一昨年も見に行った「MOTHER~特攻の母 鳥濱トメ物語〜」を今年もまた見に行くことができた。元バレーボール選手の大林素子さんが主演女優をつとめ、2010年から毎年公演している舞台劇である。
主人公の「鳥濱トメ」という人物は実在の人物だ。九州は知覧の特攻隊基地近くで営んでいた食堂を軍の指定食堂にされ、多くの10〜20代の若者たちばかりだった特攻隊員たちから母のように慕われていたという。戦後、手のひらを返したように特攻隊員たちを侮辱し始め墓も作れなくなった世論のなか、鳥濱トメ氏は棒を立てて墓に見立てるところから始め、観音堂を立てるまでになった。
物語は終戦直後、そんな手のひらを返した世論の中、出撃直前の特攻隊員たちの姿を思い浮かべながら始まる。
俺がこの舞台が好き理由の一つは、劇中にあるこんな言葉が気に入ったからだ。
「戦争とは、爺が始め、おっさんが命令し、若者が死んでいく物語だ」
その性質上、前線に送り込まれる兵士は若者たちになりがちだ。命を散らした特攻隊員たちは本当に若い子供のような年齢だった。思えば幕末の志士たちもみな少年兵と言っていいような若者たちが多かった。
2.戦後日本の人口 | sentence
上記に引用したグラフを見れば、終戦の年の20代人口が削れているのがわかるだろう。戦争で死んだ若者たちだ。なにをどう言い繕おうが、いざ戦争となった時に死ぬのはこういう年代の若い男たちなのである。「戦争とは、爺が始め、おっさんが命令し、若者が死んでいく物語だ」という言葉は、それを的確に言い当てている。
他にもこの舞台が好きな理由がある。それは視点の多様性である。その象徴の一つが「金山さん」という朝鮮人の特攻隊員だ。モデルになったのは卓庚鉉という実在の人物である。訓練校時代から鳥濱トメに可愛がられていたとのことで、特攻隊として知覧に彼が戻ってきたときのトメさんの気持ちやいかばかりか。
彼は言う。「俺はただ、朝鮮人が特攻隊員として死んだという事実を残すためだけに死ぬんだ」と。
鳥濱トメのセリフにもある。「あの子たちはだまされて突撃したんじゃない。それぞれ特攻隊に入った理由があるんだ」と。大きな理由も、小さいな理由もある。だがそれぞれ死ぬに値する理由がそこにあった。
劇中で特攻隊員たちが書く手紙は、実際に遺されてる遺書である。ひとりひとりが、様々な思いを込めてゼロ戦や震洋に乗り込んでいったことが伝わってくる。
「靖国神社で待っている」が彼らの合言葉だったというが、彼らが求めた居場所は本当に靖国神社だったのだろうか。物語の読み取り方は、受け手に任されている。そういう意味でも、本当によい舞台であった。
劇が終わり、主演の大林素子さんが「この舞台を続けていくためにも、よろしければSNSなどで感想を書いていただけるとうれしいです」と挨拶されていた。だから改めて感想をここに書いておこうと思った。俺はできれば来年も再来年も、またこの舞台を見たいのである。
東京公演は明日12日の月曜に千秋楽を迎え、地方公演へと移っていく。良ければできるだけ多くの人にこの舞台を見ていただき、来年につなげて欲しい。当日券も売られているはずである。
特攻隊を賛美するでも、否定するでもない。誰かに肩入れした物語でもない。ただただ、戦争で傷ついた若者たちを愛した鳥濱トメという人物の視点で描かれるこの物語を、俺はもっと見ていたいのである。
2016年2月11日追記
俺が見に行った上演で地元の警官役を演じておられた阿藤快さんがこの直後にお亡くなりになられていたそうだ。
大林素子、阿藤快さんと遺作共演 異変に気づけず後悔も | ORICON STYLE
この舞台が遺作となられてしまったようで大変残念である。謹んでお悔やみ申し上げたい。
しかし舞台はまだ終わらない。今年2016年は2月24〜28日にかけて上演されるそうだ。
『MOTHER マザー~特攻の母 鳥濱トメ物語~』東京公演 2016年2月24〜28日 新国立劇場・小劇場
今年は行けるかどうかわからないのだが、阿藤快さんの追悼の意味もこめて見に行けたらいいなと思ってる。