現代に生まれた昔話?!
子どもには楽しく、大人には怖いお話。
読み聞かせ目安 中学年 10分
あらすじ
むかしあるところに、とてもとても年をとったおじいさんとおばあさんが住んでいました。二人だけの暮らしはとても寂しく、おばあさんはねこを飼いたいといいだしました。
そこでおじいさんは、ねこを探しに出かけました。
長い長い間歩いて、おじいさんは、どこもかしこもねこでいっぱいの丘に着きました。
「そこにも ねこ、あそこにも ねこ、どこにも、かしこにも ねこと こねこ、
ひゃっぴきの ねこ、せんびきの ねこ、ひゃくまんびき、一おく 一ちょうひきの ねこ。」
おじいさんは喜んで、この中から一番きれいなねこを選んで、連れて帰ろうとします。
でも・・・、このねこ、そのねこ、あのねこ・・・一匹ずつ見ていると、どれもきれいで可愛くて、おじいさんは選びきれません。
とうとうおじいさんは、そこにいる全部のねこを、連れて帰りました。
何百も、何千も、何万も、何百万ものねこをぞろぞろ連れて帰ります。
途中、喉が渇いたねこたちが、池の水を飲みますと、池の水はすっかりなくなってしまいました。
お腹をすかせたねこたちが、野原の草を食べますと、野原中の草が、一本もなくなってしましました。
おじいさんが家に帰ると、おばあさんは、こんなにたくさんのねこを飼っていては、自分たちが貧乏になってしまう、ねこたちにどのねこを家に置くか決めさせようと言いました。
ねこたちは、我こそはと次々に声を挙げ、自分が一番きれいだと主張します。
そしてとうとう・・・けんかがはじまってしまいました!
大変な大騒ぎです!!
でも・・・、しばらくすると辺りは静かに。
ねこが一匹もいなくなってしまったのです!!
おばあさんは言います。
「きっと、みんなで たべっこしてしまったんですよ」
すると・・・草むらに一匹の小さなねこが!
おじいさんとおばあさんは、その小さなねこを家に入れ、きれいに洗って、ミルクをたくさん飲ませました。
小さなねこは、しだいに丸々とした可愛いねこになり、おじいさんは
「いや、この ねこは、せかいじゅうで いちばん きれいな ねこだよ。わたしには、ちゃんと わかるんだ。だって わたしは、ひゃっぴきの ねこ、せんびきの ねこ、ひゃくまんびき、一おく 一ちょうひきの ねこを みてきたんだからねえ」
と言いました。
読んでみて…
こわい・・・!
おじいさん、おばあさんに飼ってもらうために、100万匹のねこたちが食べ合うなんて!!
ちょっとぞっとしてしまいます。
絵の印象も強烈です。
表紙は黄色地に黒い絵。背景は赤く、おじいさんがたくさんのねこを連れて歩く黒い丘には、赤い花が咲いています。
内容のお話のページは、すべて白地に黒のみ。
版画的な陰影で、やや丸味のある絵が、ちょっと不気味な可愛さ?!を醸し出しています。
グリムなど、ヨーロッパの昔話の、ちょっと怖いお話を読んでいるような感覚に近いものを感じます。
お話が語っていることも、やはりちょっと怖いなと感じる昔話が語る、この世の真実、摂理の持つ怖さ、重さに通じるものがあると思います。
何百万、何千万、一億、一兆匹ものねこたちが争って、一匹を残してみんないなくなってしまう・・・。これはやはり、弱肉強食、優勝劣敗、自然淘汰という、この世が持つ現実、真実の姿の一面を、強烈に語っているのでしょう。
そして、おじいさんおばあさんには、きれいなねこが飼いたいという、自分たちの欲望の裏にある犠牲を省みないという点。人間の身勝手さ、利己的な面を見ることができます。
この世の真実の一端を語る、現代に生まれた昔話という感じです。
ただ、この絵本は、こういったことを、決して重苦しく語っているわけではありません。大人が読むと、やはり重いものが心に溜まりますが、子どもはお話や絵の面白さの方に、興味が向くようです。
「むかし、あるところに、とても としとった おじいさんと、とても としとった おばあさんが すんでいました。」
と、いかにも昔話風にはじまる語り口はリズムがよく、何より子どもたちに楽しまれるのは、おじいさんが丘に着いたときや家路につくとき、池や野原、家に到着したときに何度も繰り返される
「そこにも ねこ、あそこにも ねこ、どこにも、かしこにも ねこと こねこ、
ひゃっぴきの ねこ、せんびきの ねこ、ひゃくまんびき、一おく 一ちょうひきの ねこ。」
という、まるでねこの数え歌のようなフレーズです。
何百万、何千万ものねこたちが、うじゃうじゃぞろぞろいる丘を見たときは、子どもたちもおじいさんと一緒に驚きます。
おじいさんがねこたちを連れて、丘を下っていくところは、見開きいっぱいにうねうねと丘が続き、丘のうねりに沿って、ねこの大行列もうねうねぞろぞろ。とてもおもしろく感じる場面です。
この絵本は、人の世の持つ重たい側面が描かれた絵本ですが、重く語るのではなく、リズミカルに歯切れよく、絵でも楽しませながら語ってみせる。現代に生まれた、優れた昔話なのでないかなと思います。
よく昔話を語るとき、怖い所、残酷な所を子どもに伝えるのはどうか、ということが話題にあがることがあります。
私は、取り立てて、怖い所、残酷な所を扱う必要はないと思いますが、でも、むやみに隠す必要もないと思っています。
昔話は身の丈で理解するといわれます。
大人は大人の身の丈で。いろいろな知識や経験を積んでいるから深く理解できる。リアルな想像もできるから、怖いところが怖いとわかる。でも、まだ経験も知識も大人より浅い子どもは、そこまで深くは受け取らず、楽しい所を楽しむ。
これは決して子どもをみくびっているのではなく、大人は大人の、子どもは子どもの読み方、楽しみ方があって、子どもはそれなりの年齢や経験を積んで振り返ったとき、昔話の意味する所を知ることができる。
だから、むやみに怖いものを避けたり隠したりせず、そのまま手渡すのが、子どもに対しても物語に対しても、誠実なのではないかなと思っています。
この絵本も、大人が読むとやっぱりちょっと怖いですが、子どもは楽しんでくれます。そう言った意味でも、現代に生まれた昔話と言っていいのではないかなと思います。
ちょっと毛色の変わった絵本ですが、時にはこんな絵本もどうでしょうか。
今回ご紹介した絵本は『100まんびきのねこ』
ワンダ・ガアグ文・絵 石井桃子訳
1961.1.1 福音館書店 でした。
100まんびきのねこ | ||||
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