう対策を打っていたとは思わなかったのか、カフは意外そうだった。


「人質ではないけどな。その女の前で約束させた。あの人はそういう約束を破った男を絶対に許さない女だ。俺は、ハロルが俺を裏切るところは想像できても、あの人との約束を破るところは想像できない」


 イーサ先生が死ぬとか言い出したのは誤算だったが、それがなくても、イーサ先生の前で誓わせれば、ハロルは裏切らないだろうと踏んでいた。

 誓いが破られれば、いってみればワタシ派を破門になり、イーサ先生はハロルとは二度と口を聞かなくなる。

 ハロルとてそのことは解っているから、おいそれと裏切ることはできない。


「惚れた女を使ったか。悪くない手だ」

「できるなら、したくなかったがな」


 無条件で信頼できるのなら、それが一番良いに決まっている。

 だが、それをすると往々にして馬鹿をみるのが世の中というものだ。

 このような大金を扱う商売では、特にその傾向は甚だしい。


「人は、時間で恩を忘れる動物だ。長い付き合いをするつもりなら、そうしておいたほうがお互い幸せだよ」


 さすがカフは深いことを言う。


「お待たせしました」

 おっと、料理が運ばれてきた。


「うわぁ……美味しそうです」

 ビュレは目を輝かせて言った。


 確かに、大皿に盛られた料理はホカホカと湯気が立って美味そうだ。

 魚介とグラタンを合わせたような料理だが、変に気取った一皿料理より、よほど食欲をそそる。


「じゃあ、乾杯するか」


 カフが言った。

 といっても、杯に酒が満たされているのは、カフの持っているものだけだが。


「ハロルの出港祝いに」

「ああ、乾杯」


 三つの木製のコップがカツンと合わさった。

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