第023話 やりすぎた
人生初の喧嘩で、慣れていなかったからか、やりすぎちまったな。
がむしゃらだったけど、考えてみりゃあ、自衛といっても過剰防衛の謗りは免れまい。
はぁ……やっちまった。
家に帰って親父とお袋に怒られるか。
「ユーリくん、待ってください」
沈んだ気分で寮から出たところで、ミャロに話しかけられた。
足をとめる。
「……なんだ?」
何の話だろう。
「あんなことがあって気が高ぶっているのかもしれませんが、まずは手と顔を洗ったほうがいいですよ。血がついています」
「そうか」
思わず、袖で顔を拭おうとした。
ミャロが俺の腕を握って止めた。
「袖が汚れますよ」
確かに。
だが、殴った手じゃないほうにも血がついているので、袖くらいしか使えない。
「裏口に井戸がありますから、そこで洗いましょう」
ミャロは俺の手を無理やり握って、歩き始める。
血が付いてるからそっちの手まで汚れるだろうに。
「悪いな、何から何まで」
「いいえ。気にしないでください」
気にするよ。
「見てたのか」
「見てましたよ。凄かったですね」
ミャロの声色は少し浮き立っている。
興奮しているみたいだ。
「凄くはないよ。馬鹿なことをした」
今思えば、あそこまでする必要はなかった。
俺は逆上するとああなってしまうのか。
知らなかった自分の側面を、今知った思いだ。
すぐに井戸にたどり着くと、ミャロは血に汚れた手で真新しい釣瓶をたぐり、清水の入った桶を引っ張りだした。
「お手を貸してください」
言うとおりに手を差し出すと、ミャロは桶を傾けて水をじゃーじゃーと流した。
手が洗われてゆく。
綺麗になると、今度は俺がミャロの手を洗ってやって、最後に自分の顔を洗った。
ついでに、少し血がついた袖口なども濯いだ。
洗い終わると、なんだか少し気分が晴れた気がした。
そうして初めて、今までずっと血なまぐさい気分だったことに気付く。
「はー」
思わずため息がでる。
やっちまった。
退学か。親父とお袋に申し訳がたたねー。
「出会ってそうそうなんだが、これでお別れかもしれんな」
「え、なんでですか?」
「こんなことしでかしたら、退学になってもおかしかないだろ」
「プッ」と、ミャロは軽く吹き出すようにして笑った。「退学になるなんて考えてたんですか? そんな事があるわけないじゃないですか」
「そうか?」
そんなこともないと思うが。
「キャロル殿下を殴ったのならともかく、こんなことでホウ家のあなたが退学になるなんて、そんな馬鹿馬鹿しいことはありえませんよ」
やけに断言するな。
「でも、だいぶひどく殴っちまった」
「殺したわけではないでしょ?」
「それはそうだが」
死にはしないだろう。
というか、この子どもの体では、道具を使わなければ打撃で人を殺すなんてことはできない。
「学院だって大事にはしたくないんです。ご両親のもとに返した時には、出血も止まってますし、顔も綺麗になってますよ。場合によっては化粧をしてごまかすかも。だから、そんなに心配なさらずとも、大丈夫です」
確かに。
別に顔の皮膚が破けて血が出たわけではなく、鼻血が出ただけだから、洗い流せば打撃痕しか残らないはずだ。
まぶたぐらいは切れてるかもしれないが。
骨も折っていないし。
「それに、ドッラくんの問題児ぶりは有名です。万が一にも、あなたが退学になるなんてことは、ありえませんよ。ボクが保証します」
そう言われると大丈夫な気がしてきた。
「なるほど。少しは気が楽になったよ」
気持ちがだいぶ楽になった。
さすがに入学即退学じゃ、ルークやスズヤに申し訳が立たないからな。
「お役に立てたようで光栄です」
ミャロは嬉しそうに言った。
***
ミャロと別れて、徒歩で別邸に帰ると、門番がお出迎えしてくれた。
「こんばんは、戻りました」
というと「おかえりなさいませ」と言って通してくれた。
顔見知りだから顔パスだ。
でも馬車に乗ってなかったから不思議そうだったな。
別宅に入ると、侍女が出てきて、めざとく俺の服の返り血を見つけて「お怪我をなされたのですか」と聞いてきた。
「いや、さっそくルームメイトと喧嘩をやらかしちゃったんだ。これは返り血だよ。落ちるかな?」
「すぐにお脱ぎください。お着替えをもってきます。あ、ここではなんなので、応接間で」
言われなくても、玄関口で素っ裸になったりはしないよ。
俺が何か言う前に、もの凄い勢いで飛んでいってしまったので、応接間へ行ってそそくさと制服を脱いだ。
侍女さんは、服を脱ぎ終わる前に替えを持ってきた。
「申し訳ありませんが、ご自分でお着替えください。血は時間がたつと染み付いてしまうので」
だから急いでたのか。
俺が脱ぎ終わった制服を渡すと、速攻で服を持って出て行った。
多少乾いてしまったが、井戸の水で袖口も濡らしておいたからセーフなのかな。
俺は服を着替えると、そのまま応接間のソファに座って休んだ。
「ユーリ、どうしたんだ?」
すると、話を聞きつけたのかルークがやってきた。
領にとんぼ返りはせず、まだ首都にいたらしい。
「……さっそく喧嘩をしてしまい、寮から追い出されました」
正直に言った。
情けない。
「喧嘩? 誰とだ」
ルークは真剣な表情で、俺に問いただした。
少し怒ってるふうでもある。
そりゃ怒るよな。
「ガッラさんの息子さんとです。今日いってみたら、偶然なのか分かりませんが、ルームメイトで」
「ああ」
ルークは納得したようだ。
「あー、喧嘩はしちゃだめだぞ。武芸の技は喧嘩に使うものじゃない」
月並みの台詞を言ってくるが、なんだか感情がこもっていない。
息子の問題児ぶりについてガッラから詳しく聞いていたのかもしれん。
「反省しています」
「軽々しく喧嘩はするなよ」
「はい」
「向こうから突っかかってきたのか?」
「はい」
「そうだと思った。多少ガッラから聞いてたからな」
やっぱり。
「そうですか」
理解ある親で助かった。
失望した目で見られ、頭ごなしに小言を言われたら、かなり辛くなってたところだった。
「まさか刃物は使ってないよな」
俺もそこまでアホじゃない。
「素手です」
「骨を折ったり、顎を割ったりしてないか?」
「していません」
していないはず。
「そうか……。一応聞いておくが、殺してないよな? 気を失うまで殴ったりとかは?」
聞く順番が逆だろ。
思わず吹き出しそうになった。
「殺してはいませんが、絞め落としました」
「絞めたのか」
ルークは一転、責めるような口ぶりになった。
責めるのもわかる。
「なんでそんなことをした。あれは修練が足らない人間がやると危険なんだぞ」
「狂犬みたいなやつで、絞め落としでもしないと、体力尽きるまで戦うのをやめそうにないと思ったので」
これは本当だ。
「そういうときは腕緘で……」
「それだと肘を痛めるんじゃないですか」
俺は関節技も学んでいる。
アームロックをかければ、殴られたのとはまったく質の違う激痛が走るので、相手を簡単に制圧することができる。
これはもう、決められれば抵抗ができるような質の痛みではない。
だが、がむしゃらに解こうと暴れられると、腱を痛めさせてしまう恐れがある。
腱の損傷は総じてタチが悪い。
十年たっても二十年たっても、日常的な動作の節々で腱が痛む場合がある。
痛みは軽いものだが、我慢すればいいというものではない。
例えば槍をふるう動作のある点で痛みが走れば、動作はぎこちなくならざるをえなくなるから、騎士としては一生ものの障碍になり得る。
「うーん。なら、攻撃を避けつつ足を蹴るんだ」
足。
足かぁ。
「僕より体格の大きい相手でしたが、僕の体でもやれたでしょうか」
足は考えなかった。
小さい体では、元から打撃でダメージを負わせるのは難しいので、打撃をメインに戦うという考え方はしてこなかった。
ソイムにも、大人になるまでは打撃に頼るな、と言われていた。
「繰り返し蹴ったらいけただろうが、どうだろうな。喧嘩慣れしたようなやつ相手に、逃げながらやるっていうのは、技術が要るからな。ガッラくらいの体格になると、鍛えていない男くらいなら、一発で立てなくなるが」
確かに、ローキックで立てなくさせることができれば理想的だ。
だが、ルークの言うとおり、殴りかかり掴みかかってくる相手に一定間隔を保ちながらローを何度も当て続けるというのは技術がいる。
整備された校庭の真ん中のような、幾らでも下がれる場所でスタートしたのならともかく、あんなに狭い部屋の中ではどうにもならなかっただろう。
下手すりゃ壁にたたきつけられて組み敷かれてボコボコにされていた可能性もある。
俺には難易度が高すぎる。
「じゃあ、結局、喧嘩を買わないほうがよかったんでしょうか。降参して、寮監に訴え出るとか。どうしても駄目ならココから通ってもいいんですし」
「そうかもしれないが……それは騎士の態度ではないかもな。けっこう馬鹿にされるぞ」
意外にもルークは苦い顔をした。
そんなことは男としてやってほしくないという感じだ。
なんだ、喧嘩を売られてケツまくって逃げたら、それはそれで問題なのか。
結局は喧嘩売られた時点で八方ふさがりだったんじゃねえか。
喧嘩はするな。だが喧嘩を売られたら買え。だが相手を怪我させるな。ということか。
理不尽なことだが、人間関係にまつわる問題というのは、たいがい理不尽なものだ。
どうしても喧嘩を買わなければならないときは、決闘というシステムを使うことになるんだろう。
だが、十歳で認可が降りるのかどうか。
それ以前に、俺も殺し合いをしたいわけではない。
「まあ、今日はガッラと飲みに行く予定だったから、話してみるさ」
こ、この親父……。
息子が四苦八苦しているときに飲み会の約束を取り付けてやがったのか。
まあいいけど……。
「えっ、どうしたの!?」
声が響く。
ルークの後ろからスズヤが出てきて、こっちを見ていた。
居るはずのない俺を発見し、思わず声をあげてしまったのだろう。
思わず背筋が凍る。
ある意味、一番叱られたくない、気まずい相手だった。
「す、すいません。帰ってきてしまいました」
我ながら情けない声がでるもんだ。
「ユーリはちょっと友達と喧嘩しちまったんだよ、よくあることだ」
ルークがすかさずフォローを入れてくれる。
サンキューパパ。
「あなたは黙ってて」
スズヤはぴしゃりと言った。
パパはぴたりと口をつぐむ。
パパ……。
「ユーリ、喧嘩したの?」
猫なで声ではなく、問い詰めるような響きだった。
「はい……」
何度かあったが、こうなると、マジで子どもみたいな気分になってくる。
しょぼーんってなる。
「殴ったの?」
「殴りました」
俺がそう言った瞬間、脳天にガツンと強烈な一発がかまされた。
脳天うたれたのに顎にきた。
いったぁ……。
思わずうずくまって患部を押さえた。
頭がチカチカして視界に星が飛んでる。
ちょっとほんとに痛い、これ。
涙出てきた。
「殴ったり蹴ったりの喧嘩をしたら、両方ゲンコツって決まりなの」
どこのローカルルールだよぉ。
涙が浮いて視界がプールの中みたいになってる。
いやこれ、マジで涙目になっちゃってる。
「きっと、向こうの子は向こうの親御さんがゲンコツしてるはずだからね。平等よ」
自信満々の超理論だった。
そんなわけあるかい。
と思っても抗議する気にはなれなかった。
お母さんには勝てない。
***
そのうち、ルークが酒飲みに行くと、入れ違いに大図書館へ行っていたらしいシャムが帰ってきた。
俺の帰宅を知ると、大喜びで俺のところに来た。
俺はタンコブ作りながらスズヤとシャムと食卓を囲んで、シャムが約束通りの宿題を要求して、夜中まで問題を作っていたら、酔っ払ったルークが来て「ガッラが良い薬になったって感謝してたからな。安心して明日から学校いけよ」とか言ってきて、ちょっと安心したら眠くなって、眠気を我慢して宿題を作り終えて、シャムの喜ぶ顔を想像しながら眠った。