第018話 入学試験
十歳になった俺は、騎士院とやらに入学することになった。
今日からは王都での暮らしに移る。
鬱だ。
この世界に来てから一番楽しかったのは、なんだかんだで一歳から七歳までの間だった気がする。
それからは、歴史を覚えさせられ、国語を覚えさせられ、それが終われば古代シャン語を覚えさせられ、最後の一つは結局ものにならなかったが、ろくなことがなかった。
ソイムにはぶっ叩かれるし。
とはいえ、数日前にソイムの手から家伝の短刀を手渡された時は、思わず感動し、三年間の修業の日々を思い、涙が出た。
***
王都にはホウ家の別邸があり、入学式を控えて家族みんなでここに来ると、その日はなにもせずに泊まった。
そして今日は入学試験である。
入学試験といっても結果が悪ければ入れないという質のものではなく、クラス分けテストの類であるらしい。
この国には小学校があるわけではない。
十歳までは教育は各自の家庭で任される。
なので、学力にバラつきがあるのだろう。
最下級のクラスに振られたら文字の書き方教室みたいのが始まるのかもしれない。
サツキの教育とは逆の意味で、一年間そんなところに閉じ込められるのは拷問でしかないので、ここは頑張らなくてはならない。
そして、朝。
「いいですよぉ、こなくても。一人で行けますから」
俺は懸命に両親をなだめていた。
「何を言ってるんだ、親は付いていく決まりなんだよ。他の子たちも親子連れで行くんだから恥ずかしがらなくていいんだ」
ホウ家が持っている馬車を出すというから一人で行くのかと思ったらこれである。
なんなんだろう。
侍女さんに騎士院の制服らしきものを着せられたかと思ったら、両親まで正装していて、俺についてくるつもりらしい。
両親が正装してクラス分けテストについてくるって。
どういうことなの。
「ホントですか?」
「嘘いってどうするんだ」
マジなのかよこれ……。
勘弁してよ……。
「ユーリは私が行ったら恥ずかしいかしら……」
スズヤはそんなことを言ってしゅんとしている。
スズヤの悲しげな顔を見てると、俺まで悲しくなってくるから不思議だ。
俺は慌てて、
「そんなことはないですよ。僕の自慢のお母さんですから」
とフォローを入れた。
「じゃあ、なんで一人でいくなんて言うの?」
「こんなことでお父さんお母さんを煩わせることもないかと思って……ただの試験ですから」
「息子の晴れの舞台を見るのを煩わしいなんて思うわけがないでしょう?」
スズヤは俺をじっと見つめている。
こんな目で見られると、俺が間違っていたと思ってしまう。
これが母は強しってやつか……。
「ごめんなさい。僕が間違ってました。今日はよろしくお願いします」
こうなったらもう折れるしかない。
俺は折れた。
「はい、よろしい。ちゃんと応援しますからね」
こんなお母さんにそんなことを言われたら、息子は頑張らない訳にはいかない。
がんばろう。はぁ。
そうして、親子三人で馬車に乗り込み、走りだした。
思えば、王都で馬車なんぞに乗るのは初めてだ。
そのまま三十分ほど走ると、やたら大きな施設にぶち当たった。
ずーーーっと塀が続いていて、途切れるところがなく、塀の向こうには木々が見えている。
案の定そこが騎士院だったようで、馬車は塀の途中で曲がり、大きな門のようなところに入っていった。
ルークに聞いた話によると、ここは騎士院には違いないのだが、全部が騎士院というわけではないらしい。
この施設の中には騎士院と教養院という二つの施設が混在している。
全部をひっくるめて『学院』というらしく、つまりさっき通った大きな門は学院の正門ということになるのだろう。
騎士院には主に男が、教養院には主に女が入る。
ルークの在院中には同級生に女は一人もいなかったそうだが、教養院には男がけっこういるそうだ。
では教養院というのはなんなのかというと、騎士ではなく魔女という不思議な身分の人々が入るらしい。
こいつらは、つまりは王に仕える官僚である。
幕府でいえば将軍家直轄の旗本や御家人のようなものだが、魔女というのは戦う役柄ではなく、純粋に事務というか役人の仕事をしているらしい。
教養院には主に魔女家の女、魔女家の男、騎士家の女が入る。
騎士院には主に騎士家の男、魔女家の男、極稀に魔女家の女が入る。
こういう仕組みになっているようだ。
魔女家の女と騎士家の男は、これはもう明々白々に官僚と軍人になるのだが、その他がちょっとややこしい。
魔女家の男というのは、腕っ節があれば王の軍である近衛や将家の騎士団に入れる。
頭が良ければ、出世には不利で大臣級には絶対になれないが、官僚にもなれる。
立場的には宙ぶらりんでどっちに転んでも出世には不利なのだが、比較的自由で強制されない人生を送れる。
実家にはあまり期待されないので、場合によっちゃ家を捨てて商人になったり、農家になったりもするようだ。
騎士家の女というのは、よほど頭脳明晰なら官僚コースにもいけるが、普通は他の騎士家の嫁になる。
教養院に行くのはよほど良家の娘であって、ここには純粋に教養を積む目的で行く。
サツキがこれにあたる。
稀なのは騎士院に入る魔女家の女で、これは少数だが栄達の道が用意されているらしい。
彼女らがなにになるかというと、近衛軍の将校になる。
騎士家の軍には女性はほとんどいないが、近衛軍は騎士たちとは切り離された七大魔女家と王家が金を出して維持している軍団なので、最高司令官は女王で、将軍クラスは全て女性である。
とはいえ、女の子で棒きれ振り回して将来は軍に入りたいという人材は少ないので、近衛軍の大部分は男性で構成されているのだが、彼らは女性の尻に敷かれているわけだ。
ルークの親友に当たるというガッラがこれだ。
ガッラはめちゃくちゃ出世して、ようやく近衛軍第一軍の五百騎隊副長という役目についたが、通常はそれで出世終了らしい。
もう上には上がれない。
あとは軍団長や、総軍団長のシリに敷かれる将来が待っているだけだ。
***
ちなみに教養院のテストは、昨日実施されたらしい。
正門から中に入っていくと、既に馬車が連なっていた。
大人がいっぱい居る。
確かに、ルークが言っていたのは真実で、これは父兄参加型のクラス分けテストらしい。
どうなってんだよこの国は。
馬車の群れの中にホウ家の馬車が入ってゆくと、なんか大人たちの視線がこっちに集中した気がした。
馬車が奥詰まりまで行って停まり、御者が降りて客車のドアを開ける。
一家三人が地面に降り立つと、明らかに声が止んで耳目が集まっている気配がした。
なんなんだ、こいつら。
やっぱりホウ家の威光は絶大なのか、それとも牧場主上がりの非騎士のルークについて変な評判でも立っているのか。
なんだか悪目立ちという感じがする。
どちらにしろ、これから先のことを考えると頭痛がしそうだ。
ルークは、なんだかんだでここ三年で慣れたのか、気圧されもせずに平気な顔をしてスズヤをエスコートして、建物に向かってゆく。
俺もその後ろについていった。
なにやら大学の校舎のような、立派なレンガ造りの建物の中に入っていくと、大企業の受け付けみたいな場所があり、そこには受付嬢みたいな人が座っていた。
「ルーク・ホウだ。こっちは息子のユーリ」
ルークが受付嬢にそう言うと、
「承りました。すぐ係の者が試験会場に案内します。ルーク様、スズヤ様は父兄控室でお待ちください」
なんだ、スズヤまで名前を覚えられてんのか。
たいしたもんだなおい。
「では、私がご案内させて頂きます」
ほぼノータイムで、なんだか美人のお姉さんがやってきた。
案内人がついてくれるらしい。
ここで両親とはしばしのお別れである。
「頑張るんだぞ、ユーリ」
「応援していますよ」
ルークとスズヤはニコニコ笑顔でバイバイと手を振っていた。
大学受験じゃないんだからもう……。
お姉さんについて、試験会場となる部屋に入った。
すぐに、様子が変なことに気付く。
そこにいる連中は、当たり前だが俺と同じような年齢の子が多かった。
変なのは、テストが既に始まっていることだ。
二、三十人いる子どもたちは、大学の講義室にあるみたいな長机に座って、手元の木の板に向かってなんだか書いていたり、頭を捻ったりしている。
揃いも揃って超真剣に落書きに興じているのでなければ、こいつらは皆テストをしているということになる。
その横には一人ずつ、男だったり女だったりする職員のような人がついている。
もうテストが終わったのか、記入を終えた板を前の方に提出し、部屋から退出する子どももいる。
どうなってんだ。
一斉に始めなきゃ条件的に平等にならないじゃん。
時間制限がないのか?
それにしたって、後から来た人間に問題が漏れる危険を考えれば、全員を閉じ込めて一斉に開始するのが普通だろう。
そんなんでいいのか。
なんだか訳が分からないまま、俺も適当なところに座らされて、木の板を机の上に置かれて、インク壺と羽根ペンが添えられた。
木の板には名前をかくところもなく、白っぽい木肌の板に問題だけが書いてある。
もちろん、問題は印刷ではなく肉筆で書いてある。
羊皮紙ももったいないってか。
問題は十問しかない。
和訳するとこんな感じだ。
問1:我が国の名前を答えよ。
問2:隣国の名前を答えよ。
問3:12×3はいくつか。
問4:上を北として東西南北を書き込め。
問5:女王の名前を答えよ。
以下の文章を読んで問に答えよ。
クロはおおきな槍をもっていましたが、その槍は盗まれてしまいました。
盗まれた槍はうられてしまい、シロはたくさんのお金をもらいました。
シロはそのお金でびょうきのアオにくすりをかってあげました。
クロはシロをみつけだすと、こぶしでなぐりつけました。
クロはアオのすがたをみると、シロをゆるしました。
問6:クロの槍を盗んだのは誰か。
問7:シロはなぜお金が欲しかったのか。
問8:クロはなぜシロを殴ったのか。
問9:クロはなぜシロを許したのか。
問10:クロ、シロ、アオを漢字で書きなさい。
こんな感じだった。
いくらなんでも簡単すぎだろ。
俺が三年やってきた勉強はなんだったんだ。
大学入試試験のような勉強をさせておいて、本番がこれじゃ肩透かし通り過ぎて怒りが湧いてくるぞ。
あのババア。
なんだかひどく虚しい気分になりながら、さらさらと問題を解き「終わりました」と言った。
時間にして五分もかからなかったろうか。
「もうですか?」
案内人さんは俺の木の板を覗いて、回答が揃っているのを確認した。
「あっはい。では、ついてきてください」
そうして、前の方に連れて行かれる。
そこには、なんだか先生っぽい年かさの女性がいた。
「名前を言って提出しなさい」
「ユーリ・ホウです。回答終わりました」
その老先生はちらと木板を見ると、マルバツも付けずに「一の部屋に連れて行きなさい」と言った。
隣の筆記役と思しき人がすかさず筆を動かし、ユーリ・ホウ・一、と書いているのが見えた。
なんだこりゃ。
「ついてきてください」
俺はわけがわからず、案内の女性に伴われて、その部屋を出て行った。
***
俺は連れられるままに歩いて、とある部屋に入った。
その部屋は先の部屋よりだいぶ狭い部屋で、既に五人ほど他に子どもが居た。
「では、ここでお待ちください」
案内人さんは、一仕事終わったとでもいうかのように、俺に向かって丁寧に頭を下げた。
そして踵を返して、先ほど入ってきたドアに向かって一歩二歩と進んでいく。
俺をここに置いて帰る構えらしい。
わけがわからん。
「ちょっとまってください。なんですか? ここは」
俺が背中に問いかけると、案内人さんは振り返って首を傾げた。
「試験会場ですが?」
????
試験ならさっきやったじゃん。
「お言葉ですが、試験は先ほど終えたのでは」
俺がそう言うと、案内人さんは意を得たりと納得した表情になった。
「ああ、あれは、前段階試験といって、おおまかな試験です。これからやるのが本当の試験なんですよ」
へ?
あー……。
そういうことか。
少し考えたら、なんだかストンと納得がいった。
学力に幅がありすぎるから、予め簡単なテストでおおまかに何個かクラスを分けて、これからもう一度テストをするわけか。
だから木の板で、しかも一斉に開始しないでバラバラにやってたわけだ。
そんなテストに一々羊皮紙を使うのはもったいないから、済んだら木の板を削って使いまわすんだろう。
案内人さんが、試験中隣で付きっきりで待っていたのも不思議だったが、それはあそこが単なる通過点だったからだ。
すぐ終わるのが当然だったってわけだ。
「よく分かりました。すいません、仕組みをよく分かっていなかったもので」
「いえいえ」
案内人さんはぺこりと会釈して、今度こそ部屋を出て行った。
なんだ。そういうことだったのか。
なーんだ。
でも、説明してくれなきゃ普通にあれが本試験だと思っちゃうだろ。
察するに、これはルークかだれかが事前に俺に説明しておくべき事項だったんじゃないのか。
あのやろう。
まあいい。試験が始まるのを待つか。
***
待てど暮らせど本試験は始まらず、およそ三十分ほど待っても、まだ始まらなかった。
考えてみれば、前段階試験が全員分終わらなければ、本試験は始まらないのだ。
誰かが粘っているのか、それともルークが俺を会場に連れてくるのが早すぎたのか。
それから更に三十分ほど待たされたろうか。
部屋の子どもの数は、どんどん増えていった。
あのテストの内容であれば、満点をとれる子どもはそう珍しくないのだろう。
だが、会場にいた人数を考えれば、ここにいる人数は少ない。
それを考えると、ここは十点中九点以上クラスとかではなく、満点のみが選り分けられるクラスなのかもしれない。
部屋の子どもがお互いに打ち解けあってぺちゃくちゃと私語が始まったころ、ようやく先生が現れた。
先生は一人の女の子を伴っていた。
俺と同年代くらいだ。
そいつは、目が覚めるような美しく整った顔立ちをした女の子だった。
この国では珍しい、色の薄い金髪をしている。
考えてみれば、ここは言ってみれば北欧なので、金髪は珍しくないイメージはある。
だが、金髪の人間というのは、実のところ、俺はこの国で初めて見た。
もちろん、何十人かいる受験生たちにも、金髪なんてのは一人も居ない。
俺からしてみれば、金髪碧眼の人間が「これでも先祖代々生粋の日本人です」と言って出てきたのと同じような感覚であり、相当びっくりした。
シャン人に金髪って存在したんだ。
物珍しさからジロジロと見る。
周りを見ると、周囲の子どもたちもジロジロ見ていた。
なんとなく怜悧な感じがして、親しみにくさを感じるな。
まあ、緊張で顔が強張っているせいで、そう感じさせるのかもしれない。
女の子は、すぐに俺よりずっと前の席に座って、こちらに背を向けてしまった。
女の子だよな?
ルークは女の子なんて騎士院にはいない。みたいなこと言ってなかったか。
ありゃ嘘か。
しかし、シャムと同じくらい可愛らしい顔をしていたが、なんだかタイプが違うな。
シャムはよくみるとクリクリとした目をしていて、全体が小さく丸くまとまっている感じで、さっきの娘とはだいぶ印象が違う。
シャムは仏頂面をやめれば誰からでも親しまれるような可愛らしい顔をしているが、そこの娘はニコニコ笑ってても気軽にお近づきになれそうな雰囲気にはならないだろう。
いや、わからんけどね。
まあ、とにもかくにも、この女の子が最後の生徒ということになるか。
つーか、頼むからそうであってくれや。
「では、用紙を配ります」
先生が宣言し、一人ひとりに試験問題となる用紙を配り始めた。
やった。
ようやく始まる。
やがて、俺のところにも羊皮紙で出来た試験問題が配られてくる。
これを終わらせれば、とにもかくにも今日は帰れるってことだ。
さっさと終わらせよう。
試験用紙の表面に視線を滑らせる。
軽く内容を読むうち、目を丸くした。
おいおい。
最初の問題は、ホウ家の屋敷で読んだ、孫氏のまがい物みたいな兵書に書いてあった戦略用語に関しての問いだった。
なんの説明もなく、これはどういう意味か、と書いてある。
当たり前だが兵書を読んでなければ答えようがない。
確かに有名な兵書ではあったらしいが、十歳で大人が読むような小難しい兵書を読んでいる子どもが、いったいどれほどいるのだろうか。
ルークもサツキもなにも言わなかったが、受験する前に読んでおくべき基礎文献とかいう扱いなのか?
そうして、その次には、それを使った戦闘場面での動きに関する記述問題もある。
本を読んでなかったらこの時点で二問不正解で、まあ百点満点で二十点はマイナスだろう。
というか、十歳の子どもに記述問題はきついだろ。
その手の問題ばかりではなく、中には直角三角形が書いてあって、隣辺二つの長さが書いてあって斜辺の長さを求める問題もあった。
これはピタゴラスの定理(隣辺二つを二乗した和=斜辺の二乗)を知っていなければ解けないし、乗数に関しての初歩的な理解がなければ解けるものではない。
まあこれは5、12、13の直角三角形だから平方根を使わなくてもいいようになってはいるようだが、やはり十歳には荷が重い問題であろう。
地理系問題はシャンティラ大皇国が滅び、分裂したあとのすべての国家名を書けというものだ。
これは、前段階試験でこの国と隣の国の名前を問われている。
なので、ここにいる子どもは、おそらく最低二つは覚えているはずだが、全部で九あるので全部覚えている子どもは稀だろう。
さすがに古代シャン語の問題はないが、国語の文章問題は、かなり難しい部類の、九国家のうち真っ先に滅びたゴジョランという国の、外交的失敗に関して分析する文章だった。
もちろん記述問題も含まれているが、こんなん書けるやつがいるのか。
「この砂時計の砂が落ちきるまでが時間です」
と、監督の先生が大きな砂時計を裏返した。
とりあえずやってみるか。
***
全部で一時間くらいかかっただろうか。
なかなか手応えのある問題だった。
だが、なんだかんだで全問解けた。
というか、幾ら難しいと言っても十歳児向けの問題なのだから、俺が解けなかったら恥ずかしい。
前を見てみると、砂時計は半分も減っていない。
すると、試験時間はトータル三時間くらいか。
試験用紙持って、迷惑にならないよう、できるだけ静かにそろーりそろりと前に進んでいった。
無言でペラリと試験用紙を差し出すと、
「まだ時間は残っていますよ」
と、咎めるように小声で言ってきた。
「あ、時間になるまで外出禁止なんでしょうか」
そんなことになったら涙目である。
あと二時間も、今度は音を立てないために身じろぎもしないで待ってなきゃならないとか。
それはさすがに辛すぎる。
「いいえ。退出は自由です。ですが、戻ることはできませんよ」
なんだ。よかった。
「なら、全部解けたと思うので、僕はもういいです」
俺は試験用紙を提出すると、そそくさと部屋から出て行った。
***
少し迷子になったが、来た道はおぼろげながら覚えていたので、途中まで戻り、運良く見つけた職員に道を尋ね、なんとか父兄の控室に到達することができた。
中に入ってみると、少し酒臭い空気が鼻についた。
なにが控室だ。パーティーホールじゃねーか。
パーティーホールとしか思えない大広間には、料理が並べられていて、立食会みたいなものが催されていた。
酒のたぐいも存分に振るまわれている。
そりゃ、父兄参加って言うはずだよ。
裏でこんなことやってたんかい。
子どもたちが頑張っているときに、親は酒をかっくらって大宴会とは。
大宴会というより社交パーティーといった趣ではあるけどさ。
大人からしてみりゃ、父兄の懇談会なんだと主張するんだろうが、子どもからしてみりゃ呆れた話だ。
しばらく歩きまわると、やっとルークを見つけることができた。
俺が見つけたとき、ルークは心底呆れたことに、親友のガッラと小さな丸テーブルを囲み、腕相撲をしていた。
子どもかこいつ。
顔がちょっと赤くなっていて酔っ払っていることが解る。
酔っ払って興に乗って昔馴染みと腕相撲勝負とか。
呆れた親である。
スズヤは斜め後ろに付き添うように、平静を装ってニコニコ微笑んでいるが、あんまり取り繕えていない。
いつもならルークの頭をひっぱたきでもしているところだが、フォーマルな場なのでどうしたらいいかわかんない。みたいな感じだ。
スズヤは、口元で微笑みを作ってはいるが目は笑っていないので、ルークに怒っていることは明々白々である。
周囲にわからないように尻でもつねってやればいいのに。
「父上、なにをしてるんですか……」
思いのほか呆れ返ったような声が出てきた。
「んっ!? ああっ、ユーリか。これは……」
俺の顔を見た瞬間、気が抜けてしまったようで、ルークは一気に競り負けて腕相撲に負けた。
バスンと手の甲がテーブルに打ち付けられる。
「いってぇ」痛そうに手をパタパタと振る。「ったく、手加減しろよな」
「気を抜くほうが悪い」
ガッラはニヤリと笑った。
「ユーリ、どうしたんだ、試験は」
「終わりましたよ」
見てみれば、ホールの中にいるのは大人ばかりで子どもは一人もいない。
宴会も真っ最中のようだし、早めにテストを終えて抜け出してくる子どもというのは少ないのかもしれない。
「まだ二時間くらいあるだろ」
「まだ二時間もあるから抜けてきたんじゃないですか」
「……ちゃんとやったんだろうな?」
なんだか心配そうだ。
失敬な。
「確実に満点だったとは言えませんが、それなりにやりましたから、大丈夫ですって」
「そうか。ま、それならいいんだが……」
それなら時間いっぱいまで粘ってこなきゃだめだろ、とか言われるかと思ったが、頭脳については信頼があるのか、ルークはなにも言ってこなかった。
「久しぶりだな、ユーリ君」
ガッラが声をかけてきた。
俺も前にあったときと比べると背がだいぶ伸びているはずだが、ガッラの体格はなおデカい。
「お久しぶりです、ガッラさん」
ぺこりと頭を下げる。
「もう全問解いたのかい?」
気のいい口調で言ってくる。
「ええ、まあ」
「もしかしたら、俺の息子と同じクラスだったかもしれないな。見なかったか?」
「どうでしょうね。けっこう人がいたので、わかりませんでしたが」
「そうか。まあ、会うことがあったら仲良くしてやってくれ。ユーリ君と違って、どうしようもない悪ガキだがな」
うっわー。
嫌すぎる。
この人、ちょっと正装じゃ包み隠せないほどガタイがいいし、悪ガキがその体格を受け継いでたら、始末に負えないよ。
「悪ガキですか。怖いですね、お友達になれるといいんですが」
俺は心にもないことを言った。
「あんまり悪さをするようだったらとっちめてくれていいぞ」
声を大にしていいたい。
自分でやれ。
クソガキの調教を他人に任せるな。
「息子さんのお名前はなんていうんですか」
「ドッラ・ゴドウィンだ」
ドッラな。よし。
ガッラの息子でドッラ。
覚えやすい。
「よく覚えておきます」
絶対お近づきにならないようにしよう。
「それじゃ、父上。帰りましょう」
「えっ、帰るのか?」
残念そうだ。
まだ飲んだり食ったりしてえってのか。
「これから式典かなにかがあるんですか?」
「いや、ないが」
「じゃあ、帰りましょう。ほら、母上の具合も芳しくないご様子ですし」
ちらとスズヤをみると、芳しくないどころか若干ながら仁王立ちする仁王のような雰囲気を漂わせているが、まあいいだろう。
「さすがに僕も少し疲れましたので」
「そ、そうだな。じゃあ帰るか」
「ガッラ、またな」
「おう。お前も頑張れよ」
二人は気さくに別れを言い合う。
「それでは、お先に失礼させていただきますね」
「さようなら、ガッラ様」
スズヤはスカートの裾を少し摘んで礼をする、一般的な女性礼をした。
やっぱり似合わない感じだな……違和感がある……。
その日はそのまま馬車に乗って帰った。
明日は入学式だ。