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Fool in Trance

それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

『世界の肌ざわり 新しいアメリカの短編』(編 柴田元幸・斎藤英治)

 

 柴田元幸斎藤英治編のアンソロジー『世界の肌ざわり 新しいアメリカの短編』読了。『狩人の夜』の脚本家ジェイムズ・エイジーの短編が収録されていると知って手に取ってみた。1993年刊行なので最早「新しい」とは言えまいが、収録作はどれも驚くほど面白かった。

 

 収録作品は、スティーヴ・スターン『ラザール・マルキン、天国へ行く』、リチャード・ボーシュ『世界の肌ざわり』、リック・バス『見張り』、ロン・カールソン『アット・ザ・ホップ』、マーク・ヘルプリン『シュロイダーシュピッツェ』、シンシア・オジック『T・S・エリオット不朽の名作をめぐる知られざる真実 完全版書誌に向けてのノート』、ジェイムズ・エイジー『母の話』、シリ・ハストヴェット『フーディーニ』の全8編。

 

 お目当てのジェイムズ・エイジー『母の話』は、母牛が子牛たちに、屠殺場から逃げ帰った伝説の牛の話を語るという物凄い短編だった。幕切れも鮮やか。ますますエイジーに関する興味がわいた。他の作品も読んでみたい。

 

 田舎ホラー顔負けのリック・バス『見張り』、老人と孫娘の不器用な交流を描くリチャード・ボーシュ『世界の肌ざわり』、ポール・オースターのパートナー、シリ・ハストヴェット『フーディーニ』も強烈なインパクトだった。面白い作家はまだまだたくさんいるなあ。いくら時間が合っても足りないな。

 

 

 

『ノスタルジア』(アンドレイ・タルコフスキー)

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 アンドレイ・タルコフスキー監督『ノスタルジア』(1983年)鑑賞。北千住シネマブルースタジオにて。仕事明けの疲れた身体でタルコフスキー鑑賞は危険な賭けだなと思いつつ、約2ヶ月ぶりの映画館なので何か濃厚な作品を見たくてこちらをセレクト。 

 

 異国イタリアを彷徨う詩人の脳裏に去来する故郷の風景。ゆっくりとした横移動と奥行きのある縦構図が織りなす独特の映像感覚を堪能した。世界の終わりを憂いて家族を幽閉した男のエピソードもインパクト充分。実はタルコフスキーって表現が詩的(私的)にすぎて苦手な監督なんだけど、本作はとても好きだった。故郷喪失者の心象風景という部分にこちらも思い入れるところがあり、そこから上手くノレたというのが大きいかもしれない。寝落ちせず無事鑑賞出来た。

 

 塞ぎ込んだ中年男、横たわる女性、霧に煙る自然、水の滴る廃屋、鏡、犬、炎とお馴染みのモチーフが要所に散りばめられている。特に「水」は雨、水溜り、雪、ワイン、さらに鼻血と手が込んでる。また、耳を澄ますと何処かの犬の吠え声が遠くに聞こえるあの感じは監督の原風景のひとつなのかなと思う。

 

 今回はフィルム上映。といっても4K修復版ではなくて、元のバージョンだった。故郷の場面などセピア調の色彩がとても印象的。確かAmazonプライムに入ってたなと思い、帰宅後確認したところ、全く違うクリアな画質で冷たい印象を受けた。故郷の場面はモノクロ。こちらが元々監督が意図していた色調なのだろうか。

 

 北千住シネマブルースタジオは今回もほぼ貸し切り状態だった。お客さん自分入れて3人でしたよ‥‥。『EAST MEETS WEST』の貸し切り体験はちょっとしたトラウマで、喜八やタルコフスキーほどの人気監督でもこれかと落ち込みますね。ブルースタジオに行くたび書いてるけど、基本フィルム上映だし、入場料千円だし、もったいない。次回上映はルイ・マル死刑台のエレベーター』(ニュープリント、フィルム上映)とのこと。皆様、ブルースタジオ行きましょう!

『されど魔窟の映画館 浅草最後の映写』(荒島晃宏)

 

 荒島晃宏『されど魔窟の映画館 浅草最後の映写』読了。かつて映画街として華やかだった浅草から映画館の灯が消えるまでの最後の数年間を描いたノンフィクション。という設定だけを聞くと『ニューシネマ・パラダイス』『ラスト・ショー』的なノスタルジックな世界を想像する。ところが本書は「魔窟の映画館」だ。その映画館は「ハッテン場」(同性愛者がお相手を探すスポット)として世界に発信された(なんとまあ)有名な場所だったのだ。映画館なのに映画を見る以外の目的の客が多数出入りする魔窟で悪戦苦闘する著者の葛藤が大きな見どころとなっている。しかるに「映画館」とは、またそこで「映画を見る」という行為とは、とあれこれ考えさせる部分も多い。

 

 脚本家、映写技師である筆者の挫折と再起のドラマ、舞台となる映画館の汚れ具合や個性的な登場人物たちにはニューシネマ的な味わいがある。解説にも「70年代の良質なアメリカ映画のような」という表現があって、まさにその通りだなと思った。って解説は菊川Strangerの鈴木里美サマではないですか。さすが『ゴングなき戦い』を推すお方だ。

 

 何と本書にもピーター・ローレが登場。ローレづいてるなあ最近。ピーター・ローレ(に似た迷惑客)とか、ラクウェル・ウェルチ(女装親父)、ザルドス、ミニラなど次々登場する濃いキャラへの命名がいちいちツボで笑った。

 

 さておき『桃色じかけのフィルム』『ひるは映画館、よるは酒』等、ちくま文庫の日本映画関連書籍はどれも面白い。本書はその極めつけと言える名著であった。

『澁澤龍彦映画論集成』

 

 『澁澤龍彦映画論集成』読了。恐怖とエロスを主軸に映画を語る名評論集。実は澁澤の著作にはあまり馴染みが無いけれど、さすが独自の文体と審美眼を持つ文筆家だけにとても面白い。そんなに敷居の高いものではなくて、怪奇映画を語る文章など思わず親しみを感じてしまった。曰く、「ヒューマニズムなんか、大きらいだよ。ああ、お化けや怪物や人形の出てくるいい映画を見たいなあ。」と。「人形」が入っているのがらしいところか。

 

 監督ではブニュエルヴィスコンティフェリーニベルイマンルイ・マルなど。女優ではカトリーヌ・ドヌーヴがお好みのようで、あちこちに名前が出て来る。作品では何といっても『顔のない眼』への偏愛ぶりが凄い。「自分の恋人に仮面をかぶせ、仮面の女が家の中を歩きまわる戦慄的な魅惑の雰囲気に、頭から足の先までどっぷり浸ってみたいような誘惑にかられた。」とまで書いてる。

 

 個人的にはずっと気になっているジョン・ヒューストンフロイト』の評が読めたのが嬉しかった。澁澤は酷評してるけど。まあそれはそうだろうなとも思う。でも見てみたいなあ。

『いなごの日』『ときにはハリウッドの陽を浴びて―作家たちのハリウッドでの日々』

 

 ナサニエル・ウエスト『いなごの日』(1939年)読了。ジョン・シュレシンジャー監督、ドナルド・サザーランド、カレン・ブラック主演の映画『イナゴの日』原作。ホレス・マッコイ『彼らは廃馬を撃つ』と同じく、30年代ハリウッド最下層を蠢く人々の辛辣なスケッチだ。アメリカン・ドリームを求めてハリウッドにやって来た人々、一握りの成功者の陰に埋もれた多数の負け犬たち、「カリフォルニアに死にに来た人たち」を描く筆致は容赦ない。

 本作は脚本家として一時ハリウッドで働いていた作者ウエストの体験をもとにした小説なのだという。余程嫌な体験をしたのか、もとより映画に思い入れが無いのか、映画がドリーミーなものとしては描かれておらず、「観客が見たいのは鎧甲armorと魅惑glamorだよ」と身も蓋もない。

 クライマックスは映画の試写会でスターの登場を待つやじ馬たちの騒ぎが暴動に発展、地獄絵図が展開する。闘鶏の子細な描写などもかなり残酷。主人公が恋する女性を追って撮影所を駆け巡る場面に一瞬だけ夢が弾けるが、そのエピソードの締めくくりがセットの崩落事故と悲惨極まりない。苦い小説だった。

 

 先日見た『三階の見知らぬ男』について調べたところ、何と『いなごの日』のナサニエル・ウエストが脚本に参加してた事が分かって驚いた。何たる偶然。他にウエストがどんな作品に関わったのか知りたくて検索したら、面白い本が見つかったので早速図書館で借りてみた。

 

 

 トム・ダーディス『ときにはハリウッドの陽を浴びて―作家たちのハリウッドでの日々』(1976年)。

 F・スコット・フィッツジェラルドウィリアム・フォークナーナサニエル・ウエスト、オルダス・ハックリー、ジェイムズ・エイジー。ハリウッドで脚本家として働いた5人の作家を描くノンフィクション。文学史では蔑まれたりスルーされてきた部分にスポットを当て再評価を促す野心的な一冊で、これは無茶苦茶面白かった。

 フォークナーの項では名コンビとなったハワード・ホークスの他、トッド・ブラウニングも登場。デルモア・シュワルツのフォークナー評なんてのも出てきて大興奮。

 お目当てのナサニエル・ウエストは、5人の中で胡散臭さが群を抜いている。MGMやフォックスといった大メジャースタジオで働いたフィッツジェラルドやフォークナーと違い、ウエストはコロンビアやリパブリック社といったマイナースタジオを中心に仕事をした(リパブリックの先輩にはホレス・マッコイもいたという)。後に末期のRKO、ユニバーサルでも働くことになるが、もっぱら弱小スタジオで生活の為と割り切ってジャンル映画の脚本を山のように書き散らしていたようだ。その成果は映画ではなく小説『いなごの日』に結実した。著者曰く「彼は誰よりも巧みに、ハリウッドの栄光に関する古いロマンティックな神話を打ち砕いたあと、まったく新しいハリウッド像ー輝く陽光の中に不吉に朽ち果てて行くハリウッドーを描いたのである。」。

 

 本書で一番興味を惹かれたのはジェイムズ・エイジーだった。本書に取り上げられた他の作家たちが基本的には映画に興味が無いのに対し、エイジーは熱狂的な映画ファン。アメリカ映画評論家の草分けみたいな人で、この時代(40年代)すでに実作に進出した映画オタクがいたのだなと興味深い。小説も実に面白そうだ。エイジーがものにした作品は、ヒューストン『アフリカの女王』、そしてカルト作『狩人の夜』!本書を読むと、『狩人の夜』のジャンルを横断するような不思議なタッチは実は既に脚本に書かれていたのではないかと思われる。

 

 とても面白くて一気に読み終えてしまった。ひとつ残念なのは、作品リストがついていなかったこと。それは自分で調べろってことなのかな。本書を手掛かりに探究をするのも確かに面白そうだ。

『バカルー・バンザイの8次元ギャラクシー』(W・D・リクター)

 

 W・D・リクター監督『バカルー・バンザイの8次元ギャラクシー』(1984年)鑑賞。日米ハーフの天才医師で物理学者、ロックバンドのリーダー、バカルー・バンザイ(ピーター・ウェラー)の活躍を描くコミカルなSFヒーロー・アクション。

 

 面白いといえば面白いんだけど、美味しいネタを振っておいてことごとく見せ場を外してるような歯痒さを感じた。何しろ物々しく登場する割には主人公バンザイがそんなに活躍しないのだ。やっぱりこれは珍品枠かな。音楽やファッション、軽くてユルいノリなど昔は大嫌いだった「The 80年代」なムードは、今見ると可愛げがあってそんなに嫌じゃなかった。

 

 敵役はジョン・リスゴー。80年代前半のリスゴーと言えば『ミッドナイトクロス』『ガープの世界』『トワイライト・ゾーン』等に出てた頃だと思うけど、元気いっぱいノリノリの悪役演技を披露。エレン・バーキンジェフ・ゴールドブラムクリストファー・ロイドマット・クラーク、ダン・ヘダヤ、他にも名前は知らないけどよく見る顔が次々出てくるのが楽しい。

 

 エンディングが最高で映画の印象が10倍増しに良くなった。『ワイルドバンチ』から最近ではウェス・アンダーソンライフ・アクアティック』など、主要キャラが横並びで歩いてくるパターンをクールに決めてみせる。

 

『その子どもはなぜ、おかゆのなかで煮えているのか』(アグラヤ・ヴェテラニー)

 

 アグラヤ・ヴェテラニー『その子どもはなぜ、おかゆのなかで煮えているのか』(1999年)読む。XのFF様のポストで奇妙な題名を目にしてずっと気になってた一冊。これは強烈な作品だった。

 

 サーカスの芸人一家に生まれた少女の魂の彷徨。一家は祖国ルーマニアの圧政を逃れ、サーカス団と共に放浪生活を続ける。全編、主人公の意識の流れを子供の言葉で紡ぐ事が徹底されていて、面白いフレーズが満載されている。本作は作者の自伝的小説なのだという。

 

「人は自分の故郷の匂いをいたるところで思い出す、と父さんは言う。ただしそれは、故郷から遠く離れているときだけだそうだ。」

 

 父親はピエロ、母親は曲芸師。奇矯な家族の肖像。物語の前面には出てこないけれど、家族に疎まれながら自主映画を撮り続ける父親とその作品が気になった。家族や仲間をキャストに撮影されたその映画は、信仰がテーマと思われるがどう見てもZ級ホラーなのでおかしい。最後に描かれる場面だけは不思議な崇高さを湛えている。

 

「映画のなかで死んだら、ライトが消え、そのあとでまた生き返る。わたしが完全に死ぬことはない!」

 

 奇妙な題名に惹かれたようで、本棚に置いていたら小6の娘が知らぬ間に読んでたのには焦った。「おかゆ面白かったよ」と言ってたけど。