『初回』の後、■■からは三回LINEのメッセージが来ていた。店に行くつもりがないのに返信するのも悪いと放置していたが、もし指名をするならこの人にしようとは思った。
『指名』したホストのことは『担当』と呼ぶ。ホストは永久指名制、つまりそのお店で一人だけの担当ホストを指名したあとは、担当がその店を辞めるまで指名替えはできないシステムだ。一方で男性向けのキャバクラなどでは来店都度に指名する『嬢』を替えられると聞く。女性向けコンテンツの方がファン側に一途さを求めがちな印象があるのはなぜだろう。(例えば宝塚のファンクラブも一人の会にしか入れない)
とにかく一度指名してもらえばずっと自分の客になるので、ホストたちにとっては『初回』の客を捕まえるのが大事になる。普通、初回客は話した全てのホストから連絡先を交換するよう頼まれるものなのだが、わたしはあまりにも振る舞いが悪かったせいで新人一人と『送り』にした■■からしか連絡先を聞かれていない。さらに三回も連絡をくれたのは■■だけだったので、選んだというよりは客にしてやってもいいと許可されたというのがわたしの認識に近い。非モテ陰キャ女などという数ならぬ身で、営業をかけてやろうとすら思われていない相手の視界に自分から入れるはずもない。
ミキが近況報告をしたい、というので改めて飲みに行った。語られたのは、幹也とのやりとりや、ホストクラブで成果を出した(ホストの一ヶ月の売上や『本数』(来店人数のこと)は『姫』(客)の貢献で成り立っているため、客にとっての成果でもある)こと、それから、キャバクラの体験入店に行ってみようかと思っていることだった。
わたしは初めてミキが心配になった。ミキには収入もありホストに多少狂うくらいなんら問題ないと思っていたが、キャバクラ勤務というのは単なる消費者から『夜職』の世界へと一歩踏み込んでいる。夜職というのはホスト、キャバクラ、風俗などの水商売のことで、対義語として会社員などを『昼職』と呼ぶ。ホストにハマった若い女性が夜職に足を踏み入れ、胴元だけが儲かるというのが昨今話題の社会問題だろう。
かと言って止めなと言って止まるわけもないというのはわかる。部外者からの賢しらぶった忠告など効くわけがない。そして、わたしの財布には旅行代が残っていた。
「そこまで好きになれるんだね。ミキが本当楽しそうだし、わたしもやっぱりまた連れて行ってもらおうかな? シャンパンも入れてみたいし」
虎穴に入らずんば虎子を得ず。このときは、ホストクラブとやらの様子を少しばかり見てやろう、という気持ちだった。
「じゃあ来週××日に行きましょうよ! 幹也に今連絡しますからね。指名は■■さんがいいと思いますけど、いいですか?」
「うん、いいよ。わたしからも連絡した方がいいの?」
「あ、幹也から返信ありました。その日■■さん出勤だそうなので、問題ないですね。幹也から伝わってるんで、みずのさん連絡しなくても大丈夫ですよ」
ちなみに、客が夜職をはじめようとするのを引き留める行為は『落とし込み』などと言って、この場合には幹也を落とし込む行為になる。ホストクラブというのはこういう場所だ。『初回』で客が付かなければ店の外から連れてくるしかない。マッチングアプリで一般の出会いを装い「彼女」にしてからホストクラブの客にする、というよく聞く勧誘法があり最低だと思うが、もう店にはいかなくなってからのこと、知っているホストも行っていたと聞いた。ホストクラブの経営者が「マッチングアプリにいるホストどう思いますか」と聞かれて「個別にルールを作ってどうこうじゃなくて、ダサいことはやらない、そういう姿勢を教えることじゃないの」と言っているのを聞いたことがある。本当にそう思っている可能性も否定しきれないが、経営者らしい逃げ方だと思う。
当日、■■は「俺ほんと何も聞いていないんだけど」と連呼していた。「幹也、アイツ仕事しなさすぎじゃないですか?」とミキはぷりぷりしていたが、これはわたしが連絡すべきだったのだと思う。それでも、相変わらずガチガチに緊張しているわたしの隣に■■は腰かけて、菓子の食べさせあいっこをしたり肩を抱いたりとニコニコ笑いながら『イチャ営』をしてのけた。プロはすごい。
「シャンパン入れてみたくて、一番安いやつ。わたし『細』い客だし、お店にも全然来られないと思うけど、また来ますから」
そう言うと、「細客とか、覚えたての用語使って」と笑われた。
ホストクラブのシャンパンコール、ホストが集まってきて口上を叫ぶ。『姫』がマイクを渡されるが、事前にミキに頼んでおいて代理で「■■さんこれからよろしくお願いします、よいしょ!」と言ってもらう。『担当』がマイクを渡される。「僕もう7年ホストやってるんですけど、初指名シャンパンもらうの初めてです。姫、ありがとうございます」そしてホストたちが大きな声を出し、スパークリングワインが開栓の音を立てる。どうしていればいいかわからなかったが、酒と音で頭の中がチカチカするようだった。演劇や音楽が好きな人ならイメージしやすいかもしれない。トランス状態のような興奮に襲われていた。
この世界にハマる気持ちも分かる。次の日職場に行ってもまだ脳裏がチカチカしていた。■■の公開SNSを辿るとすぐに、わたしの少し前に入れられた初指名シャンパンへのお礼投稿に辿り着き、世界観に感心した。この後も■■は「初めて」営業が多く、そして大体初めてではないことが分かるようになっていた。
■■のLINEには返信するようにした。そしてもちろん、ミキとの連絡は増えた。キャバクラ体験入店の話はそのうちに立ち消えて、一安心ではあるもののもう少し様子を見ることにした。そんなとき、「■■さんに、『同伴』してあげてくださいよって言っておいたからね!」とミキから連絡があった。『同伴』というのは、店の外で待ち合わせて、食事などをしてから店に行くことを指す。
ほどなくして■■から同伴の誘いがあり、東口の交番前で待ち合わせた。交番前、というのが面白い。ホストは別に警察に怯えない。わたしの方は、緊張して緊張して震えた。合流して、オシャレな飲み屋に入って行って、カップルシートに座って、どうしようもなく緊張していた。転機になったのは、■■のオタク歴の話題だった。
「俺、なり茶とかやってたよ」
なり茶。インターネット老人会用語かもしれないので解説すると、なりきりチャットの略称で、参加するメンバーが作中のキャラクターになりきって会話するチャットを指す。
「え、どんなジャンルだったんですか」
「ポップン」
「ポップン! 同じチャットにいたことあったかもしれませんね」
わたしは、ポップンミュージックのイラストを毎日描いては友人と交換していた中学生時代を思い出し、一生懸命HTMLを学び公開していた夢小説用ホームページを思い出した。そして、突如理解した。
このジャンルは、リアルなりきりチャットなのだ。
それからは、なんと返事をしたらいいか分かるようになり、特にLINEが楽しくなった。ミキと幹也の喧嘩を心配してみたり、風邪をひいて心配してもらったり、会話の中にはドキッとさせられる、こちらの欲しい言葉を選んでくれるような、上手いメッセージがいくつもあった。
リアルの方でも「なんだ、しゃべれるじゃん」と評価され、少し慣れて店での振る舞いも覚えた。ミキとの『アイバン』(客が複数人連れだって店に行くこと、相番・相伴)だけでなく一人でも店に行ってみたこともあった。
一方で、そろそろもういいかな、という気持ちもあった。一度本当にハマってみてもいいかもしれないとも思い「100万円使い切ったころに次のことを考える」という目標を立てていたが、100万には全く届かないこの時点で十分かなという気持ちになってきていた。ホストクラブはそれなりに楽しかったが、払った金額分楽しめるかと言われると、それほどの場所ではない。高額を払うのは、客が担当ホストを好きになって、ホストとの人間関係にその価値を見出すからだ。
しかしわたしはミキが語るような『ガチ恋』の気持ちにはなれそうになかった。■■の方もそういった『色恋営業』をするタイプではないらしい。■■の言動には「初めて」営業のようにわかりやすく予防線を引くもの、牽制するものが多かった。
激しい恋愛のように幹也と喧嘩をしては泣いているミキのことが心配は心配だったが、これ以上酷い目に遭うこともなさそうだと判断できた。後は外から様子を見ていればいいだろう。わたしは年内で最後にしよう。
年末のその日、だが、わたしは恋に落ちた。