リリースされたばかりのファースト・アルバム『The Jester』の1曲目“The Opener”で、〈この観衆のなかに私の名前を知る人はいない〉とワリスは歌う。The 1975のツアーにおいてオープニング・アクトを務めたことで注目を集めた彼女だが、その経験を振り返るこの曲では新人アーティストとしての焦りが綴られているのだ。キャッチーなダンス・ナンバーではなく、ドラマティックなバラードでアルバムを始めた理由を尋ねると、彼女はこう説明する。
「このアルバムのテーマのひとつは、エンターテイメント業界にいることについてだと思う。自分が十分だと感じられない偽者症候群についても触れている。“The Opener”は6分間のバラードで、アルバムの始まりとしてはあまり普通ではないかもしれないけど、アルバム全体で表現されているすべての感情を包括していると思う」。
実際、6分間で感情のうねりをじっくり表現する“The Opener”は、シンガー・ソングライターとしてのワリスのポテンシャルを示すものだろう。影響を受けたアーティストとしてレディオヘッド、ウィーザー、ジャパニーズ・ブレックファストを挙げる彼女は多彩なオルタナティヴ・ロックやインディー・ポップを参照にしてきたが、アルバムは一貫した内容をめざしたという。
「私がレディオヘッドのなかでも得に好きなアルバムは『OK Computer』と『In Rainbows』で、あとサム・エヴィアンの『Time To Melt』も好きなんだけど、それらの共通点は、最初から最後までが綺麗にまとまっていること」。
そう語る一方で、多彩なサウンドが聴けるのが『The Jester』の魅力であることも否定していない。ギターとシンセが軽やかに絡む甘酸っぱいインディー・ポップ“Gut Punch”、フォーキーなサウンドとエフェクトを聴かせたヴォイスのミスマッチがおもしろい“Hurry Babe”、ハイテンポのポップ・パンク・チューン“Clown Like Me”、ヘヴィーなロック・ナンバー“Sickness”と、アレンジの豊かさが楽しめる一枚だ。
「私はチェロを弾いて育ってきたし、オーケストラやジャズ・バンドにいたこともある。だから、伝統的なロックの楽器だけでなく、チェロもいくつかの曲で演奏したかった。あとはヴァイオリン、サックス、フルート、そのほかランダムなサウンドも入れているしね」。
確かに彼女自身の力強いチェロの演奏が聴ける“Deadbeat”やノイズとオーケストラが混ざり合う“I Want U Yesterday”など、管弦楽器によるチェンバー・ポップの要素がアクセントになっているのはワリスの個性だ。また、長くタッグを組んできたデヴィッド・マリネッリに加え、ブリーチャーズのメンバーとしても知られるマイキー・フリーダム・ハートがプロデューサーとして果たした役割も大きかったようだ。
「デヴィッドと私は自分たちが正しいと思うことをやってみて、それが結果的に上手くいっただけだったんだけど、マイキーはこの世界にいて長いから、本当にたくさんの楽器のことを理解している。たとえば、今回はチューニングなしで私のヴォーカルを録音したんだけど、その聴こえ方をすごく気に入った。彼が私をあのサウンドに導いてくれたんだ」。
ジャジーなアンサンブルがカタルシスをもたらす“Heaven Has To Happen Soon”など、アルバムは最後までさまざまな表情を見せていく。道化役者を意味する〈Jester〉はミュージシャンである彼女自身をユーモアを交えて表現したものだが、本作のテーマについて「自己疑念と自己安心が行ったり来たりしてる感じ。ミュージシャンとしての浮き沈みとか」と話すワリスは、デビュー作でアーティストとして飾らない姿を存分に出し切ったのだ。
ワリス
98年生まれ、LA在住のシンガー・ソングライター。俳優だった母親の影響で、思春期にはモデルや俳優として活動していた。NYの音楽学校でジャズ・ヴォーカルを学んだのち、インディー・ポップの制作を始め、2021年にファーストEP『Off The Rails』をリリース。同年にダーティ・ヒットと契約し、2022年にセカンドEP『90s American Superstar』、2023年にサードEP『Mr Big Shot』 を発表した。このたびファースト・アルバム『The Jester』(Dirty Hit)をリリースしたばかり。