簡単な内視鏡手術をした。鼻の病気の手術なので、止血のための詰め物が取れるまでは鼻呼吸が一切できず、ろくにものを考えることができない。手術当日と翌日は傷がかなり痛いし発熱もする。
だったら寝ていればいいのだが、まとまった睡眠はとれない。気絶するように寝落ちし、口がカラカラになって目が覚める。
その間の薄ぼんやりした時間をどうするか。肉体的な苦痛に集中しないためにも何かのコンテンツに触れられたらいいのだが、インプットが全然できない。
しかし私には気に入りの空想があるので問題はないのだった。
子どものころ、眠る前に空想をしたことがあるでしょう。あれです。私は現役であれをやれる。
私の小学生から中学生の時分に気に入っていた空想のひとつが、竜を育てるお話である。
そのときどきでハマったコンテンツにより、背景は和風であったり中華風であったり、西洋風であったり中東風であったり、あるいは中央アジアの山岳地帯っぽかったりするので、(空想における)自分の名前もその都度かわる。
舞台がどこ風であっても、空想の中の私の身分はみなしごである。村のはずれの、かつて誰かが使っていた小屋に住んでいる。山の資源は村の共有物だが、危険な場所に生える山菜やきのこ、薬草や果実(このあたりは舞台になる場所の気候風土によってアレンジする)があり、村人は採取時の事故を怖れて死んでもいい人間にそれを取らせている。私はそれを取って村に持っていく。それでもって子どもながらに一人で暮らしを立てている。私は身軽で運動が得意な少年で、村人からは「あの猿」というふうに呼ばれている。
採取物はもちろん買いたたかれるから、こちらもそれなりに小ずるく、しかし迫害されないように立ち回り、うまくやっている。私(猿少年)は頭がいいのである。
ある春の日、高く売れる薬草が生えるはずの秘密の場所に行くと、そこには雑草しか生えていない。それで私は腹を立ててもっと奥へと進む。するとそこには、ごく小さい竜がいる。この世界では人と竜は断絶した存在で、忌むべきものとされている。
しかしその子竜はあまりにかわいいので、私は自分の小屋にそれを連れて帰ってしまう。この世界ではとんでもない破戒だ。
そういうお話である。空想するときには任意の場面と登場人物を設定する。おおまかなストーリーとしては、私は竜と暮らすうちに竜という生物について理解し、そのコミュニケーション様式を明らかにして、最終的にはこの世界の人と竜の関係を一変させ、英雄になる。このストーリーラインのどこを切り取ってディティールを載せるかはそのときの気分次第である。
このお話には、私の子どものころの「自分の力で生きていきたい」「運動が得意になりたい」「動物と特別な仲になりたい」「観察と記録によって対象を理解したい」「世界を変える英雄になりたい」といった大小の願望が臆面もなく盛り込まれており、かわいいと思う。冒険をするには少女ではなく少年でなくてはならないと無意識に思っているあたりはちょっとかわいそうだなと思う。
そんなわけで手術後は久しぶりにこの空想を取り出し、竜の持つ認知や言語についてあれこれ設定を考えた。楽しかった。あとタイトルも考えた。「○○(世界設定に応じた私の名前)ー翼を持たずに生まれたドラゴン」にしよう。
私がそのように話すと、家族は「三つ子の魂百までってやつだ。何かというとお話を作る」と言う。私は笑う。笑っても何をしても涙が目から出る。鼻の病気の手術の直後はあれこれの穴がふさがっているので、何かというと涙液が目から出るのである。
泣きながら食事をするのも変だわねえ、と私は言う。それから「泣きながら食事をする」の連想について話す。
あなたは荒廃した世界で運び屋などしながら暮らしているくたびれた中年です。そう、あなたがやってるあのゲームの世界ね。ある日、人がいなくなったはずのエリアで子どもを見つける。気まぐれで連れて帰って食料をやると、子どもは泣きながら食う。かわいそう。でもあなたは子どものことなんかよくわからないから放っておく。子どもにとってはそれがいいんだね、良い意味で無関心なので危害を加えられることはないと安心するわけだ。このあと、子どもとあなたの距離はたいして縮まらないんだけれど、荒廃した世界ではともに暮らす他者の存在そのものがいつしかかけがえのないものになるのさ。でもって何やかんやあって最後は子どもをかばって死ぬ。
おれが、と家族が言う。あなたが、と私は言う。家族は苦笑して言う。本当に退屈しない人だ。