霞ヶ浦はきれいになったか?
富栄養化防止条例制定から20年たって、いま…
■浅くて広くて平坦で滞留200日の霞ヶ浦
■20年前条例で有リン洗剤を禁止したが…
■いまなお遠く厳しい水質改善への道
●霞ヶ浦の水質指標の変化とその負荷割合をみると…
■急速な人口増加に追いつかない対策
■COD5mg/Lをめざしてさらに努力は続く
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■浅くて広くて平坦で滞留200日の霞ヶ浦 |
常陸の国(茨城)は、昔から水の恵みを大きく受けてきたところです。利根川を境に千葉県と接する県南部に広がる霞ヶ浦は、古代には海だったところが、自然の堆積・海岸線の後退、江戸時代の利根川東遷(当時江戸湾に注いでいた利根川の流れを東へ変えた)といわれる大工事などによって陸地に取り囲まれ、次第に淡水化していった海跡湖です。
そもそも「霞ヶ浦」は一つではありません。一般に霞ヶ浦といわれている一番大きな西浦と、その東の鹿島灘に近い北浦、そして、この二つをつなぎ潮来などで有名な水郷地帯をつくりながら利根川に合流する常陸利根川、これらを総称して霞ヶ浦と呼ばれています。その面積は219.9平方キロ、びわ湖の約3分の1ですが、日本で二番目に大きい湖です。
びわ湖と大きく違うのが、平均水深4メートル、最大水深7メートルという点で、どちらもびわ湖の10分の1程度しかありません。つまり、霞ヶ浦はフランス料理のお皿のように全体に浅く広がっているのです。
大小56の河川から、雨や使用した水が流れ込む範囲である流域面積は2,157平方キロ、流域人口は約97万人。北西部の筑波山系以外は、ほぼ平坦な地形に囲まれているため、水の流れは実にゆっくりとしていて、平均滞留日数(水が入れ替わるのに要する日数)約200日といわれます。
このことは、霞ヶ浦の水質にも大きく影響しているようです。
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■20年前条例で有リン洗剤を禁止したが… |
歴史を振り返ってみれば、全国各地で公害が問題となったころから、この霞ヶ浦でも水質汚染がひどくなり、その対策が大きな課題になりました。茨城県では昭和46年には公害防止条例の全面的な改正をはかり、さらに昭和56年の霞ヶ浦の富栄養化の防止に関する条例の制定による工場・事業場の排水規制の強化や、生活排水ではリンを含む家庭用合成洗剤の使用禁止などの対策を講じてきました。
こうした流れを受けて、それまで有リンだった洗剤については、業界をあげて対応策に取り組み、昭和55年から無リン洗剤を開発し、昭和60年にはほぼ全面的に無リン化への切り替え移行が完了したのです。
一般に、水の汚れ具合を計る指標として用いられているのがCOD(化学的酸素要求量)です。これは、水中に含まれている有機物等が酸化されるときに消費される酸化剤の量を酸素の量に換算し「mg/リットル」で表したもので、この値が高ければ汚れているということになります。
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■いまなお遠く厳しい水質改善への道 |
このCODの経年変化で見ると、霞ヶ浦の水質は、昭和40年代後半頃から悪化し始め、昭和53・54(1978〜9)年度には10mg/Lを超えていました。この頃は、アオコの大量発生が問題になったときでした。
最近では8mg/L前後で推移しています。しかし、環境省の霞ヶ浦での水質環境基準値(水道用水源としては3mg/L以下)にはほど遠いのが現状です。とくに、近年でも北浦でのCOD値が9mg/Lを超えるなど、新たな現実に直面しています。
また、湖沼が汚れるというのは、周囲から流れ込む水に含まれている窒素やリン(栄養塩類)がプランクトンなどを発生させ、水が濁ってくることです。これが富栄養化といわれる現象ですが、霞ヶ浦の全窒素の経年変化をみると、長期にわたってはかばかしい改善がみられるとはいえないのが実状です。
有リン洗剤がその原因ではないかとされた全リンでも、その経年変化をみるとむしろ増加傾向にあります。
県では、昭和61年から総合的に富栄養化を防止するための施策を「霞ヶ浦に係る湖沼水質保全計画」という5か年ごとの長期計画として展開し続けてきました。平成12年度に終了した第3期計画でも、化学的酸素要求量CODは平成4年度から再び悪化に転じており、全窒素T-Nについては近年低下傾向にあるものの、全リンT-Pは昭和62年度から上昇してきているといった状況で、水質目標は結局達成できませんでした。
「井戸水よりおいしかった」という、昔のようなきれいな水の霞ヶ浦を取り戻すために歩まなければならない道は、なかなか遠く厳しいものがあるようです。
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●霞ヶ浦の水質指標の変化とその負荷割合をみると…
注)「生活」系負荷内訳は、未処理の雑排水・単独処理浄化槽排水・合併処理浄化槽排水が、3大要因。 |
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■急速な人口増加に追いつかない対策 |
こうした霞ヶ浦の水質悪化の背景となっているのは、なんといってもこの周辺の急速な人口増加です。昭和40年代までは60万人台で推移していた流域人口は、50年代には80万人を突破し、平成10年には97万人に達しています。この間、筑波研究学園都市、鹿島石油コンビナート、大小の工業団地、常磐線沿線の宅地開発などが進み、茨城県では全国平均の2〜3倍の人口増加率を示してきたのです。
実は、水質汚染の一番大きな原因は、こうした大勢の人間が日常の暮らしで出す「生活排水」なのです。COD、T-N、T-Pともに、それぞれの排出負荷割合をみると、それは明らかです。
その対策としては、まず「下水道の整備」があげられます。昭和50年度以降に著についた霞ヶ浦流域の下水道整備は、やっと46%に達したところで、平成17年の目標普及率が、全国平均に迫る53%となっています。下水道では、窒素・リンの取り除くための高度処理設備の整備も進んでいます。
基本的に市街地でないところは効率が悪いというのは下水道のもつ宿命ですが、田園地帯が広がるこの流域では、その完全普及は容易ではありません。
生活排水に次いで負荷割合が多いのは、畜産や農業です。霞ヶ浦流域では、水田のほか養豚やレンコン栽培が盛んで、排せつ汚水や肥料は、とくに窒素の負荷割合を高くしていると考えられます。そのため、下水道を補完する農業集落排水施設と合併処理浄化槽の整備、それに家畜排せつ物処理施設の整備などをあわせて進めていこうとしています。
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■COD5mg/Lをめざしてさらに努力は続く |
「霞ヶ浦に係る湖沼水質保全計画」は、平成13年から第4期計画に入っています。県だけでなく各官庁各部課の施策を総合的にまとめ、栃木・千葉の隣県とも協力して、引き続き人為的な要因による霞ヶ浦の汚れをくい止めようと努力を続けています。
その施策は、国土交通省がおこなうヨシやマコモなどの植生再生、土浦市のホテイアオイの投入・回収(窒素・リンを吸収する)から、県農産課が進める化学肥料削減・溶出抑制策(霞ヶ浦にやさしい農業)、漁政課が担当の養殖コイ生産量の削減適正化、有害外来魚の捕獲回収まで、実に多岐にわたっています。各家庭でできる生活排水対策も、食用油の使い切り、微細目ストレーナーの使用、廃油回収などきめ細かです。
中期目標として目指しているのは、昭和40年代前半、汚染が進行する前の水質(COD5mg/L)の復活です。
霞ヶ浦が抱える問題は、人の暮らしと自然の水リサイクルバランスがいったん崩れてしまうと、その回復には膨大な時間と費用と手間がかかるということ、豊かで便利な生活と環境型社会の両立への課題を教えてくれているといえましょう。
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