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メモで近代文学をまとめました。



 明治18年に坪内逍遥が日本で初めての近代小説論『小説神髄』を発表するまで、明治時代の文学は、戯作文学、翻訳文学、政治小説の三つに別れていました。

 初期は、写実主義的な近代小説が盛り上がる一方、古典文学に回帰する流れもありました。

 近代化が進むにしたがって、自我意識の目覚めは人間性の解放をもたらし、開放的な自由を求めるロマン主義文学が登場します。

 この辺りの文学は、共通テストや高校の範囲で重要視されているので感覚的に覚えて置きましょう。個の確立により、人権意識が芽生え始める的なニュアンスで大丈夫だと思います。

 西洋近代社会の根本には近代的自我がありました。封建時代を続けていた日本には近代市民社会というものは存在せず、その核となる近代的自我もない。明治に入って、外圧によって開国を余儀なくされ、西欧列強に植民地化されないために、社会は急激な近代化を遂げた。急激に変化する社会へのギャップを埋めようとして、なんとか個人の内側に「自我」を確立しようとした一連の作家がいる、という考え方です。

 ロマン主義の底流に流れているものは、古典主義や教条主義を無視した個人の、根本的独自性の重視、自我の欲求による実存的不安といった特性です。ロマン主義においては、古典主義において軽視されてきたエキゾチスム・オリエンタリズム・神秘主義・夢が題材にされる事が多く、森鴎外の「舞姫」は自我の覚醒を書いた小説で、屑ですが一読する価値はあります。個人の感情、憂鬱・不安・動揺・苦悩・個人的愛情を描く明治時代の作品は大体、ロマン主義に行き着くと捉えてください。

 明治時代の末期になると、自然主義文学が起こりました。写実主義文学(リアリズム文学)が発展して生まれたもので、唯物論的世界観・自然主義的決定論とペシミズム、現実性を重視し架空性を排除した精密な客観描写、人生の暗黒面の描写を避けないこと、作品における社会関係の存在が描かれます。現実を赤裸々に暴露するものと受け止められてます。

 日本における自然主義文学は、島崎藤村の『破戒』が有名ですね。自然主義の小説家に転ずるにあたってロマン主義からの脱却を目指し、花袋は、『蒲団』に見られる「露骨なる描写」により、自分の作品を貫く論理を明らかにしようとした。

 情報量が大きくなって分かりにくくなったので整理します。

 第一に、文学は基本的に既存文学を拡張していく流れを取ります。 
 第二に、作者個人の考えやイデオロギーが入ってきます。
 第三に、資本主義化してくのでエンタメ性を付け加えていきます。

 雑ですが、こんな感じで文学の流行は変移します。

 以降の話をする上で、文壇という概念を知る必要があります。まぁ閉鎖的なギルド組織ですね。同人サークルの更に面倒くせぇバージョンです。

 私小説が自然主義のメインの題材で、この自然主義の流れに相対する形で存在していたのが、後述の反自然主義文学と呼ばれる潮流。夏目漱石や森鷗外、後には耽美派・白樺派・新現実主義が反自然主義に分類されます。めっちゃ面倒くせぇな。

 漱石と鷗外は日本近代文学を代表する小説家としてしばしば並び称され、それぞれ余裕派、高踏派と呼ばれる。二人とも良い感じに文章に余裕があり、メンヘラ的な文豪達が生活をしてるのに対して、新聞に小説を寄稿しがちだったから一部嫌われていた。

 この辺で大正中期になり、芥川が活躍したりした。芥川の自殺で日本文学のシーズン1が終わった感がする。大衆小説は地道に頑張ってた。

 昭和10年頃までは、モダニズム文学とプロレタリア文学の併立期である。

 ダダイスム・未来派・表現派などの技巧はそのまま日本に輸入され横光利一や川端康成らによる新感覚派がおこった。横光の『蠅』は映画的手法が取られた。

 色々あって、日本は戦争に負けた。

 戦争が終わり、文芸雑誌が次々と復刊・創刊されると、まず、戦争末期には作品の発表すらできなかった既成作家らが、これまで書き溜めていた作品や新作を発表した。

 太宰治とかも、戦後作家。

 学校で学ばなさそうなのは、サナトリウム文学で、結核患者がメインになる話で割と長い期間テーマにされていたから、国語の問題文になりがち。



 

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