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今日の1曲

古い曲に偏りますが1曲チョイスして綴ります。

(310) お嫁サンバ/郷ひろみ(1981)

年末年始の休みが明けて、仕事始めの週を終えた「今日の1曲」。

 

今日はこの曲!

 

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作詞:三浦徳子/作曲:小杉保夫

発売:1981(昭和56)年5月1日 (当時25歳)

売上:27.2万枚(オリコン最高6位) ※1984年度 年間51位 

1981(昭和56)年5月に発売された、郷ひろみさん38枚目のシングル曲です。

 

●転換期の曲

郷ひろみさんの代表的な曲のひとつとして今も挙げられるほどのメジャー曲ですが、当時25歳で、オリコンヒットチャート的には常時TOP10入りする事が難しくなってきており、1978(昭和53)年頃から最高10位に入れない曲もちょくちょく出てきて、年齢的にも22~23歳となり、彼らの下の世代が10代のアイドルとして登場し、それまでのトップアイドルから「大人の歌手」への路線転換を迫られている時期でした。実際、リリースする楽曲もそれまでのアイドル路線から大人っぽいものとなり、歌い方も声が低く落ち着いたものへとシフトしていってる事が感じ取れました。

当時「新御三家」とよばれた彼らが同様に、20歳を過ぎてからヒットチャートの賑わせ方に落ち着きをみせるようになっていき、郷さんも緩やかながら少しずつ下降していく形となっていて、本人たちの歌唱力やパフォーマンスが成熟するのと反比例するように、レコードセールスは徐々に頭打ちとなっていきました。

そんな中で、曲(メロディー)が最初に郷さんの元へ届けられて「いいな」と思ったのが、この曲だったといいます。

 

●1、2サンバ 2、2サンバ?

メロディーを聴いて「いいな」と思ったのも束の間、その後届けられた歌詞を目にして「1,2サンバ 2,2サンバ?なんだこれ?」と思ったそうです。

このコメントをしているところを実際、テレビ番組で見た事がありますが、当初は「こんなの歌えないよ」というような事を言っていました。当時の年齢から考えて大人の楽曲を熱望していたであろう状況から、こんな訳の分からないフレーズの曲を拒否するのは当然の流れだったと思われます。

しかしプロデューサーに「必ず後世に歌い継がれるから」と説得されてリリースする事となり、実際に当初拒否したこのキャッチーなフレーズがウケて曲はヒットしました。

それまで近々では大人の路線で続けていたところに、急にこんなキャッチーで後にいういかにも「ヒロミゴー」的な楽曲をリリースした事は、彼にとって間違いなくターニングポイントとなり、エンターテイナーとして独自の路線を歩んでいく、その方向性の決まった楽曲!といっても過言ではないと思います。

 

●売上

オリコン最高6位、27.2万枚とセールス的にはものすごい大ヒット曲という訳ではなく、セールスよりも話題性がかなり上回り、前年の「How Manyいい顔」(1980.9.21発売。最高8位。29.9万枚)以来のオリコンTOP10入りを果たし、またそれよりも売上は下回っていますが、やはりインパクトは「お嫁サンバ」の方が断然強いと感じられます。ちなみに1981年度の年間51位にランクインしています。

 

●お嫁さん+サンバ

当時自分は小5でしたが、このタイトルが合名的なものというのは何となく認識していました。しかし、およそサンバとは無関係と気づいたのは後の事でした。

歌詞的には、前出のサビの部分のインパクトが絶大ですが、サウンドがシンプルで、また

♪あの街 この街 (あの街 この街)

という独特のコーラスが入るのも印象的です。

サビ前の

♪ちょっと ちょっと まーってよちょっーとー

の部分で、グッと盛り上げていくのも曲の構成的に素晴らしさを感じます。

♪ひとりのものにならないでー

って言うのは「お嫁に行かないで」って事でしょうが、これに続き部分が意味不明すぎて大好きです(笑)

♪あああー ああー それが大事だよ 1、2サンバ 2、2サンバ お嫁お嫁 お嫁サンバー

って訳が分からなすぎで、作詞(三浦徳子さん)の才覚がすごすぎます(笑) 

 

 

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(309) 野良犬/A.R.B.(1978)

長かった休みも明けて,また会社生活へ逆戻りの「今日の1曲」。

 

今日はこの曲!

 

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作詞/作曲:石橋 凌

発売:1978(昭和53)年10月25日 (石橋凌:当時22歳)

売上:不明(オリコンチャートインなし)  

1978(昭和53)年10月に発売された、A.R.B.のデビューシングルです。

 

ARBのデビュー曲!

石橋凌さんをフロントマンに据え、社会派ロックバンドとして主に80年代に活躍したA.R.B.(アレキサンダーラグタイム・バンド)の記念すべきデビュー曲です。

しかしその結成は、およそロックとはかけ離れた要素の成り立ちであり、日本版「ベイシティ・ローラーズ」をつくろうという事で、オーディションで集められた5人がバンドを組み、デビュー曲として石橋凌さんが作詞作曲したのがこの曲でした。

 

●草創期のレアメンバー

A.R.B.はこの曲でデビューした1978(昭和53)年から、最初に解散する1990(平成2)年まで、メンバーの変遷について大きく3つの時期に分けられますが、最初の時期は1978~83年となり、その中でも1978~79年と、この後の83年までの時期に更に分けられます。

その草創期はデビュー時期の1年あるかないかぐらいの期間で、メジャーデビュー後程なく、この5人のうち2人が脱退します。その後ベーシストが交代してしばらく第1期として活動を続けていく事となりますが、このメンバーでアルバムジャケットに写っているのはデビューアルバムのみでした。

 

●ジャケット

後のA.R.B.を基準に考えると、あり得ないほどのカラフルで、半ばアイドルチックですらあるようなジャケットだ、と感じます。

やはりアイドル的な男性バンドとして集められ、プロモートされてきた経緯もあり、このような出で立ちになっていますが、真ん中の真っ白な衣装が石橋凌さんで、「誰これ?」って感じですね。世良公則さんがツイストでデビューした頃のような姿でした。

そして、このバンドに石橋さんと共に最初から最後まで運命を共にしたドラマーのKEITH(キース)さん(向かって左端)はスキンヘッドに黒ずくめのスタイルが定番でしたが、この時は赤い帽子に黄色のズボンはレアすぎるほどレアなスタイルです。しかも初期は髪を伸ばしていたというのが驚きです。

しかし、このようにプロモートされた事が、バンドメンバーにとっては方向性が違う、ということになり、彼らはこの後独立することになります。それで社会派ロックバンドへ変貌していく事となりました。

それにしてもこれ以外のメンバーの顔と名前が一致しません。初期のギタリスト田中一郎さんは顔の変遷が激しく、あとどれが宮城伸一郎(脱退後チャーリップへ移籍)さんで、どれがENMAさんか分かりません。

 

●曲

石橋凌さんの詞はデビュー当初からメッセージ性のあるものでしたが、歌い方がややアイドルチックで、プロデューサーの指示で、自分たちの想いと違っていたのかな…?とか思ったりしました。

自分を野良犬に見立て、♪吠えろおまえもとか、♪牙を向けてやれ!とか、抵抗というワードが浮かびます。けど♪野良犬もそんなに悪くない と結んでいるのは、野良犬である自分もまんざらではない、と思っているのでしょうか。

間奏のサウンドがロックらしいもので、70年代末期の割には先進的な音というか、独特の音響効果とうねるエレキが混在して、まだ市民権を得るに至っていないロックらしいサウンドを感じます。

 

 

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(308) 泣かないで/舘ひろし(1984)

年末年始の10連休も遂に終盤に差し掛かり寂しすぎる「今日の1曲」。

 

今日はこの曲!

 

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作詞:今野雄二、宮原芽映/作曲:舘ひろし

発売:1984(昭和59)年8月1日 (当時34歳)

売上:24.8万枚(オリコン最高8位) ※1984年度 年間59位 

1984(昭和59)年8月に発売された、舘ひろしさん12枚目のシングル曲です。

 

●3年ぶりシングル

当時「西部警察」シリーズの鳩村刑事役で人気沸騰中だった舘さんが「満を持して」元々の本業だった音楽の世界で実に3年ぶりのシングルをリリースした事で話題になり、ドラマの人気に引きずられるように、この曲もヒットを記録しました。そういう面では寺尾聰さん「ルビーの指環」と同じような現象と当時感じていました。

舘さんは「西部警察」出演期間中はシングルリリースをしておらず、鳩村刑事役で復帰したのが1981年12月の事で、前作シングル「ワンモア・チャンス」その年の7月(ドラマ復帰前)にリリースしており、これ以来音楽活動自体が休眠状態にありました。(全国縦断ロケ等ドラマのイベントで歌ったりはしていましたが)

 

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西部警察」での最初の出演はハーレーを乗り回すタツこと巽刑事役でしたが、当初の契約通りか半年で殉職の形で降板しました。

その後ファンからの熱いラブコールを経て1年半後に別の鳩村刑事役で復帰していますが、歌手活動と俳優活動は被りなくやってきており、この曲が出た時のみ、歌手と俳優のと同時並行の状態で活動していました。

 

●最大ヒット曲

舘さんのシングルはそれまで、オリコン100位以内に入る曲が殆どなく、また俳優活動と並行してリリースする事もなかった事もあってか、これというヒット曲がない状況でした。どっちかというと、ロック歌手としてコアな人気があったという感じでした。

俳優として人気沸騰中にリリースされたこのシングルは、石原プロが全面バックアップしたと思える、舘さんのアクションシーンが入ったTVCMが盛んに流されていましたが、発売後チャートを駆け上っていき、オリコン最高8位にまで上がり、自身を代表する曲となって、年間でも1984年の59位に入るヒット曲になりました。

当時の音楽番組である「ザ・ベストテン」にも出演を果たし、歌手・舘ひろしとしての一面がデビュー10年目にして世間に広く知られる事となりました

 

●脱ロック?

それまでの舘さんの楽曲は、元々ロックバンド「クールス」のリーダーとしての活動が起点で、アメリカンロックテイストを基調とした音楽を作っていて、クールスを脱退後はソロのロック歌手として独自の路線を築きますが、あくまでもロックのカテゴリに入る楽曲群でした。

3年ぶりに発売されたこの曲や、当時リリースされたアルバム「イン・ザ・ムード」などは、かつての路線からガラッと変わるムーディーな楽曲群(アルバムタイトルがまさにそうですが)で、かつての舘さんの音楽を知る側からすると、戸惑う向きも見られたと思いますが、俳優としての役柄も革ジャンの似合うワイルド路線から、スーツの似合う大人の路線へシフトしていく頃であり、そのキャラクターに合ったものではあると思います。

決してロックの路線を捨てた訳ではないでしょうが、国民的俳優となりゆく過程において、楽曲の路線も変わっていったのかな、という気がしました。

 

↓クールスの楽曲についてはコチラ

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↓それまでの舘さんソロ楽曲についてはコチラ

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●作家陣

作詞は今野雄二さんと宮原芽映さんの共作です。

今野雄二さんは音楽評論家の方が主という感じで、他者への歌詞提供はあまり多くないですが、舘さんや三田村邦彦さんなど俳優兼歌手の方に複数提供があり、またヒット曲では1986(昭和61)年石井明美さんの歌で「男女7人夏物語」の主題歌としてヒットたCHA-CHA-CHAの日本語詞を担当しました。2010(平成22)年自死により逝去されていす。

宮原芽映さんは女性シンガーソングライターで、桜田淳子さんの末期シングル「眉月夜」含め、平成期のアイドルや、小椋佳さん、レベッカなど実に幅広い分野の歌手に楽曲提供をされています。

やはりサビの

♪泣かなぁーいでぇぇー

の部分がとにかく印象的ですね。

♪消し忘れた煙草 回り続けるレコード  (レコード!が昭和)

など、別れ間際の何もかもが「途中」の状態を感じさせますが

♪今よりもマシな優しさにあえるよ

ってフレーズがグッときました。

今は最悪の瞬間だけど、きっとこの先はよい出会いがあるよ、という感じで。

 

作曲は舘さん自身ですが、サビの♪泣かなぁーいでぇぇー

の直前の「間」を計算して入れたのだと思いますが、これが絶妙と感じます。

タメにタメて、このフレーズを思いっきりムーディーに歌って、キャッチーなフレーズになった、と感じました。

他には

♪弱くなったの たし

の「わ」の部分の歌い出しが、タメてからブワッと出す感じの歌い方で強調されている感があり、ここもまた印象的でした。

 

もう40年も前の曲か…と感慨深くなりました。

 

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(307) めざめのカーニバル/榊原郁恵(1978)

2025年新年あけましておめでとうございます。

今年も、自分のi-Podから出てくる色々な曲を紹介していきます「今日の1曲」。

 

今日はこの曲!

 

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作詞/作曲:佐々木勉

発売:1978(昭和53)年4月1日 (当時18歳)

売上:12.4万枚(オリコン最高16位) 

1978(昭和53)年4月に発売された、榊原郁恵さん6枚目のシングル曲です。

 

●サンバ

カーニバルという曲名から連想される「サンバ」の早いリズム音を前奏の序盤から盛り込んでいて、最初だけ聞いてポップな曲と分かります。

その後の

♪タタタ タッタッタッ…

と勢いよく出てくる音がありますが、個人的に初めて聴いた時「仮面ライダーV3の前奏に似てる!」と感じました。

メロディーラインが似てる感じでしたが、そのくらい勢いの良い前奏の曲です。

 

●作家陣

作詞作曲とも佐々木勉さんで、郁恵さんのシングルヒット時に立て続けに作曲はしていましたが、詞も作ることはかなり少なく、他には「あこがれ」(1978.11.1発売。最高42位。4.1万枚)と本作の2曲(シングルA面に限ると)のみでした。

「あこがれ」は前作のわずか1ヶ月後に発売された企画盤につき売上が少なくなっています。

 

●売上

オリコン最高16位を記録し、12.4万枚を売上げました。

郁恵さんのシングルでは最も安定した売上を記録していた時期で、前作「いとしのロビン・フッドさま」(1978.1.1発売。最高18位。15.3万枚)に続く2作目のオリコン20位以内ランクイン(意外にもTOP10ランクイン曲はゼロ!)を果たし、売上は少し落ちたものの、最高位は更新しました。

彼女の代表曲的存在で、また最も売れた「夏のお嬢さん」の前のシングル曲であり、この時期がレコードセールス的なピークで、10万枚以上の売上を連発していました。

 

↓「夏のお嬢さん」についてはコチラ

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●超HAPPYな曲

詞を改めて見ると、とても幸せな想いに満ち溢れているように思えました。

♪あなたにめぐり会えた 喜びにあふれ

とか

♪幸せすぎて とてもこわい 目覚めよ

など、夢に見た「あなた」と出会って、「二人ここで花開く」ことが幸せすぎて怖いくらいの様子です。

サビはシンプルすぎるもので、

♪カーニバル(×4) 目覚めのカーニバルー

と歌い上げていますが、かつてリアルタイムで見ていた方々が、この部分だけ記憶にあるという声が複数見られ、動画を見て「郁恵ちゃんの曲だったのか」「この曲だったのか」などの反応を見て、人々の記憶に残っている事が感じ取れました。

個人的に彼女の曲でリアルに記憶しているのは、少し後になってからの「太陽のバカンス」(当時小5)が最初であり、代表曲「夏のお嬢さん」(当時小2)すら後に知ったぐらいで、その曲をリアルで知るかどうか、というのは当時の年齢が大きく影響する訳で、もう2、3年早く生まれてたら♪チュウ チュウチュチュ…と学校で歌っていたかもしれません(笑)

 

↓「太陽のバカンス」についてはコチラ

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サウンド

前奏については冒頭ふれましたが、全体的に疾走感溢れるサウンドで、1番を歌い終わった後に急にブラスが前面に出てくると思ったら、途中からエレキがうねってきたり、ポップな要素に満ち溢れています。

この時代らしいコーラスも随所に使われていて、疾走感を助長しているような感じられ、またサビの♪カーニバル(×4)に入る直前のピアノの鍵盤を滑らせる弾き(グリッサンドというそうです)が絶妙にタイミングで入ってて、これもまたサビを引き立たせるのに一役買っているように思いました。

郁恵さんの明るいキャラクターに合った歌詞と歌唱、疾走感溢れるメロディーがハッピーな世界観を確立した曲だと思います。

 

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(306)恋のハーフムーン/太田裕美(1981)

2024年も遂に最後の日となった「今日の1曲」。

 

今日はこの曲!

 

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作詞/松本隆:作曲:大瀧詠一

発売:1981(昭和56)年3月21日 (当時26歳)

売上:1.0万枚(オリコン最高80位) 

 

1981(昭和56)年に発売された太田裕美さん20枚目のシングル曲です。

 

●作家陣

作詞は松本隆さん、作曲は大瀧詠一さんという、前作「さらばシベリア鉄道と同じコンビで、シングルではこの2作のみがこのコンビによるものでした。

前曲のような物語性に富んだハードなタッチの世界観がガラッと違って、全体的にゆるふわな雰囲気の曲です。

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●売上

オリコン最高81位で1.0万枚の売上でした。

この次のシングル「君と歩いた青春」(1981.8.26発売。最高80位。1.7万枚)をリリースしますが、これはその5年前にアルバムに収録されていた曲を再録音したもので、初出の曲ではオリコン100位圏内に入った現時点最後のシングルとなっています。

その直後の渡米後の活動再開期や、結婚後の本格復帰以降も時折シングルリリースしていますが100位以内に入る曲がなく、1曲100位以内に入ると嬉しいなと感じます。

 

●幻想的雰囲気

それまでの楽曲と違った不思議な雰囲気を感じるのは、エコーの凄くかかった感じで、短い前奏からハープの♪ポロロン…という音が流れたりして、この時点で曲の雰囲気が分かってしまう、そんな感じでした。前奏でいうと河合奈保子さんの「ラヴェンダー・リップス」(1985年シングル)という曲に少し似ています。

歌い出しの

♪なんと なんとなく ハーフムーン~

の歌い出しの柔らかさが大変印象的で、これもまた曲の世界観がすぐに感じ取れるように思いました。

それまでの楽曲が、地平に立って自分の気持ちをまっすぐに歌っているとすれば、この曲は少し高い所から俯瞰で眺めて歌っているような印象を受けます。

エコーのかかり方?というかちょっと生歌っぽくない感じで、少しハイトーンな歌い方も相まって、ちょっとファンタジックで浮世離れした感じの異色の曲だなと。そう「ファンタジック」というワードが最もしっくりくる気がします。

それでいて、生っぽさを感じるドラムの音も適度に配されている不思議なバランス感もあるな、という事も感じます。

のちにアメリカ留学を経て復帰後にテクノポップ路線に大幅にシフトチェンジしますが、ちょっとその片鱗が見える気もしました。

 

●誤解した歌詞

今回この記事を書くまで、歌詞を活字でちゃんと見てなくて気づきませんでしたが、

♪相手が誰でも 好きだと 言えるの

の最後の「?」の部分、疑問形だったのか!!と(笑)

これまでそれを知らずに「相手が誰でも好きだといえるの!」と認識していたので「全然違うやん!」となりました。

歌い方からして「!」な感じだったので、まさか「?」だったとは…という感じで。

確かに「相手が誰でも好きだと言えるの!」と言い張ってると思っていたので「なんて浮気な…!でもそういう開放的な気持ちに傾いてるのか?」と捉えていましたが、それが実は「?」だったなんて…という事ですね。そりゃそうだよな、と改めてなりました(笑)

 

 

太田裕美さんは、今年の春から休業されていて現在療養中で、11/1のデビュー50周年記念日には久々に「X」でのポストを見る事ができましたが、2025年は少しでも元気なお姿を知る事ができれば良いな、と切に感じています。

 

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(305)みちのくひとり旅/山本譲二(1980)

遂に、今年最後の労働週を迎えた「今日の1曲」。

 

今日はこの曲!

 

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作詞/市場馨:作曲:三島大輔

発売:1980(昭和55)年8月5日 (当時30歳)

売上:89.3万枚(オリコン最高4位) ※1981年度 年間16位 1982年度 年間30位

1980(昭和55)年8月に発売された山本譲二さん6枚目(山本譲二名義では4枚目)のシングル曲です。

 

このブログで演歌を取り上げることはかなり少ないですが、自分の子供時代には演歌も普通にチャートTOP10を席捲し、その年のヒット曲として時代を色濃く彩る事が多くありましたので、自分のi-Podにも入っています。

 

●世に出た曲

山本譲二さんを語る上で絶対に外せない曲であり、山本譲二という名前が世の中に広がった曲でもあります。

それまでは1974(昭和49)年に「伊達春樹」の名前で「夜霧のあなた」という曲でデビューし、半年ほど後には2ndシングルもリリースしますが売れず、この名義では結局この2曲で終わりとなりました。当時は角刈りではなく七三分けの長髪で、甘い声で歌っていたのが後の「山本譲二」とは似ても似つかぬ雰囲気でした。

その後は北島三郎さんの弟子になりたいと何度も懇願の末ようやく鞄持ちになったといい、本名である山本譲二名義で1976(昭和51)年に再デビューしますが、1年に1度リリースできるかどうかのペースで、レコード会社移籍を経ても軒並み売れず、この「みちのくひとり旅」も発売当初の数か月は全くの鳴かず飛ばずで、師匠である北島氏からは「この曲でダメならあきらめろ」とさえ言われたそうです。

 

しかし歌番組で披露されてから火がついて、たちまちその名が知れ渡り、1981(昭和56)年を代表するヒット曲にまでのし上がりました。

この年10月にスタートしたアニメ「じゃりン子チエ」の1話では主人公チエの働くホルモン店の有線放送でこの曲が使われていました。

 

●売上

オリコン最高4位を記録し、89.3万枚を売上げた大ヒット曲になりました。

それまで前名義含め5曲はオリコンチャートにランクインした事がありませんでしたが、この曲で一気にブレイクし、その後安定した演歌歌手としての地位を築いたのは言うまでもありません。

オリコンTOP100には約1年間となる49週にわたってランクインしており、1981年の年間17位、更に翌1982年も年間30位と2つの年に跨がってヒットを放っていました。

 

●ジョージカット

この曲がヒットして「譲二(ジョージ)カット」という言葉が流行った記憶があります。

単なるスポーツ刈りの事ですが、彼のマネをして角刈りにする人も結構いたとか聞いた覚えがあります。

ジャケットに時代を感じますが、シャツがインで、でも若干出てるような感じで、そういう着こなしを意図してやっていたのでしょうか?

 

●ふんどし歌唱

この曲の歌唱で印象深かったのはザ・ベストテンでランクインして出演した際に上半身裸のふんどし一丁で歌っていた時でした。すごくそれが似合っていて「男児」という感じでした。

また高校時代に野球部に所属していて甲子園に出ていた事も同番組で明かされた覚えがあります。

 

●歌詞

♪ここで一緒に 死ねたらいいと~

のフレーズで始まりますが、今思うと当時の彼の状況と重なる部分を感じます。

改名してレコード会社を移籍しても一向に売れず、崖っぷちの状況で「必死」で「決死」の想いだったと思います。

♪すがる涙の意地らしさ

という歌詞は当時小5の自分には意味が分かりませんでしたが、ニュアンス的なものは感じていた気がします。「すがる涙」って何?どんな涙?とか思っていましたが、細かい事を考えないのが当時小学生だったなと感じます。

 

ラストの

♪たとえーどんなに…

を繰り返す部分は、情念のようなものを感じたというか、強いパワーみたいもので、テレビで見てても圧倒された感がありました。

♪俺にはお前が最後の女

というフレーズを「俺には」と「お前が」を倒置法でひっくり返されたり、

♪最後の~おんな~

の部分を最後だけをアクセント変えて表現していたりするのも、その場その場で伝えるニュアンスの違いみたいなものを感じました。

 

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(304)ハートのエースが出てこない/キャンディーズ(1975)

12月もあっという間に後半戦、今年もあと2週間の「今日の1曲」。

 

今日はこの曲!

 

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作詞/竜真知子:作曲:森田公一

発売:1975(昭和50)年12月5日 (伊藤蘭:当時20歳、田中好子藤村美樹:当時19歳)

売上:17.2万枚(オリコン最高11位) ※1976年度 年間87位

1975(昭和50)年12月に発売されたキャンディーズ8枚目のシングル曲です。

 

●恋占いの曲

タイトル通りですが、

♪ハートのエースが出てこない

と2回繰り返しています。大事な事なのでしょう(笑)

曲名そのものを冒頭で歌うサビ始まりの構成です。

♪あいつの気持ちが分かるまで デートのチャンスはお預けなのよ

と「あいつ」の気持ちを知りたいのですが、気まぐれか本気か分からない…決め手がない…とモヤモヤした心情が全面的に綴られています。

 

●売上

初期にはあまり売れなかったキャンディーズの前半期において代表的な曲のひとつで、17.2万枚を売上げていますが、意外にもオリコンTOP10にはランクインしておらず、最高11位でした。

ちなみに12月発売につき、翌1976年度の年間87位にランクインしています。

この時代は発売から順位が上がるのも落ちるのも実にゆったりしたもので、今みたいに出てきてはすぐ落ちる、という感じではないので、12月発売だと大抵翌年反映となっていました。

 

●作家陣

作詞は竜真知子さんで、個人的には河合奈保子さんの初期の曲の印象が深いですが、その兄貴分にあたる西城秀樹さんへも提供していたり、アイドル歌手への提供が多くある中で、ロック系や大人の歌手への提供も一部ありました。キャンディーズのシングルでは本作が唯一の提供となりました。

作曲は森田公一さんで、デビュー曲「あなたに夢中」から3作は彼の手によるものでしたが、あまりセールスには結びつかず、4枚目「年下の男の子」穂口雄右氏に交代してからブレイクしましたが、これ以降ずっと穂口氏だったのが本作で久々の担当となりました。

 

●ポップ調のヒット曲

サウンドがポップでビビッドというか、ハッキリした音が多くて個人的にサウンドの大好きな曲です。

 

出だしからして、

♪ジャガジャンッ ジャーンジャージャジャジャーン 

て感じで

♪ブン ブン ブン

ってコーラスも、ちょっと煽り気味でいい感じです。

それまでのキャンディーズの曲で、特にブレイクした「年下の男の子」以降では、割にゆったりした出だしの曲が多く、久々に爽快な出だしという感じでした。

ライブだとテンポが上がって、より出だしの疾走感が増します。おそらく当時のテレビ歌番組も巻き編集が多かったので、テンポが速かったと思います。(リアルでは見ていませんが)

小節が終わる毎の

♪タララ ラッタッタラ とか ♪タタター

という感じのハッキリした音もいい感じです。

サビに入る前の

♪ターターター タターターーー

ってのも壮大感があっていい感じです(語彙力…)

間奏の

♪タララン タララン タララララン…  (♪パッパー)と大きな管楽器の音

と鳴る中で、

疾走感を増幅させる

♪タカタカタカタカ タカタカタカタカ…

という何の音か?入り混じって、スピード感満載で2番の歌い出しに戻りますが、

歌唱自体はゆったりした感じで妙なギャップがありますが、歌唱に比べると随分ポップな曲だなと感じられます。

 

●リリースから49年

今からもう50年近くも前の曲という事に驚きますが、かの石破首相が大好きだったというキャンディーズ、去年は伊藤蘭さんが単独で歌唱して50年変わらぬキラキラぶりを見せつけたのが印象的でした。

 

 

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