藤原資家
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時代 | 平安時代後期 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
改名 | 藤原資家 → 須藤貞信 |
氏族 | 藤原北家長家流 → 須藤氏(那須氏) |
父母 | 父:藤原道家、母:源頼信娘? |
妻 | 那須国造娘? |
子 | 須藤資通 |
藤原 資家(ふじわら の すけいえ)は、平安時代後期の武将。那須氏の祖とされる。藤原北家藤原道長の後裔とされる。道長の六男で歌人として著名な藤原長家の孫。
略歴
[編集]藤原道家(下野守、従五位下)の子として誕生。ただし、道家は12歳くらいで病死したとする研究[1]もあり、仮冒の可能性が高い。
陸奥国白河郡八溝山に潜伏していた「岩獄丸」という賊を征伐する際に、資家は三和神社に戦勝を祈願したとされる[2]。その後、賊を討った功により、下野国那須郡を賜り同地に下向した。須藤権守貞信と称する。
築地館[3]の完成を見ずに、天治2年(1125年)頃に神田城を築城し、居城とする。資家以降、代々土着したという。
脚注
[編集]出典
[編集]- 『栃木県の歴史散歩』(山川出版社、2006年 ISBN 978-4-634-24609-6)