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第036話 新規開拓

「リリーさん、四号器はありがとうございました」

「うん」


 リリーさんの漉桁四号器は三日前に作業場に届いた。

 今頃は、カフが雇ってきた作業員が紙を漉いていることだろう。


 俺はいつもの喫茶店でリリーさんと会っていた。

 ふたりとも私服の密談だ。


「漉が更に細かくなっていて驚きました」

「まあね~、工具を一つ増やしたんよ。小さい穴を開けられる錐をな~」

 へ~。

「だから、棒を細くできたんよ」


「どうも、面倒をかけてしまっているようで」

「いいんよ。こっちも、六千ルガも貰ってるんやから、工具の一つくらい安い買いもんやし」


 確かに、六千ルガといえば、たいそうな大金である。

 売上ではまだペイできていない値段だ。

 経営学は学んでないが、設備投資費として許容される範囲なのか不安になる。


「それで、今日はなんの話があるのん? また追加注文?」

 そうだった。


「ちょっと考えている事があるのですが、教養院の人にアドバイスを貰いたくて」

「ふぅん? シャムや殿下じゃだめなん」

「ちょっとね、キャロルなんかは顔をしかめそうな話なので」


「もしかして、あの本のことか?」

 ……え。

 なんでわかった。


「ユーリくんのそんな顔見るの初めてやわぁ。驚いた?」

 驚いたよ。


「よく解りましたね。すごいです」

 なんでわかったんだろう。


「まーなぁ、うちも馬鹿じゃないからなぁ」

「読めましたか」

「読めた読めた」


 読まれてたかぁ。


 あの本というのは、教養院の中で出回っている本のことだ。

 教養院では、伝統的に同人誌のようなものが回し読みされている。


 紙は紙として売るだけでは、さほどの金にはならない。

 それでも大層な売上は上がっているのだが、製本して売れば倍の金になる。

 今のように流通させていれば、そのうち誰かが本にしようとするだろうが、その誰かに儲けを譲ってやる必要はない。


 だが、本といっても、この国で字を読める人間は限られている。

 半分以上の人間は、マトモに字を読めないので、本にしても彼らは買わないだろう。


 また、安いといっても庶民からしてみれば高価な品物には違いないのだから、それでも買いたいと思う本を出すのは、なかなか大変だ。


 では、どんな本を出版すればよいか。

 金を持っていて、文字が読めて、読書に対してそれなりの執着がある人間をターゲットにする必要がある。


 俺の身近に存在する購買層は、教養院の娘たちだった。

 彼女らがご執心の本を出版できれば、こぞって買うだろう。という算段だ。


 教養院の寮というのは、とてつもなく大きな建物に、女子生徒が全ておしこめられている。

 もちろん、リリーさんもシャムもそこで暮らしている。

 由来は知らんが、これを白樺寮という。


 人口密度が高ければ、それだけ流通も楽に進むだろう。


「リリーさんはそういう本を読むのですか?」

「うわ……ユーリくん、乙女にあけすけにそういうことを聞いちゃあかんよぉ」


 なにやら嫌な顔をされた。


 そうなのか。

 まずったか。


 白樺寮というだけあって、文芸雑誌の白樺みたいなもんを、高校の文学部の文集みたいな形で発行しているんだと思っていた。

 違うのか。


「まあ、ぶっちゃけると、私も読むけど……」


 なんだか凄く後ろめたそうだ。

 そして恥ずかしそうだ。

 なぜだ。


「どういう形で読まれてるんですか」

「どういう形って?」


「内容はどうでもいいのですが、誰が書いて、どういう形で本にして、どういう風に寮内に流通しているのか、教えて欲しいのです。最後にどこに行くのかも」

「ああ、そういうこと」

「はい」

「秘密ではないから話すけど、私が話したってことは内緒にしといてな」

「もちろんです」


「教養院には、どの時代にも作者って人種がおるんよ」


 作者。

 もちろん、本を書く人のことだろう。


「作者というのは、過去の時代の本を読んで、趣味に目覚めて筆を取らざるを得なくなった人種のことや」


 なんだそれ。


「作者は、筆を取ると決意すると、書き始めて、書き終わったらそれを綴じて、一冊の本にする」


 俺のように、白紙の本を買ってきて自由気ままに書いたりするのではなく、羊皮紙に書いてからそれを本に綴じるらしい。

 順番は逆だが、製本という意味ではこっちのほうが正統派なのだろう。


「そんで、本ができたら、友達に読んでもらうんよ。友達に読んでもらって、あとで返してもらう。ここでは絶対に又貸ししたらいかんことになってる。行方不明になるんが目に見えとるからね」


 流通は貸本スタイルになってるのか?

 大量発行などはしないわけだ。


「でも、そのシステムだと古い本の管理はどうなってるんですか? それに、書いた人は羊皮紙代が馬鹿にならない金額になると思うんですが。出費するだけですか?」


「まあまあ、これから話すから」

「あ、はい」

 先走ってしまったようだ。


「白樺寮には教養の部屋っていう部屋があってな」


 教養の部屋。

 なぜか、なんだか空恐ろしい名前に聞こえる。


 寮の心臓部で生暖かい心臓がドクンドクンと赤黒く脈打っているようなイメージを、なぜか俺は抱いてしまった。


「その教養の部屋は、寮生以外は入れない。掃除婦も立ち入りは禁止されとるから、掃除は寮生がやっとる。一種の秘密の部屋なんや。その部屋には、歴代の作者が書いた本が置いてあってな。この喫茶店くらいの部屋が本棚でびっしりになっとる」


 この喫茶店くらいの部屋となると、それなりに大きい。

 千冊以上は入るかもしれない。

 ずいぶん贅沢な図書室だ。


「古い本も新しい本も、みんなそこに入れてある」


「ちょっとした図書館ですね」

「寮の外へ持ちだしたら、えらいことになるんやけどね」


 門外不出の掟でもあんのか。


「それでな、教養の部屋の室長は、寮長が兼任することになっていてな」

「へえ」

「室長がこれと認めた本は、寮費で買い取って蔵書に入れるんよ」


 えっ。

 寮費で買い取っちゃうの?


「製本代と紙代にイロつけたくらいの値段やけどな。やから、ヘタなもんを書かへん限りは、赤つけることはないようになっとるのよ」


「じゃあ、写本屋に持っていって複製を作ることもできないんですか?」

「基本的にはな。寮外への持ち出しは、寮長に特別な許可を取ればできんことはないけど、やっぱり写本屋に持って行くことは一種の禁忌や。写字生に読まれるということになるからな」


 写字生というのは、文字を書き写す人のことだ。

 悪い言い方をすれば、印刷機の代わりを人力で務める職業、ということになる。


「でも、卒業したら寮に通い詰めるわけにはいかなくなるのですから、思い入れのある本は私有したいと考えるのでは」


 俺が同じような状況に置かれたとして、学生時代に思い入れのできた本というのは特別なものだ。

 金があったら私有したいと思う。


 大人になってから、寮にお邪魔して読みに行くというのは、できなくはないのかもしれないが、小学校の図書館に大人が遊びに行くのと同じで、やはり難しいだろう。


「その場合は、自分で写すか、子飼いの女の子に写させるんよ」


 うわぁ。


 本を一冊写すというのは、とてつもない重労働だ。

 それを、庶民でもない貴族の女性が、自分でするとは。


「しかし、だとすると、あまり売れはしませんかね」

「そうでもないと思うよ」


 リリーさんはお茶を飲みながら答えた。


「今代の作者は、すごい才能があるって言われとるんよ。白樺寮の歴史上、名が残るくらい有名な作者は五人くらいおるけど、それに名を連ねることになると言われとる」

 ほほー。

「その人の作品を出せれば、売れるということですか?」

 リリーさんの言う凄さというのが、いまいち解らない。


「考えてもみ。白樺寮には五百人以上の子がおるんよ? 作者が新刊を出します、貸してまわします。それはええよ。だけど、一年は三百六十日ちょっとしかないんやで」


 ああ、そういうことか。

 考えてみれば、問題は明らかだった。


「白樺寮の全員がそういう趣味を持ってるわけやないけど、借りた人が全員、一日で読みきっても、一年以上順番待ちが発生するんや。そんで、今代の作者は多作やから、一年に二冊も三冊も出しよる。どんなに読みたくても、読まれへんやないの」


 やりたくても量産化ができないわけだ。

 大変なことだな。


 ベストセラー作家が本を出したとしても、読むまでに一年以上待たなければならない。

 本読みにとっては血の涙が出そうなほど苦しい状況だろう。


 運良く早めに読めたとしても、良い本であったら読み返したいと思うのが心情というものだ。

 だが、それも叶わない。


 加えて、学校には卒業という制度がある。

 卒業間近の人などは、もっと苦しいだろう。

 下手をすると読む機会が永遠に失われるかもしれないのだから。


「しかし、それだと、こちらで出したものを売るのは」

「羊皮紙本の半額くらいなら、買う子はたくさんおると思うけど」

「いえ。白樺寮の掟のようなものに反するのでは?」


 今、紙を流通させているように、開けた市場のようなところで売っていくなら、掟なんぞある程度無視してもいいだろう。

 掟というのは時代によって変わるものだし、掟を無視すれば新しい掟ができるだけだ。


 だが、その本を売るとしたら、今度は完全に閉鎖した世界で売ることになる。


 寮内は男子禁制なのだから、俺は入ることすらできないのだ。

 教養院は掟に支配された世界だから、掟を破れば誰も買わないだろうし、無茶を通せば悪評が立ってしまう。

 魔女を輩出する白樺寮で悪評が立つというのは、非常によろしくない気がする。


「どうやろな……私にはちょっと、そこまでは分からんけど。重要なのは、これは趣味の活動やってことなんよ。作者はべつに、誰に強制されているわけでもないし、人気が出たからって教養の部屋に必ず入れなきゃならんってわけやないのよ。だから……うーん、でも……」


 なにやら、悩ましいようだ。


「なにか問題が?」


「問題はないと思うけど、掟っていうても、きっちり文字にしてあるわけやないからね。もちろん、門限とか男連れ込んだらあかんとかは、文字になっとるんやけど……。だから、なんちゅーか……」


 煮え切らない。


「つまり、意見が一致していない要件でも、無理やりに掟の一つと解釈したがるような人たちがいるんでしょうか」


「それやねん」

 リリーさんがビシッと俺を指さした。


「評価の高かった本でも、教養の部屋に入れるかどうかは本来自由なんやけど、みんな入れとるから、入れるのが掟の一つやって思ってる奴とかな。やっぱりおんねん」


 どこの世界にもそういう人間はいるものだなぁ。

 自分のルールと普遍のルールの区別が付かない輩が。


「まあ、そこは、需要がなんとかしてくれるでしょう。必要は妥協を産むものですから」

「そうやな、そうかもしれんな。現状の順番待ち争いときたら、ほんとに馬鹿らしいから……」


 なんだか苦々しい顔をしている。

 よくわからんが、何やら思うところがあるんだろう。


「どちらにせよ、作者の方に直接お話しする必要がありますね。その人気作家は、リリーさんのお知り合いなんですか?」


「いいや。でも、大図書館に行けば大抵おるよ」

 ああ、大図書館か。

 なんだか、らしいな。

「なるほど。では、訪ねてみます。お名前は分かりますか」


「ピニャ・コラータや」

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