飯島一彦
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 群馬県藤岡市 |
生年月日 | 1976年8月15日(48歳) |
身長 体重 |
183 cm 84 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2001年 ドラフト6巡目 |
初出場 | 2002年3月31日 |
最終出場 | 2003年7月6日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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飯島 一彦(いいじま かずひこ、1976年8月15日 - )は、群馬県藤岡市[1]出身の元プロ野球選手(投手)。
現在は、福岡ソフトバンクホークスのドーム運営部興行運営課。
来歴・人物
[編集]地元の群馬県の藤岡高では2年秋に県大会ベスト4、神奈川大学野球連盟の神奈川工科大学に進学。4年秋にベストプレーヤー(敢闘)賞。
大学卒業後は、社会人野球の強豪・新日本製鐵君津に入社。1年目から補強選手を含めて3年連続で都市対抗野球大会に出場する活躍を見せ、2001年のプロ野球ドラフト会議で福岡ダイエーホークスから6位指名を受け入団。
藤岡高は野球は強くなかったが、その環境から這い上がりプロで活躍する姿は高く評価され、2002年には地元・群馬の日刊紙『上毛新聞』1面コラム「三山春秋」で取り上げられたこともあった。出身大学初のプロ野球選手となった。
キレのあるシンカーを武器に、1年目の2002年は24試合に登板。序盤は無失点に抑えるなど3勝をあげる活躍を見せたが、翌2003年以降は登板機会が激減し、2004年限りで現役を引退した[1]。
引退後は、福岡ソフトバンクホークス株式会社のチーム運営部に所属。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2002 | ダイエー | 24 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 1 | -- | .500 | 149 | 34.2 | 30 | 4 | 17 | 2 | 6 | 26 | 0 | 0 | 15 | 15 | 3.89 | 1.36 |
2003 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 4 | 0.1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 27.00 | 9.00 | |
通算:2年 | 25 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 1 | -- | .500 | 153 | 35.0 | 32 | 4 | 18 | 2 | 6 | 26 | 0 | 0 | 16 | 16 | 4.11 | 1.43 |
記録
[編集]- 初登板:2002年3月31日、対日本ハムファイターズ2回戦(福岡ドーム)、7回表に2番手で救援登板、2回無失点
- 初奪三振:同上、8回表にDTクローマーから
- 初勝利:2002年4月10日、対大阪近鉄バファローズ3回戦(福岡ドーム)、10回表2死に2番手で救援登板・完了、1回1/3を無失点
- 初セーブ:2002年4月16日、対日本ハムファイターズ4回戦(東京ドーム)、9回裏に5番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初先発:2002年7月6日、対千葉ロッテマリーンズ12回戦(福岡ドーム)、2回2/3を3失点で敗戦投手
背番号
[編集]- 27 (2002年 - 2004年)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 飯島一彦 - NPB.jp 日本野球機構