JALサービス委員会のメンバーと、品川で当時自衛隊から研修に来ていた福山さんの退職・昇任祝いを兼ねて昼に集合。それぞれの人生。
須藤さん、藤原さん、杉原さん、田中さん、羽鳥さん、古田さん。
二次会はコーヒー。三次会は駅構内のバー。
「名言との対話」12月18日。平賀源内。
「ああ、吾、あやまてり。あたら小才と奇智におぼれ、お江戸の風に浮かれだこ」
- 1月24日は、平賀源内が獄死した日。享年57歳。
- 平賀源内を形容する言葉は実に多い。曰く、神童。天狗小僧。才気の人。諧謔の人。千里の駒。戯作者。夢見人。起業家。天才。奇才。、、。これら聞いただけで、源内の姿が浮かんでくるようだ。
- 讃州高松藩の最下級の武士の家に生まれた源内は、本草学・薬草に深い関心を持つ藩主と親しくなるが、広い世界を見たいと暇をもらおうとする。藩主の答えは自由は与えるが、他に就職してはならないという「仕官御構い」の宣告を受ける。このため源内は大きくは跳べなかった。
- 四国讃岐市の平賀源内記念館には源内の逸話を多く展示している。平賀源内旧邸や薬草園でこの多彩な才能をしのんだことを思い出す。
- 源内はあまりも直感力が優れていた。そして好奇心が強く、森羅万象に関心があった。そのため地道に本質を極めようとする努力をしなかった。最後は殺傷事件で入牢することになる。平賀源内という存在とは何だったのか、やはりこういう疑念が起こってくる。源内は華やかな才能を使いつぶした、ともいえるのではないか。
- これほどの才能があった源内にして、なお、最晩年の鬱屈があった。翔べなかった己を愧じた言葉である。この言葉は小中陽太郎の名著「跳べよ源内」(平原社)にある。異能の持ち主の波乱の人生と彼を取り巻く個性豊かな人々、そして江戸の田沼時代の空気を買いた書だが、この言葉は天が与えた才能におぼれた平賀源内の悔恨をあらわしているように聞こえる。