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第050話 一勝一敗

「参りました」


 二戦目、俺は自ら盤の上に手をおいて、投了した。

 ジューラの顔に喜色が浮かぶ。


 一戦目は俺の勝ちだったから、これで一勝一敗だ。

 三戦目が決戦ということになる。


「それでは、休憩に入ります」


 時間計測係が宣言をした。



 ***



「ユーリくん、どういうつもりですか」


 休憩室に、なんでかしらんが入ってきたミャロは、珍しく怒っていた。


 いつも浮かべている笑みが消えている。

 ミャロにこんな表情を向けられるのは、考えてみれば初めてのことだな。


「なんのことだ?」

「シラをきらないでください。ボクには……いえ、ボクでなくとも、腕に覚えのある人なら誰にだってわかります」


「そうか」

 まあ、そうでなければ困るんだけどな。


「わざと負けるつもりですか?」

 やっぱりバレてた。


「今のところはな」


 俺はあっさりと肯定した。


「何故ですか。脅されているとか?」

「いいや、そんなことはない」

「じゃあなんで!」


七大魔女家(セブンウィッチズ)を敵にまわしたくないんだ」


 それが答えの全てだった。

 敵に回す、というのはおかしな表現かもしれないが、無用な不興を買いたくない。


 俺と商売上バッティングしないギュダンヴィエルあたりと違って、よりにもよって相手はラクラマヌスなのだ。

 敵対をより深めて得るものなど一つもない。


「理由が解りません……まさか、ユーリくんほどの人間が、怖気づいているのですか? 魔女家ごときに?」


 魔女家は『ごとき』で済まされる勢力ではない。

 俺は甘く見てはいない。


「怖気づいてはいないが、連中の機嫌を悪くする理由がない。逆に、俺にとっては恩を売る理由がいくらかある」


 というか、勝って得るものがないのだ。


 これほど大げさなイベントだ。勝てば騎士としての栄誉がもたらされるであろう。

 それは分かる。

 ミャロは、たぶん、俺をその栄誉に浴させたいのだろう。


 だが、俺はそんなものはどうでも良い。

 勝てば名誉だが、負けても不名誉にはならない。


 残念がる奴はいるだろうが、この年齢で決勝まで進んできたのは立派と、褒められるのが普通だろう。

 ホウ家の威信に関わる、というのであれば話は別だが、そういうわけではないのだ。

 勝てばプラスになるものが、勝てなかったのでゼロのまま、というだけの話だ。


 逆に、ジューラが優勝を重要視しているのは、気負い方から見ても、見え見えだ。

 譲ってやれば大きな貸しになるだろう。

 俺にとってはどうでもよく、相手にとっては重要なら、貸しにしてやらぬ手はない。


 申し訳ないとすれば、俺を代表にした寮の連中に対してだが、その辺は諦めてもらうしかないだろう。

 どの道、俺とミャロ以外では準決の相手には勝てなかったのだし。


「シャムさんのことなら、心配ありませんよ。寮内では……」

「ミャロ」


 俺は言葉を遮った。


「俺にとっては大事の前の小事だ。俺はこの場の優勝で得られる栄誉なんぞ、求めてはいない。ラクラマヌスはいけ好かないが、譲ってやるさ」


「ボクは、ユーリくんに……」


 ミャロの気持ちは分からないでもない。

 こいつは、俺に将家の当主となるべき人間として、英雄的な役割を演じてもらいたいのだろう。


 なぜ、こいつは、自分にとって何の得にもならないのに、そんなことをしているのか。

 それは、こいつの趣味だ。

 生まれ育ちに反して騎士院に入ったのも趣味なら、俺を立てようとするのも趣味なのだ。


 こいつは、利害が絡んでいるわけでもなく、誰に言われているわけでもないのに、ただ自分の願望を充足するためだけに、労を厭わず動いている。

 英雄をプロデュースする、といったらアレだが、趣味に殉じた愉快犯なのだ。


「俺は、お前の道楽のために生きているわけじゃない。お前の思った通りに動くつもりもない」


 ぴしゃりと言うと、俺の言葉に胸を砕かれたように、ミャロは辛そうな表情でうつむいた。


「そんなつもりでは……」

「そんなつもりだろ、どう考えても」


 俺がそう言うと、ミャロは口をつぐんだ。

 そして、ただただ立ち尽くした。

 五分ほどもそうしていただろうか。


「……すいませんでした。ユーリくんにとっては、ボクの行動は迷惑だったんですね」


 悲しそうに、ミャロはぽつりと呟くように言った。

 それは、吹けば消えてしまう儚げな灯火のような響きだった。


「迷惑に思うわけないだろ」


「……え? ……でも」

「なんで俺が、お前のやることを迷惑になんて思う。今回のことだって、俺は感謝しているくらいだ。俺のためにやってくれたんだろ」

「はい……それはそうですが」


「だけど、俺は、お前がなってほしい俺にはなれない。何かを期待されても困る」

「……そうですか」


 ミャロは現実的でありながら、根っこのところで奇妙なほどに夢見がちでもある。

 ミャロに釣られて俺の方まで夢見がちになってしまえば、待っているのは破滅だ。


 いくら俺に好意的で、有能に見えようとも、ミャロの行動が全て最善という保証はないし、そもそも目指しているものが違う。


 ミャロはシヤルタ王国を改革前進させていこうと思っているのだろうし、俺にそのための立場を作らせようと思っている。

 この小さな大会で栄光を掴ませようというのは、その一要素なのだろう。


 それは、俺の思惑とはベクトルが違う。


 どちらが正しいかは解らない。

 だが、俺は、自分よりミャロのほうが正しいと考えて行動することはできない。

 それは精神的に従属するという事であり、悪い言い方をすれば奴隷の考えなのだ。


「わかってくれたか」

「はい。ユーリくんの言うことも、もっともです。……ボクも、全部が自分の思い通りになる人なら、ついていく意味がないんです。考えてみれば、当たり前のことでした」

「そうか」


 本当に解ってくれたのかは分からないし、未だに不満があるのかも、表情から読み取ることはできない。


 だが、ひとまずは納得してくれたらしい。

 今はそれでいい。



 ***



 ミャロは、おずおずと口を開くと、

「あの……最後に、一つだけ聞いていいですか」

 と言った。


「一つでも十個でも」

「ユーリくんは、魔女家に怖気づいているわけではないんですよね」


「ははっ」

 思わず笑いが漏れた。


「なんであんな連中を怖がる必要がある」

「それなら、いつかは、倒すつもりでいるんですね」


 倒す?

 やはり、ミャロは根本的に俺とは考えが違っている。


「連中は寄生虫だよ。寄生虫は、宿主には強気でも、宿主が死のうという時には何も出来ない。なにもやらなくても、勝手に自滅する運命だ」


 寄生虫は、宿主に対しては強くても、宿主が殺されれば、ほうほうの体で逃げ出すか、一緒に死ぬしかない。

 魔女家の反応がそれに酷似することは、六つの先例がものの見事なまでに証明している。


「そうですか……ボクには、よくわかりません」


 よくわからないらしい。

 まあ、そのうちには嫌でも解るだろう。


 トントン、とドアが叩かれた。

「入れ」


「失礼いたします」

 王城のメイドさんだった。


 第三戦の呼び出しだろう。

 休憩も終わりか。


「ユーリ様、お客様がお出でになっていますが」

 違った。


「……じゃあ、ボクはこれで」

「あ、ああ……。それじゃあな」


 ミャロはメイドさんと入れ違いに、部屋を出て行った。


「緊急の用件だそうです。お会いになられますか?」

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