隣接した諫早城(現在の諫早公園)を居城としていた諫早茂門(佐賀藩重臣、龍造寺氏支族)が元禄12年(1699年)に至り老朽化が進む城の維持が困難となったため、城を廃してその東麓に新しく築いた陣屋である。その後は明治に至るまで代々諫早氏に伝えられた。
廃藩置県後は陣屋の建物をそのまま学校に転用したが、1923年(大正12年)に校舎を新築するため現在も残る御書院を除いて解体された。
陣屋跡は長崎県立諫早高等学校・附属中学校の構内になっており、遺構としては同校内に前述の御書院と庭園が残されている。
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