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第008話 従兄妹

 大人の女中さんに案内され、連れて行かれた部屋には、子どもが一人いた。

 黒い髪をした女の子だ。

 武芸を習わされてはいないのか、ほそっこい体つきをしている。


 女中さんは、忙しいのかなんなのか、すぐ去っていってしまったので聞く暇もなかったが、やはりこれがゴウクの娘なのだろう。


 そいつは机の前の椅子に座って、背を背もたれに預けたまま、静かに目をつむっていた。

 机の上には木の板とインク壺、油皿に灯心が入った明かりが載せられており、少女の顔を照らしている。


 見た目、俺と同い年くらいに見える。

 まあイトコだから名前も年齢も知っているんだが。


 こいつは俺より一歳年下で、名をシャムという。


「やあ、こんばんは」

 と話しかけると、

「……」

 返事はなかった。


 なんだこいつ。

 話しかけても眉一つ動かさず、背もたれに体を預けて、目をつむっている。


 入るときにノックはしたし、女中さんが軽く俺の紹介もしたから、眠っているわけではないだろう。


 もしかして死んでるのか?


 俺は不安になった。

 死んでいるとしたらまずい。


 俺が犯人にされてしまう。

 誰かの陰謀で殺人犯にされかけてるとか?


 恐る恐る近づいて、顔に手を触れてみると、ぱちりと目を開いた。


「無礼ですね」

 生きていた。


「耳が悪いのか?」


 俺が尋ねると、少女は疑わしげな目で俺を睨んだ。

 なにをいってるんだこいつは、みたいな目だ。


「……耳は悪くありません」

「挨拶は返すもんだ。耳が悪くないのならな」


 この国でも、挨拶はされたら返すものだ。

 無礼うんぬんというなら、無礼をしたのは向こうのほうが先、という話だった。


 俺は手近な椅子に勝手に腰掛けた。

「なにか考え事でもしてたのか?」

 と尋ねる。


 まあ父親が明日から戦争にいくのだから、考え事のひとつもするだろうが。


「はい」

「考え事の邪魔をされて怒っているのか?」

「いいえ、どのみち今日は心が乱れて駄目ですから、気にしなくていいです」

「そうか」


 ドアの外からは小さくガヤガヤと音が聞こえてくる。

 屋敷のど真ん中で宴が催されているのだから、当たり前だ。

 それ以前に、父親が心配なのかもしれない。


「なにについて考えてたんだ」

「どうせ理解できませんよ」


 そっけない言葉だった。


「そうかもな。だが、言ってもらわなきゃわからない」

「それはそうですね。でも、どうせ徒労に終わりますから」


 くそ生意気なガキであった。

 面白いじゃないか。


「どうせ他に話すこともないんだし、考えもまとまらないんだから、俺に理解できるかどうか、試してみてもいいだろ。まあ、秘め事の類なら聞いたりしないがな」

「試みをする意味がわかりません。さっさと出て行ってください」

「そうもいかないんだ。まあ、(たわむ)れと思って話してみろよ」


 シャムは、はあ、と小さなため息をついた。

 文明を理解しない猿が、私の部屋にズカズカと入ってきて、猿語を喋ってらっしゃるわ。どうやって追いだそうかしら。

 みたいな感じだ。

 こ、こいつ……。


「話したら出て行ってくれるんですね」

「ああ、約束するよ」

「そうですか」


 ふう、と再びため息をつくと、喋り始めた。


「ソスウが無限にあるかを考えていたんですよ」


 俺は一瞬、ソスウというのがどういう意味の単語なのか理解できなかった。


 だが、シャン語で本質(プライム)みたいな言葉と、(ナンバー)、という意味の言葉が合体したような複合語だったので、なんとなく察することができた。

 素数のことだ。


「そりゃ、2とか3とか5とかの話か」

「……はい」

「11とか13とか17の話だよな」

「そうだって言ってるじゃないですか」


 やっぱり素数のことを言っているらしい。


 なんだこいつ、まだ六歳だろ。

 確か一歳年下で、六歳だったはずだが。


 やけに明瞭に言葉を喋りやがるし、よっぽど頭がいいのか。

 普通六歳って「おかーさんう○こでるー」とか言いながらオモチャのクルマで遊んでたりするもんじゃないのか?


 正真正銘のいいとこのお嬢さんともなればこんなものなのか。

 私立の小学校の受験問題とか結構凄かったしな。


「素数がなんだって?」

「素数が無限にあるかどうか考えていたんです」

 やべぇこいつ……。

「いったいなんだってそんなことを考えているんだ」


 なんでこの年齢の子どもがそんなことを気にするのか謎だった。

 もっとこう、その、なんだ、いろいろあるだろ。

 よくわかんないけど。

 ほら、おままごととか。


「……はあ、やっぱり解らないんですね。でてってください」

「解るぞ」


 素数は無限にある。

 証明はパッと浮かばないが、それは知っていた。


「はあ、じゃあ、言ってみてくださいよ」


 蔑んだ目で見てきた。

 虚勢を張っていると思っているのだろう。


「もしかして、まだ証明されてない問題なのか」

「証明があることは知っていますよ」


 やっぱり証明はあるらしい。

 地球では紀元前からある証明なのだから、当たり前といえば当たり前だが、やっぱりこの世界にもユークリッド並の天才が存在したということか。

 感慨深い。


 でも、じゃあ、なんでこいつは証明済のものを考えなおしているんだ。

 数論を考えるのが好きなのか。


「やっぱり言えないんですね」

「言えるぞ」

「じゃあ、さっさと言ってください」


 なんだかイライラしておる。

 無用の時間稼ぎをしようとしていると思っているのだろう。


 えーっと、どうだったかな。

 家にある俺の本には書いてあるんだけどな。


「ちょっと考える」

「……まあ、どうぞ。無駄でしょうけれど」


 軽く聞き流し、沈思黙考に入る。

 本に書いたのは一年以上前だったが、やはり若い脳だけあってすぐに思い出した。

 紐をたぐるように証明を思い出してゆく。


「ある2以上の数をNとする。そうすると、NとN+1はお互いに同じ1以外の公約数を持たない」


 エヌという言葉はシャン語にはないので、都合が良かった。

「……?」

 なんか訝しげな顔で俺を見ておる。

「分かるか? NとN+1の差は1なんだから、2以上の公約数があったらおかしい」

「まあ、そうですね」


「そこでNとN+1を掛けたら、その数は2つ以上の素数が因数として入ってるわけだ。4と8みたいに素数が重複するというのは考えられないわけだからな。それをMとすると、MとM+1を掛ければ、3つ以上の素数が因数になってるわけだ。そして、それは無限に続けられるから、素数も無限に求められる。故に素数は無限に存在する」


 俺がそう言い切ると、シャムはぽかーんと口を開いていた。

 時々、

「……あ、えっと……うあ、でも」

 とか言っている。


 手元の木板にさらさらと書付けをして、ちょっと確認しているようだ。

 間違いようもない簡単な証明なので、間違っていないはずだ。


 これで間違っていたら発作的に穴をほって閉じこもるか高いところから落ちて自殺してしまいたくなるだろう。


 ややあって、

「すごいです」

 とシャムは呟くように言った。


 俺を見る目が違っておる。

 どうだ、参ったか。


「家の本で読んだのですか?」


 打って変わったように顔が明るくなった。

 ニコニコしおってからに。


「まあ、な」

「よく覚えていましたね。ありがとうございます」

「簡単な証明だし。こんくらい余裕だし」

「よろしかったらその本を貸してもらえませんか?」


 目がキラッキラ輝いている。

 いや、本もなにも。


 というか、本は日本語で書いてるしな。

 文字体系からして違うから、たぶん誰にも読めない。


「悪い、うちで読んだ本じゃないんだ、王都でな」

 とっさに嘘をついてしまった。

「王都ですか、なるほどー」


 まあ、王都に探しに行けば、さすがにあるだろう。

 解法が同じかどうかは解らないが。


「えっと、お名前はなんと……?」

「ユーリ」

「私はシャムといいます。ユーリさんは王都からいらっしゃったんですか?」

「いや、近所だよ」


「近所というと、ご親戚ですか」

「君とは従兄妹に当たるかな」

「従兄妹というと、ルークさんの」

「そうだな」


 ルークの名は知っていたらしい。


「なるほど、やっぱり、騎士家の方じゃなかったんですね」


 まあ騎士家といえば騎士家なんだが。

 将家の親戚筋という形だから、俺が騎士号を取って当主になれば誰もが認める騎士家ということになる。


「羨ましいです」


 羨ましいのかよ。

 俺よりよほどいい生活しているのに。


「私の家族はあまり理解がないので、本などをあまり買ってもらえないんです」


 俺のことを、めちゃくちゃ本読みまくって教養を得たと思っているのだろう。

 そうとしか考えられないだろうしな。

 実際は記憶があるだけで、素数なんて言葉は今日はじめて聞いた。


 シャムはしょぼーんとした顔をしていた。


「そっか、それは残念だな。せっかく頭がいいのに」

「えっ、あの……その」

 シャムは顔を赤くしている。

「本当にそう思われますか……?」


「まあ、でも、皆が君くらい頭がよかったら、俺はたちまち劣等生だろうから、この先たいへんになるな」

「そんなことはありません。あなたは優秀です」


 褒めてもらえるのは嬉しいが、そりゃ六歳しか生きてないお前より、その五倍以上生きている俺が劣ってたら、どうしようもないよ。

 それはさすがに悲しくなるよ。


「そりゃありがたい」

「よろしければ、もっと色々なことを教えて下さい」

「色々なことと言っても、何に興味があるんだ」

「なんにでも興味あります、全部(エブリシング)です」


「全てか。とんでもないな」

「あ、全部じゃないかもしれません。お父様のお話とか、斗棋とか、編み物や刺繍はちょっと……」


 哀れゴウク、せっかく頭のいい娘を持ったのに、自分の趣味にまったく興味を示してもらえないとは。

 だから本を買ってもらえないのかもしれないな。


 こいつも上手いこと、斗棋を覚えて、賭けで書籍購入権を取るとか、父親に甘えておねだりするとか、そういう方向性で攻めればいいのに。


「といっても、俺も大して物知りというわけじゃないんだ。教えてやれるのは数学くらいか」


 というか、明らかに正しいと断言して教えられるのは数学くらいしかない。

 別の世界に来たのは明らかなのだから、物理法則も変わっているかもしれない。

 ドヤ顔で化学なんか教えたら、全然法則が違って、この世界では当てはまらないとか、普通にありそうだ。


「もちろん構いません。お願いします。いろいろとお話ししましょう」


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