諫早町
日本の長崎県北高来郡にあった町
諫早町(いさはやちょう)は、長崎県北高来郡の中部にあった町。1940年(昭和15年)に周辺各村と合併し市制施行、諫早市となった。
いさはやちょう 諫早町 | |
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廃止日 | 1940年9月1日 |
廃止理由 |
新設合併・市制施行 諫早町、小栗村、小野村、有喜村、真津山村、本野村、長田村 → 諫早市 |
現在の自治体 | 諫早市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 長崎県 |
郡 | 北高来郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
19,600人 (国勢調査、1935年) |
隣接自治体 | 北高来郡小野村、小栗村、真津山村、本野村、長田村 |
諫早町役場 | |
所在地 | 長崎県北高来郡諫早町原口名字馬責馬場 |
座標 | 北緯32度50分39秒 東経130度03分13秒 / 北緯32.84422度 東経130.05361度座標: 北緯32度50分39秒 東経130度03分13秒 / 北緯32.84422度 東経130.05361度 |
ウィキプロジェクト |
現在の諫早市諫早地域のうち、中央地区にあたる。
地理
編集- 山:上山、御館山
- 河川:本明川、目代川、富川、湯野尾川、琴川、谷川、綿打川、東川内川、前内川、福田川、中山西川
沿革
編集地方自治体として発足した当初の諫早町域は、江戸時代は諫早市中と称され、町方と津方を合わせた商工地域を成していた。諫早市中は明治初年頃に「西町」「東町」「諫早津」「岡町」の3町1津に分割。その後明治11年に「諫早町」として再び1町に統合された。
地名
編集- 旧諫早町(諫早市中)
旧来の諫早町域は高来地域の各自治体に見られる名の行政区(地名)を設置していない。また、大字も存在しない。代わりに、明治初年頃にかつての諫早市中より分割され、明治11年に再び1町に統合された3町1津の地域(西町・東町・諫早津・岡町)を基に、それぞれ十干を当てて地名を表記する。
※表記例(西町の場合) → 諫早町甲
- 旧諫早村
大字は無し。旧村時代の名をそのまま引き継いでいる。
- 宇都名
- 仲沖名
- 原口名(はらぐち、はるぐち)
- 船越名
- 旧北諫早村
合併当初は旧村時代の大字を冠称した名を行政区域としていたが、1927年(昭和2年)に大字を廃止し、名のみの区域となった。その際に一部の名を改称している[2]。
大字栄田
- 永昌名(えいしょう)
本村名→ 栄田名(えいだ)
大字下本明
本村名→ 本明名- 目代名
- 輪内名(わうち)
大字福田
- 福田名(大字廃止時に新設。大字時代は名なし)
交通
編集鉄道
編集- (真津山村) - 諫早駅 - (長田村)
現在、旧村域には上記駅のほか、1990年(平成2年)より東諌早駅が旧長田村域から移設されている。
- 諫早駅 - (本野村)
- 諫早駅 - 本諫早駅 - (小野村)
現在、旧村域には上記2駅のほか、2000年(平成12年)より幸駅が設置されている。
学校
編集名所・旧跡
編集施設
編集出身・ゆかりのある人物
編集脚注
編集- ^ 長崎縣告示第百號 北高来郡諫早3町村合併の件 長崎県公報 大正12年3月12日付
- ^ a b 長崎縣告示第二百九十九號 町内土地の字名廃止変更の件 長崎県公報 昭和2年6月24日付
- ^ 明治初年から11年までの「西町」、および明治11年から22年3月末まで諫早町「1丁目」と称した地域。小字として字田町・字上町・字八坂町の3字が存在するほか、町村制施行時に諫早村より分離された字大城戸を含む。
- ^ 明治初年から11年までの「東町」、および明治11年から22年3月末まで諫早町「2丁目」と称した地域。小字として字東下町・字西下町・字古町の3字が存在する。
- ^ 明治初年から11年までの「諫早津」、および明治11年から22年3月末まで諫早町「3丁目」と称した地域。小字として字光江・字唐津・字古中川良・字倉屋敷・字新中川良の5字が存在する。
- ^ 明治初年から11年までの「岡町」、および明治11年から22年3月末まで諫早町「4丁目」と称した地域。小字として字岡町・字北町の2字が存在する。
参考文献
編集- 角川日本地名大辞典 42 長崎県