『エロイカより愛をこめて』の原画(撮影:栗原論)『エロイカより愛をこめて』の原画(撮影:栗原論)

冷戦時代の情報戦を描いたスパイアクション・コメディである不朽の名作『エロイカより愛をこめて』。作者である、少女漫画界の巨匠・青池保子の特別展「漫画家生活60周年記念 青池保子展 Contrail 航跡のかがやき」が2025年2月1日から東京・弥生美術館で開催されている。本展は、過去の展覧会では出品されなかったモノクロ原稿などをあわせ、青池保子の約300点の原画により構成。

青池作品を愛する著者が専門分野から『エロイカより愛をこめて』の作品世界に迫る。第2回は、美術史家の池上英洋氏が、作品に登場する美術作品を読み解く。(JBpress編集部)

(池上英洋:東京造形大学教授、美術史家)

※本稿は太陽の地図帖『青池保子『エロイカより愛をこめて』の世界』(太陽の地図帖編集部編、平凡社)より一部抜粋・再編集したものです。

イタリア留学中に実感した少佐の言葉

 姉が『別マ』*1派だったので、『エロイカ』と出合ったのは大学に入って同級生に薦められてからのことだ。すでにその頃には『アルカサル―王城―』の連載がスタートしていて、西洋美術史を学ぶ者として、当時はドン・ペドロを描いた重厚な歴史絵巻のほうに心を奪われていた。

*1 集英社から発行されている少女漫画誌『別冊マーガレット』のこと。『エロイカ』は秋田書店が発行していた『プリンセス』系の漫画誌に掲載されていた。

 その後、イタリアに留学してから、改めて『エロイカ』を読み直すことになったが、それというのも少佐がイタリアについてこぼしていたセリフを思い出したからだ。「ローマってのはなんてさわがしくて」「車は規則を守らんし人間は大声でわめきちらすし街中ゴミためだ!」*2。実際に住んでみて、その通りだわ、と思わず吹き出してしまった。

*2 『エロイカより愛をこめて』第4巻16ページ。

 引用したのは、ヴァチカンのサン・ピエトロ広場に伯爵が巨大なキスマークを描いたエピソードでよく知られている第8話でのセリフだが、雑誌掲載が1980年なので、今ほど簡単に海外に渡航できなかった当時にあって、よくぞ作者はこうした「お国事情」を早くからつかんでいたものだ。同話のタイトル「来た 見た 勝った‼」からしてユリウス・カエサルの故事にならっており*3、まことに『エロイカ』は作者・青池保子の豊かな教養によって支えられている。

*3 「来た 見た 勝った(Veni, vidi, vici)」は、共和政末期ローマの政治家ユリウス・カエサルが、ゼラ(現トルコのジレ)での戦いの勝利を報告するために使った名言。