『「CD売上回復!」というストーリーを作りたいレコード会社たち』は悪質な印象操作だ
ここの日記は「メディアリテラシーを考える」というテーマでいこうと思ったのだが、一番最初はどのようなテーマで書けばいいのか悩んでいた。ネタを探そうとはてなブックマークをチェックしていたら「CD売上回復!」というストーリーを作りたいレコード会社たちという注目記事を見つけた。ブックマークコメント一覧を見る限り、概ね好意的に受け入れられている様子。しかし私は非常に悪質な恣意的誘導が含まれている記事だと感じた。
この記事を分析すると2つのパートがあることが分かる。前半は日本レコード協会が新聞やテレビなどのメディア向けに発表した「音楽CDの売り上げが配信のおかげで伸びている」という記事に対する異議。後半がレコード会社、日本レコード協会を中心とする音楽業界に対しての半ば感情的な文句、という構成になっている。前半部については概ね私も納得できるのだが、いくつか気になった点があるのでそこは指摘しておきたい。
これまで音楽CDの売上は「年度(4月〜翌年3月)」という単位では語られることは少なかった。大体「年度」なんて国によって異なるものだし、IFPIなり、RIAAなりほかの諸外国は通常CDの売り上げは年ベースで出しているのだから日本だってそれに合わせるのが当然だ。
確かに世界的に見れば年度で切るより、年単位で切っているところが多い。しかしJASRACは伝統的に著作権使用料徴収額を年度ごとに出しており、音楽業界全体の足並みを揃えるという意味では「年度」という単位で切り分けることも決して不自然な行為ではないだろう。日本レコード協会は「2004年」と「2005年度」を比較しているわけではないのである。2005年度と比較しているデータはその前の1年間である2004年度であり、売り上げが落ちた2005年1月から3月をなかったことにしているわけではない。
CDが売れた4月以降のデータを抜き出すことで前年同期比を「上昇」に転じさせることができるわけだから、ちょっとした「数字のマジック」がここにあったというわけだ。
しかし、実のところ数字のマジックというほど大げさな話ではなく、前「年度」と比較したときにプラスに転じていることは事実である。統計を見ればわかるが、実際2003年以降落ち込みの度合いは低くなっていた。事実としてここ1〜2年で音楽CDの売上は下げ止まりの傾向があったのだ。
津田氏は記事中で「数字のマジック」という言葉を使っているが、そのすぐ後の段落でその表現を「実のところ数字のマジックというほど大げさな話ではなく」という形で打ち消している。そう、日本レコード協会はタームをずらしただけであり、まったく数字の改ざんや操作などは(統計が正確なものであるという前提に立つ限り)していないのである。だが「数字のマジック」という表現は読者に不正な数値操作を行ったかのような印象を与える。彼はそこの部分に対して恐らく自覚的であり、だからこそ強めの「数字のマジック」という表現を使ったあと、そのすぐうしろの段落で「大げさな話ではなく」と否定しているのであろう。まずここで読者に対して「レコード会社が何か不正な操作を行った」という大まかな印象を与え、本当に主張したい後半部のレコード会社批判へスムーズにつなげているのである。
2005年の各種統計データが公開されたのは3月8日で、あまりメディアで大々的に「7年連続でCDの売り上げが下がった」みたいなニュースが飛び交わなかったのでおかしいなーとは思ってたんだが、ここでこういうニュースとなるあたりで、なんとなく合点がいった。
推測になってしまうが、日本レコード協会は恐らく2005年のオーディオレコード総生産額が微減(前年度比97%)になるという結果がわかった時点で、年度で切り分けたときの総生産金額ベースが明らかになるまで「待つ」ことを選んだのではないか。微減とは言うものの実質的には横ばいであり、音楽CDの売り上げ減は明確に下げ止まり傾向が見られたのである。1〜3月が壊滅的な状況であったにもかかわらず最終的には横ばいの数字になっていた。5月以降に売り上げが伸びていたことを考慮すると年度別にした方が明らかに数字は良くなる。であれば、3月末まで報道発表をせず結果を見てメディアに対して音楽CDビジネスが回復基調にあることをアピールした方がメジャーレコード会社の共同利益を代弁する役割を果たす「日本レコード協会」の広報戦略としては正しい。考えすぎかもしれないが、私がもし日本レコード協会の職員だったらそうしたであろう。1月の時点で「音楽CD売り上げ減に歯止め傾向」という記事が新聞に踊るのと、4月の時点で「音楽CD売り上げが7年ぶりに回復」という記事が新聞に載るのでは、一般消費者の印象はまったく変わってくる。もちろん4月の時点で前年度比でマイナスになる可能性はあっただろうが、それであればその時点で「音楽CD売り上げ減に歯止め傾向」というプロパガンダを行えばいいのである。
別に不正な数字の操作をしたわけではないのだから、そのことを理由に日本レコード協会を叩くのは間違いである。津田氏もそこのところは「レコ協の広報宣伝戦略の話だから俺的にはどうでもいい」と発言しているが、だったらなぜ「数字のマジック」というネガティブキーワードを挟むのか。
私が悪質だと感じるのは後半部分だ。津田氏は日本レコード協会が「ネット配信の普及が消費者に音楽CDに戻す効果をもたらし、音楽CDの売り上げを押し上げた」という趣旨のコメントをしていることに噛みついている。
今まで自分たちに原盤使用料が入ってこないっていう理由で散々着メロを中心としたケータイ文化を憎み、さらにはPCで音楽を楽しむ音楽ファンを「違法コピーユーザー」と犯罪者扱いしてクソ以下の欠陥メディアであるCCCDをリリースし、そのことに対して何の反省も見せず、音楽配信サービスについてもまったく普及させる気を見せずに消費者がまったく使う気が起きないガチガチのDRMしかかけず、さらにはiTMSが入ってくるのをあからさまに妨害してきたような日本のレコード会社たちがどの口で「配信のおかげで音楽需要が喚起され、CDの売上上昇をもたらした」とか言えるんだと。
非常に大きなフォントで言い切られているのでついつい見逃している、または頷いてしまっている人も多いが、この部分にこそ津田氏の恣意的な「レコード会社=悪」という印象操作が巧妙に埋め込まれていると私は感じる。以下細かく見ていこう。
今まで自分たちに原盤使用料が入ってこないっていう理由で散々着メロを中心としたケータイ文化を憎み、
メジャーレコード会社は大量の資金を投じてCD(原盤)を制作し、制作した原盤を売るために大量の広告宣伝費を自らのリスクとして投じている。当然ヒットする曲もあればまったく売れずに大赤字で終わるCDもある。どちらにせよメジャーでCDを商品として発売するということは莫大なコストがかかるものなのだ。しかし、携帯電話の文化はまったく異なる。コンテンツプロバイダ(着メロ事業者)は、JASRACに利用料金さえ支払えばレコード会社が苦労してリスクとコストをかけて生み出したヒット曲の着メロを自由に配信することができるのだ。ヒット曲の着メロを販売する着メロ事業者は、そうした宣伝費は全部レコード会社任せにすることができる。いわば低リスク、低コストでレコード会社のプロモーションにただ乗りすることができるのだ。だが、いくら着メロ事業者がヒット曲の着メロを販売しても、著作権料がJASRAC経由で作曲者などに入るだけであり、レコード会社には一銭も入らない。ただ乗りされている側からすれば、携帯電話の文化を憎むのは当然であろう。だからこそ、レコード会社の中から原盤使用料が入ってきて、許諾権を自由に行使できる(携帯事業者が参入できない)「着うた」というビジネスをレコード会社自ら立ち上げたのだ。
そして、レコード会社は自ら立ち上げた着うたというビジネスを成功させたことで、そこそこの収入を得られる機会を手に入れた。着メロを憎むのは当然のこととして、それに対して難癖を付けて潰したわけではなく、着うたというオルタナティブを軌道に乗せることで音楽CD以外の新たな音楽販売チャンネルを創造したわけである。仲間由紀恵withダウンローズのような例を見ても分かるように、レコード会社は少なくとも着うたという音楽配信ビジネスを音楽CDの売り上げ増に意識的につなげようとしているのである。このことについてレコード会社が責められるいわれはないだろう。
PCで音楽を楽しむ音楽ファンを「違法コピーユーザー」と犯罪者扱いしてクソ以下の欠陥メディアであるCCCDをリリースし、そのことに対して何の反省も見せず、
日本でリリースされたコピーコントロールCD(CCCD)が諸々の問題を含んだメディアであったということは私も認めるところである。しかし、コンテンツホルダーが自らの著作物に鍵をかける権利は誰も止めることはできない。レコード会社が自分たちの財産を守るために鍵をかける行為は正当なものである。それを「消費者を犯罪者扱いする」という概念につなげるのは津田氏の意図的なミスリードではないか。我々が自宅に置かれている財産を守るため外出時に鍵をかけるのは、外にいる他人全員を「犯罪者」扱いしているからではない。そうした他人の中に「不届き者」がおり、彼らが自分の財産権を侵害することに対してあらかじめ保護措置を講じているだけに過ぎないのだ。
もちろん、商品として販売しているものに鍵をかける行為と、自宅に鍵をかける行為は同一ではない。まっとうに対価を払って購入した消費者が自由にコンテンツを楽しめなかったり、品質に不安がある状態で再生しなければならないということは、音楽CDの商品性を著しく下げ、消費者に不満をもたらした。しかし、「鍵をかける行為=消費者を犯罪者扱いすること」ではないのだ。これを断言してしまうあたりに津田氏のレコード会社を悪者にしたいという印象操作を感じる。
レコード会社がCCCDをリリースしたことに反省を求めるのもおかしな話だ。彼らは別に慈善事業をやっているわけではない。商品性の低いCCCDをリリースしたことで消費者から不興を買い、それが売り上げ減に結びついたとしても、それは彼らが自己責任で解決すべき問題だからである。彼らはあくまでビジネスとして音楽をお金に換えているわけであり、それが消費者にとって魅力的でないのなら単純に消費者は買わなければいいのだ。
また、CCCDに関していえば日本レコード協会は消費者の混乱を避けるため、いち早く「統一マーク」を作っている。加えて、すべてのレコード会社がCCCDをリリースしたわけでないことからわかるように、日本レコード協会は加盟するレコード会社がCCCDでリリースすることを強制するような立場ではなかった。CCCDをリリースするか否かは各レコード会社の判断にゆだねられていたのである。津田氏のこの部分の批判に日本レコード協会に対してのものが含まれているなら、そもそもそれは「お門違い」なのだ。
音楽配信サービスについてもまったく普及させる気を見せずに消費者がまったく使う気が起きないガチガチのDRMしかかけず、さらにはiTMSが入ってくるのをあからさまに妨害してきたような
音楽配信サービスが伸びてきたといっても、4000億円弱という市場全体から見たときに音楽配信サービスの規模はたかだか数十億円。数%である。音楽配信サービスは単価が安くなってしまうため、着うたでミリオンヒットがあったところでCDでミリオンが出たときの約5分の1程度しか収入がないのである。言うまでもなく音楽業界全体を支えているビジネスモデルは「音楽CDを消費者に販売する」というモデルなのである。今後配信が伸びていくことは間違いないが、配信先進国と言われる米国ですらまだ全体の10%にすら達していないのだ。そんな状況で配信に大きく舵取りするのはビジネス判断としてリスクがあまりにも高すぎる。また、DRMの水準を緩くすることは当然のことながら違法コピーが増え、音楽CDの販売機会を失うことにつながりかねない。DRMの水準をどこに置くのかということは業界全体が是々非々でやっていくしかなかったのだ。iTMSがなかなか日本に入らなかったということも同様の話である。iTMSはそれまでの日本の音楽配信サービスのDRM水準と比べると大幅に緩くなっていた。しかし、米国でiTMSがブレイクしたことで音楽配信サービス自体が消費者に受け入れられ(米国ですらiTMS以前の音楽配信サービスはかなり悲惨な状況だった)、2004年頃から音楽CDの売り上げも回復してきた。そうした状況を見た上で、レコード会社が合弁会社として運営しているレーベルゲートのMoraはDRM水準を徐々に緩くして消費者寄りにしてきたのだ。iTMSの成功が音楽CDビジネスに少なくとも大きな悪影響は与えないという事実は2004〜2005年に証明されたことであり、それを見た上で配信ビジネスの舵取りを行っていくというのは、リスク回避という意味でむしろクレバーな判断だったと言えるのではないか。
日本のレコード会社たちがどの口で「配信のおかげで音楽需要が喚起され、CDの売上上昇をもたらした」とか言えるんだと。
この分析を行っているのはそもそも「レコード会社」ではない。レコード業界全般の融和協調を図り、優良なレコード(音楽用CD等)の普及、レコード製作者の権利擁護ならびに、レコードの適正利用のための円滑化に努め、日本の音楽文化の発展に寄与することを目的とした団体である日本レコード協会なのである。着うたビジネスを成功させたこともそうだし、そもそもCCCDに関しては日本レコード協会は「指導」する立場ではなかった。また、CCCDを積極導入していたレコード会社はエイベックス、SME、東芝EMI、ビクター、ポニーキャニオン、フォーライフくらいのものである。残り半数のレコード会社はCCCDに関してずっと様子見だったのだ。これらをまとめて「日本のレコード会社たちがどの口で」と批判するのは、あまりにも乱暴ではないか。
音楽業界に貢献してくれたiPodのことは一切言及せず、かたや私的録音補償金問題ではiPodから大金をせしめようとするわけね。いやはや大したダブルスタンダードですこと。
iPodが音楽業界を活性化させたことは事実だろうが、アップルコンピュータも文化事業としてiPodを販売したわけではない。もはやiPodはアップルコンピュータにとってもっとも大きな収入源となっており、彼らはビジネスとしてiPodを売り、iPodの市場ニーズを高めるためにiTMSとiPodを組み合わせることで音楽業界を活性化させたのだ。そのことは日本レコード協会の人も十分理解していることだろう。だが、iPodの利用シーンの多くはiTMSからダウンロードされた曲を入れることより、音楽CDをリッピングしてiPodに著作権料の支払われない「コピー」をすることである。しかもMDと違い、iPodは記録できる時間が非常に長い。その分コピーによる損失も大きいと考えるのが自然だ。iPodによって音楽業界が活性化されれば、その分私的録音補償金制度が想定するような「損失」も増大しているのである。そのような状況で明らかに音楽プレーヤーであるiPodが私的録音補償金制度の対象にならないのは、法制度として整合性がない。
日本レコード協会にとっては「iPodが売れて業界が活性化すればその分コピーによる損失が増える。その損失は私的録音補償金制度で補てんされるべきである」という明確な「1つのスタンダード」があるだけだ。これは決して「ダブルスタンダード」ではない。津田氏の「ダブルスタンダード」という発言はある種のレッテル貼りであり、こうしたところからもレコード会社を悪者にしたい印象操作が伺える。
つーか、本気で配信がCD需要伸ばすとかあなたがた思ってないでしょ? 配信も伸ばしてCDも伸ばす具体策とか何も考えてないでしょ? それ本気で考えてるんだったら、いまだにクソCCCD続けてる東芝EMIにきちんと「協会」として指導してやめさせなよ。SMEにiTMSに楽曲出すよう促しなよ。SMEがMoraでATRAC3 128Kbps、210円で売ってる音源を、着うたフルとかDUO MUSIC STOREではHE-AAC 48Kbpsのクソ音質しかも420円っていう倍の値段にして不当に消費者から搾取してる現状を何とかしてよ。
ここもひどい。日本レコード協会はレコード会社に対してCCCDを採用するかしないかを「指導」する立場にないからだ。そして、SMEがiTMSに楽曲を出すか出さないかの判断を指導する立場でもないし、その判断はSMEがビジネスとして考えればいいことなのである。SMEが着うたの価格を高くしているのはシンプルな話で、その価格で買うユーザーが多数いるから彼らなりの市場原理でその価格付けを行っているということだ。auのユーザーは楽曲を「買わされている」わけではない。自分の判断で「買っている」のだ。自分の判断で買っているものを「搾取」と呼ぶのはいささか無理がある。このあたり、詭弁のガイドラインに含まれている「一見、関係がありそうで関係のない話を始める」を地でいっており、津田氏は本来日本レコード協会とは関係ない話をマスターベーション的に彼らに突きつけているだけなのである。
とある音楽業界のお偉いさんたちが一堂に会する規模の大きなパーティーに出席したことがあるんだけど、パーティー終わって帰る前にトイレでウンコしてたら、そこのトイレにお偉いさんっぽい人たちがたくさん入ってきておもしろいトイレトークが聞けたのね。彼らも酔っぱらってるから口が滑る滑る。曰く「音楽配信で売れてるのは本当の音楽じゃない!」「着うたとか買う奴の神経が信じられないよね」「我々はやはり本当の音楽を作って行かなきゃいけないし、そのためには配信なんかじゃなくてCDじゃないと!」とかどう見ても香ばしい発言のオンパレード。
もっとも醜悪なのはこの部分である。この話が事実であるかどうかも疑わしいが、トイレで大便をしている最中であれば、彼はなぜトイレトークをしている人が「お偉いさんっぽい人」だとわかったのだろうか。規模の大きなパーティーであれば、当然レコード会社以外の人間も訪れる。レコード会社とは関係ない人が酔っぱらった勢いで適当に言ったことを針小棒大に表現しているだけではないのか。
このエントリーを通して読むと実はこの段落が彼がもっとも主張したいことであるということがわかる。「どうでもいい余談」と書いているが、音楽配信に対して音楽業界のトップが否定的な見解を持っているということ読者に印象づけることで、自説の補強を行っているのだ。非常に狡猾なやり口と言わざるを得ない。
このように、一見説得力がありそうでネット上では多数の人から支持されているこの文章もよくよく中身をチェックしていけば、津田氏の偏った主張を読者に押しつける「世論誘導・印象形成」を目的とした記事だということがわかるはずだ。もちろん、本人の主張を読者に伝えるということそれ自体は悪いことでも何でもない。また、ブログという「個人メディア」に書かれたものに対して恣意的な主張を排除することを求める方がおかしいという考え方もあるだろう。だが、少なくとも彼は文化庁が主催する私的録音録画委員会の専門委員であり、いわば「公人」だ。こうした偏った記事を世に出すことよりも、評論家・ジャーナリストとしての公正な視点が求められるのではないか。
主張内容が悪いと言ってるわけではない。部分部分で納得できるところも多々ある。だが、それでもなお私は彼がこのエントリーで取った恣意的なスタンスを許すことができないのである。