第七話 「カンナ」ゆえに理を知る
「ねぇ、お兄さん」
熱されていた心に染み渡るような、聞き覚えのある声。
咄嗟に声の主を振り向くと、そこに立っていたのは俺たちが助けに来た娘さんだ。だが、髪の色が違う。先ほどまでは茶色だった髪が、今は澄んだような青い色へと変じていた。
「どうしたい、娘さん」
「あれ? この状況、もうちょっと驚くかと思ってたんだけどな」
己の髪にふれながら娘さんは意外そうに言う。確かに少しは驚いた。それは否定できない。レアルの側にいたはずなのに、いつの間にこっちに移動したのやら。
「でも、娘さんからは悪い感じ、しないからな」
「どうして? 私のせいで、お兄さんはこんな状況になってるんだよ?」
状況は緊迫しているはず。なのに俺は、娘さんとーー少女との会話を続けていた。
「別に悪気があった訳じゃなぇんだろ?」
言葉にしてから疑問が出てきた。
「ってか、おまえのせいなのか?」
「そだよ」
悪びれもない肯定。
「お兄さんがこの場にいるすべての状況は、私が原因。私が成そうとして起きた結果だよ」
「はっ、おまえさんみたいなロリになにができるんだよ…………」
鼻で笑ってやるが、内心は己でも不気味なほどの確信が埋めていた。
この少女のーー少女の形をした『何か』は、この状況の根本たる存在であるのだと。
横を見れば、間近の巨人と、遠見にレアル。どちらも、動きを止めていた。まるで時が止まったかの様に静止していた。
「お兄さんの精神は今、通常の百倍以上にまで加速しているわ。安心していい」
サラっと言うなよ。安心できる訳ないだろう。今際の臨死体験的なアレだろうが。これが動き出したら俺は確実に死ぬんじゃね?
「そうね。間違いなく死ぬでしょうね」
可愛い顔してさらっと言うなよ!
切れそうになる寸前で、少女が囁く。
「…………私みたいな『力』、欲しくはない?」
そう言って一歩、彼女は横に退いた。
彼女の背後から現れたのは、白銀に輝く、槍だった。転がっていた俺がぶつかったのはこいつだったのか。
「おいおい、まさか本当に伝説の武器とかか?」
「知らないわ。『人間』が勝手に祭っているだけの『楔』よ。でも、そうね、人間風に言えば、これは確かに伝説の武器と言えるかもしれないわ」
「おいおい、冗談はよしてくれよロリ娘。はっきり言って、俺は無能無才無出来と呼ばれて十七年の残念男だぜ?」
自分で言ってて切なくなってくるが、事実だ。
神様に嫌われているとしか言えない程に。
俺は何の才能も持たない出来損ないなのだ。
赤ん坊の頃に二本の脚で立ち上がるのにも時間がかかった。言葉を覚えるのにも人の倍は掛かった。走るのも遅く、体も弱く、何に手を出しても他人よりも大きな後れを取ってきた。
それは異世界に召喚されても変わらなかった。
俺があの腹黒姫のところから逃げ出したのも結局はそれだ。
先にも説明したが、この世界において『魔術』とはポピュラーな技術だ。そしてその元となる『魔力』はこの世界に存在している『森羅万象』に内包されている。
勇者として異世界から召喚されたはずの俺とて、例外ではないはず。むしろ、勇者と呼ばれるだけに莫大な魔力を秘めているのを期待されていた。
ところがどっこい、いざお城付きの宮廷魔術士に魔力を測定してもらえば、驚愕ーー俺は割と納得ーーの『零』である。一般の庶民ですら十や二十は持っているのに、どこまでいっても『零』だったのである。
ーーーーだから、俺は用なしになった。
「ったく、勝手な都合で呼び出して、無能と分かれば即座に切り捨てるとかどんな暴君だよ。人様をなんだと思ってんだ。虫けらか?」
言っていて凄まじく腹が立ってきた。やはり、あの腹黒姫(ついでにその取り巻き)には絶対に後悔させてやるしかない。
「憤りを感じているの?」
「当たり前だろうがッ。俺は恨みは絶対に忘れないし、恨みの元には必ず報復する主義なんでな」
相手が貴族だろうが王族だろうが関係ない。これまでもそうだったのだ。これからも変わりはしない。
恨みの報復は倍返し。基本中の基本だろ?
「そうね。そんなあなただから私は選んだの」
するりと、少女が俺の手を掴み、導く。
「どれほどの屈辱に塗れようとも、決して色褪せない魂。何人たりとも犯すことのない、絶無の純色」
「お、おい…………?」
「神に愛されなかったが故に、神の埒外にある忌み子。けれども、この世の誰にも束縛されぬ、孤高の王」
導かれるままに、俺は白銀の槍に触れる。
「さぁ、『かんな』の子よ。この槍を取って」
「ちょーーッ」
「後は貴方次第。がんばってね、お兄さん♪」
最後に、輝かんばかりの笑みを残した少女の顔を最後に。
俺の思考が弾けた。
凄まじい激痛が槍に触れた手から伝わったのは一瞬。
「の………………がッ…………」
時間にしては刹那だった。だが、躯の中心を突き抜けるような衝撃に、思考が何倍にも引き延ばされた感覚。期末テスト前に一夜漬けで全教科を詰め込んだときの数十倍の熱が頭の中にこもっている。
頭の血管が破裂するかと思った。その前に、ショックで心臓が止まるかと思った。
「あんのロリっ子、何勝手に話を完結させてやがるんだ」
貧血と同じ風に揺れる視界を、どうにか耐える。
白銀の槍に振れた瞬間、俺の中に何かしらが流れ込んできたのは理解できた。何かしらというのは『何か』としか表現できないからだ。頭に熱が籠もっているのも、圧倒的な情報量が無理矢理押し込められたから。
あの少女の形をした存在との会話は、覚えているのだが、最後のあたりがいまいち自信がない。
「孤高の王がどうたらこうたらつってたか?」
そこから先が曖昧だ。割と重要な事を言っていた気がするのだが。
「…………って、え?」
視界を影が覆う。何かが上に多い被さっているのか?
視点をあげてみれば、氷の巨人が剣を大きく振りかぶっている。
…………………………………………………………………………。
「あ、やっべ」
どこか他人事のように呟いた次の瞬間に、
氷の大剣が、俺に向けて振り下ろされた。
死を確信する前に、声が囁く。
「やり方は分かっているはずよ」
声に導かれるようにーー否、導くように俺は唱えた。
できると、そう直感していた。
「凍れ」
氷の切っ先が眉間に触れるのと同時に、ぴたりと動きを止めた。巨人が自ら動きを止めたのではない。俺が止めたのだ。そう確信できる。
正確には、巨人の全身の関節を『凍結』させたのだ。こいつの大部分は氷で出来ている。であるなら、『今の俺』にとっては、もはや驚異ではない。
俺はそれまでまとっていた防寒具を脱ぎ捨てた。寒さを防ぐ装備は、もう俺には無用の長物。凍えるほどの外気はしかし、俺の敵ではなくなったのだ。
疑問を感じる前に、俺は動いていた。
関節を固められてもなお、巨人は動こうともがく。
だったら、叩き潰すだけだ。
眉間に振れている氷の大剣に、手袋を脱いで触れる。通常ならそれだけで凍傷になるであろう温度だったが、かまわず手を添える。
「もらうぜ、うぉおりゃぁッ」
少し力を入れただけで、氷の大剣は柄からへし折れる。大した怪力ではない。柄あたりの水分子の結合を弱めただけだ。
刀身の大部分は俺の手の中。このままだとさすがに使いにくい。
イメージするのは。
「アックスとか、どうでしょうか?」
幅広の刃がバキバキと音を立てて変形し、俺の手に収まるのは巨大な斧だ。大きさは、柄だけでも俺の身長ぐらい。刃部は俺の上半身ほど。
氷の巨人は動けないながらも、刀身の失った柄から新たに氷をのばしていく。また新しく武器を作り出す気か。
が、その前に。
「砕けろッ」
直上に跳躍し、なんの細工もない溜からの、直下型全力スイング。斧はゴーレムの頭のない頭頂部に吸い込まれ、ガラスが砕ける破音が悲鳴代わりに響きわたった。
「って、なんじゃぁこりゃぁぁあッッ」
終わってから手の中にある大斧に驚く。おい、俺は何をしたんだ? どうやってあのゴーレムを粉砕したんだ? ってか、この氷のアックスはなんぞ?
「カンナッ」
混乱していた俺に、レアルが駆け寄ってくる。
「おい、無事か?」
「無事っちゃぁ無事だけどよ」
「そうか、一時はどうなるかと思ったぞ」
安堵の息を吐いてから、レアルはバラバラになったゴーレムのなれの果てに目を向ける。
「それにしても驚いたな。まさか君が魔術を使えたとはな。魔術は使えないと言っていたのに、隠していたのか?」
「ーーーーいんや、違う」
『魔術』という言葉に、俺は本能的に否定を述べる。
「これは魔術じゃない。もっと異質で根本的な代物だ」
正確な言葉が思い浮かばないのは、俺がまだこの世界の知識に通じていないからだろうか。魔術という概念すら理解していないのに、断言できる不思議な感覚があった。
「人の言葉を借りるなら『精霊術』といったところかしらね?」
第三者の声。向けば、槍が『あった』場所に、青く長い髪をした美女。女性的な柔らかさが覗ける姿は、この極寒の地には不釣り合いな格好。
直感的に、あの少女だと分かった。
同時に、彼女が人間でないことも、だ。
「…………気配など感じなかったぞ?」
息をのむレアルを余所に、俺は青髪の美女に問いかける。
「どこまでが仕込みだったんだ?」
「あら? 意外な第一声ね。恨み辛みを重ねられると思ったけど?」
「それを含めて、責任の所在をはっきりしておきたいんだよ」
おもしろい子ね、と女が鈴の音よろしくころころと笑った。
お気づきだと思いますが、主人公の名前を漢字で表記していないのには理由があります。察しの良い人はすぐに想像がつくと思いますが。
本文で主人公が吐露しているように、彼は一切の「才能」と呼べる先天的能力を有していません。が、これは後にかなり重要なキーワードになってきます。