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第053話 止まった水車

 水車小屋周辺の社屋は、見事なまでにコンガリいっていた。

 家の中や屋根が燃えている間も、濡れていたせいで燃えなかったのだろう。

 川に浸っている水車だけがすがすがしいくらいに原型をとどめているが、それ以外は屋根もドアも、木造の部分は全て燃え落ちていた。


 むろん、放火されたといっても、川のほとりで人も張り込んでいたのだから、すぐに消火にあたれば、こんなに燃えるわけがない。

 消火はしないよう言い含めておいたのだ。


 ラクラマヌスも、羊皮紙ギルドも、対外にアピールできる成果が必要なのだ。

 それを与えてやれば、与えてやらぬよりも、溜飲の下がり方が違ってくる。


 燃えたのは、俺とホウ社にとっては、もう必要のない建物であった。


「かかったか」

「ああ」


 到着するなり尋ねると、カフが短く答えた。


 もう夜半だというのに、カフをはじめ、二十名以上の人間が、燃え落ちた社屋の跡地にいる。

 深い思い入れがあるのか、灰となった家屋を見て、泣いている者もいる。


 廃墟の真ん中で盛大に焚き火が燃えているため、あたりは明るく照らし出されていた。


 焚き火のそばには、一人だけ様子がおかしい者がいる。

 猿轡をかまされ、後ろ手に縄で縛られている。

 そいつが、俺の前まで引きずられてきた。


 半死半生になるまでボッコボコにされたらしく、顔が腫れていた。

 こいつが放火犯の一人らしい。


 とはいえ、様子がおかしいというのは、外傷のせいだけではない。

 黒装束に黒頭巾で、まるで忍者みたいな服を着ていた。

 顔がアレになっているせいで良く解らないが、おっさんの年齢に見える。


「ふーん、かかるもんだな……猿轡を外してやれ」

「自害するぞ」


 死ぬのか。


「そっか。じゃあやめとこう」

 舌を噛み切られちゃかなわん。


「死のうとしたのか」

「短刀を腹に突き立てようとしたからな、その前に木の棒でボコボコにして猿轡を噛ませた」


 カフの声には、隠し切れない怒りが滲んでいた。

 やはり、放火について思う所があるのだろう。


「気合入ってるな」


 敵も味方も。


「寝たままじゃなんだろ、座らせてやれ」


 男は、社員の一人に無理やりに上体を起こされ、座らせられた。

 足には縄を打たれていないので、座ることも歩くこともできる。

 が、この状況では逃げようもないだろう。


 男は、おとなしく胡座をかいて座った。


「ま、とりあえず尋問を始めるか」


 俺は男の前でしゃがみこんだ。

「お前、第二師軍の人間か? 頷くか首を横に振れ」


「……」

 男はこちらを睨んだままだ。

「じゃあ、ラクラマヌスの私兵か?」

 そう問いかけても、やっぱりなにも反応を示さない。


 あれか。黙秘権を行使ってやつか。


「まあいいさ。いやな、こんな罠に引っかかるやつは、どちらの者なのか、気になってな」


 トラップというのは、単純な人捕りトラップだ。


 工場の近くにある木の、太い枝を十分にしならせ、ロープで地面に繋いでおく。

 繋いだ先の部分を輪っかにし、遊んでいる輪っかを留め具にかぶせる。


 曲者が留め具を蹴っ飛ばすと、しなった枝が戻る力で、輪っかになったロープが浮き上がり、首吊りの要領で足を縛り上げられ、人間を一本釣りにする。


 どうせ攻めてくるのは夜だからと思い、面白半分に作らせておいたのだ。

 こいつは、それにかかった。


 自害しようとしたというのは、逆さ吊りになりながらのことだろう。

 そこを、よってたかって長い棒で打ち据えた。

 反撃に刃物を使われれば、怪我人が出てもおかしくないので、長い棒でタコ殴りにしたというのは、方法としては正しい。


「んー……」


 しかし、どうするかな。

 別に、吐かせたいことって、ないんだよな。


 殺すか。

 殺して埋めれば、向こうを混乱させられるかもしれない。


 捕虜になったはずの人間が行方不明になるというのは、処置に困るものだ。

 裏切ったのか、吐いたのか、殺されたのか、向こうからしたら解らないわけで、どうなったんだか不安になる。


 それとも、解放すれば、魔女家に対して貸しの一つになるか。

 どうだろう。

 うーん。


「猿轡を外せ」


 迷った末、俺は言った。

「いいのか」

 カフは訝しげだった。

 自殺をしてしまうからだろう。


「拷問をするのも面白いが、聞き出すネタがない。第二師軍の軍人か、私兵かなんてのは、どうでもいいことだ。肝心の雇い主は割れちまってるんだしな」

「それもそうか」


 納得してくれたようだ。


「猿轡を外す前に言っておくが、俺は死体を晒してやったりしないからな。舌を噛んで死ぬのはいいが、そのあとは裸にして森の中に埋める。そうしたら、お前は行方不明の裏切り者として処理される。俺にとっちゃ、それが一番得をするんだ。悪く思うなよ」


 つまりは、どうせ吐かせることはないんだから、自殺しようが構わないってことだ。

 わざわざ手を下さなくとも、自分から死んでくれるのだから、そちらのほうが労が減っていいくらいだ。


「よし、猿轡を」


 外せ、と言おうとしたところで、俺は言うのをやめた。


 宙吊りにされたとき、こいつはなんで自殺しようとした?


 こいつからしてみれば、行方不明という形で殺されるより、仲間に死を確認してもらったほうが、色々と都合がよいのは明らかだ。

 どういう組織なのかは知らんが、あいつは実は生きていて逃げた。とか、裏切った。とかいう可能性を考えなくてよくなる。


 それだったら、仲間のほうも、どちらの方に転んだか、確かめたくなるのが心情じゃないのか?


「ちょっとまて、やっぱり、焼けた水車小屋の中でやろう」

「なんでだ?」

「遠くに誰か潜んで、こちらを見ているかも知れない」


 今夜は月光が明るく、わりと遠くまで見渡せるが、草むらに伏せられれば、こちらからは見えない。

 焼けた水車小屋は、中は煤だらけで天井も落ちているが、四方に焼けた壁があるので、間諜の目からは隔てることができる。


「運べ」


 社員に引きずられて、曲者は工場の中に入れられた。

 重油の樽に松明の先を突っ込んで火を付けた明かりも運ばれてくる。


 けっこう派手に黒い煙が出るのが難点なんだよな……。

 臭いし。


「入り口に人垣を作れ」

 入り口のドアは焼け落ちているので、ここが開いていたら丸見えである。


「よし、猿轡をはずせ」

 人垣ができたのを確認してから合図をすると、猿轡が外された。


「……」


 こちらを睨んではいるが、舌を噛む様子はない。

 なぜか?


 こいつの中では、死体を仲間に対して明かす必要があり、それが為されない可能性のある状況では、自害を選択できないのだろう。


「ふうん、死なないか……。なるほどな」


 自害には、二種類の動機が考えられる。

 一つは、自害をしなければ、自害するより酷い余生となるので、自ら生を断ち切るというケース。


 これは、一般的な自殺、つまり人生を悲観しての自殺が含まれる。


 たとえばクラ人に捕まったので死ぬ。

 一生を奴隷、女の場合は性奴隷として生活しなければいけない。それを苦にして自ら死ぬ。

 または、人の形をとどめないような拷問をする連中、たとえば魔女家などに捕まった場合、どっちみち苦痛しか待っていないので、自ら命を断つ。


 こいつがよほどの馬鹿だとしても、俺達がそういう類の鬼畜だとは思わないだろうから、これらは当てはまらない。


 もう一つは、生きることで大切なものが損じられるのを恐れるケースだ。


 家族に保険金を残すために自殺するなどというケースも、これに当てはまるだろう。


 あるいは、拷問にかけられることで、情報を吐き、そのせいで仲間や仕える者を裏切るのを恐れて死ぬ。

 だが、それであれば、こいつは猿轡を解いた瞬間に舌を噛んでいたはずだ。


 ということは、別の理由が考えられる。


 裏切りが味方に知れたら、自分の守りたいものが味方に損じられるという場合だ。

 だから、俺に「死んだらお前が裏切ったように工作する」と予防線を張られ、死をためらっている。


「さあて、どうするかな。お前が裏切ったことになると、かーちゃんが死ぬのか、その齢だとガキでも殺されんのか?」


 俺がそう言うと、こいつはちょっと驚いたような顔をした。

 案外、顔に出るタイプだな。


「連中の好みそうなやり口だな」


 さて……どうしたもんか。

 このまま逃してもいいが、それだと示しがつかないな。

 カフなんかだいぶ怒ってるし。


「よし、お前を逃してやろう。その変わり、お前には魔女家が握っている人質を連れて戻ってきてもらう」


「……なんだと?」

 喋った。

 殴られて口の中が腫れているせいか、聞き取りにくい声だが、確かに喋った。


「生きるも地獄、死ぬも地獄。お前は裏切り者として、家族を守りながらの逃亡生活だ」

「………」


「おい、ユーリ」

 カフは納得行かないようだった。

「こいつを戻したら、そのまんま元の鞘に収まるだけだろうが」


「解っているさ。だから、こいつが戻らなかったら、向こうに噂を流す。ホウ社は裏切り者を手に入れた。情報は筒抜けだ、ってな」

「………」


 おっさんの顔色がこわばっていた。


「ボッコボコにされたツラで戻って、何もありません逃されました。で向こうも信じると思うか? それに加えて、こんな噂まで流れれば、こいつは買収された密偵で確定だよ。とてもじゃないが生きちゃいられない」


 そう言っても、カフは難しい顔をしていた。


「だが、なんでそんな周りくどいことを」

「別に、コイツを殺したところで、うさが晴れるだけだろ」

「……まあ、そうだが」

「コイツが過去にどんだけ悪事を働いてきたかしらんけどな、悪事を働いたら働いただけ、知らない方がいい事を知ってしまっている。それだけ追手も多くなるんだ。こいつにとっちゃ、この場で殺されて、そこらの木にでも晒されたほうが、よっぽど楽なはずさ。少なくとも、裏切り者扱いはされなくて済むわけだからな」


「……お前がそういうなら、俺も嫌とは言わんがな」

 よし。

「おい、お前。行っていいぞ。早く立て」


 俺は蹴っ飛ばして立たせると、おっさんは後ろ手に縄で縛られながら、逃げていった。



 ***



「それで、地下倉庫は無事なんだろうな?」

「たぶんな」

「たぶん? 確かめていないのか?」


 カフにしちゃ珍しい手抜かりだ。


 地下倉庫には、漉桁を始め、分留装置、おおまかに分留された石油の樽、いろいろなものが収められている。

 扉は土をかぶせた上に水を撒いた防火仕様で、穴も深く作られているから、よほど地上が勢い良く燃えても、中は大丈夫なはずだった。


 地下倉庫に退避させた設備さえあれば、こんな水車小屋や掘っ立て小屋などなくとも、別の場所で素早く運営を再開できる。


「燃えた家が落ちて自然な感じになっているからな。瓦礫をどかして開くと、扉があるのが一目瞭然になっちまう」


 ああ、そういうことか。


「できれば今日中に、馬車で本社まで運びたいんだが」


 俺がそう言うと、カフは首を傾げた。


「地下倉庫はバレないだろう。放っておいてもいいんじゃないか」

「流れでな、必要以上に連中を挑発してしまった。念入りに報復をしてくるかも知れん」


 十分にありえる。

 地下倉庫はバレないといっても、じっくりと探せば扉を見つけるのは難しくない。


 防火扉には鍵もついているが、斧で叩き壊せば普通に入れる。

 そこまでしない、とは言い切れなかった。


「ああ、勝ったのか?」

「勝ったよ。ついでに、向こうさんが席上でアホな挑発をしてきたもんだから、向こうさんのメンツを丸っきり潰すことになっちまった」


 ほんとに、なんでこんなことになったんだろう。

 負けてやれば向こうの溜飲も下がり、あと二ヶ月くらいは大丈夫かなと思っていたのに。


「そうか……それなら、念を入れたほうがいいかもな」

「一応な。万一にもあれがなくなったら、再稼働がだいぶ遅れる」


「じゃあ、一度市街に戻って馬車を調達するか」

 やはり頼むツテはあるらしい。

「カケドリの二人乗りならすぐだ。俺の後ろに乗れよ」


 まだ夜もふけきっていない。

 ついでに酒でも買って、持ってくればいいだろう。


「その前に、一つだけ言っておかなきゃならん」

「なんだ?」


「お前、甘いぞ。つけ込まれないように気をつけろ」

 厳しい叱責だった。


 ああ、やっぱりコロッと騙されはしなかったか。


 俺とて解っている。

 あの男は、殺して埋めるのが正解だ。


 生きるも地獄、死ぬも地獄、とかなんとか言ったが、奴には、このままラクラマヌスの屋敷の玄関先へいって、切腹でもなんでもして命を断つという選択肢がある。

 そうすれば、潔白は証明できるだろう。


 その場合、殺して埋めることで相手に与える心理的効果は、望めなくなる。

 たとえ、あいつが首尾よく人質を連れてきて、その後流浪の旅にでたとしても、俺に得るものはなにもない。

 だが、殺しておけば、確実に一つ、俺に有利となる効果が期待できる。



 俺は、人質が取られていると考え、情が出たのだ。


「わかっているさ」


 そう口にしても、実感は伴わなかった。

 本当に解る時が、はたして来るのだろうか。

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