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田野畑村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
たのはたむら ウィキデータを編集
田野畑村
北山崎断崖の絶景
田野畑村旗 田野畑村章
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 岩手県
下閉伊郡
市町村コード 03484-3
法人番号 2000020034843 ウィキデータを編集
面積 156.19km2
総人口 2,742[編集]
推計人口、2024年11月1日)
人口密度 17.6人/km2
隣接自治体 下閉伊郡岩泉町普代村
村の木 キリ
村の花 シロバナシャクナゲ
村の鳥 ヤマドリ
田野畑村役場
村長 佐々木靖
所在地 028-8407
岩手県下閉伊郡田野畑村田野畑143番地1
北緯39度55分50秒 東経141度53分20秒 / 北緯39.93047度 東経141.88892度 / 39.93047; 141.88892座標: 北緯39度55分50秒 東経141度53分20秒 / 北緯39.93047度 東経141.88892度 / 39.93047; 141.88892
外部リンク 公式ウェブサイト
岩手県の自治体 /
地図
村庁舎位置
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示
田野畑村海岸部周辺の空中写真。画像上方(北)から、羅賀、平井賀、島越地区。海岸沿いは断崖が続き平地はほとんどない。村役場は画像左側(西方向)の台地上に位置している。1977年撮影の4枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

田野畑村(たのはたむら)は、日本岩手県沿岸北部に位置する下閉伊郡に属する太平洋に面しており、村の海岸線はすべて三陸復興国立公園に指定されている[1]

地理

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自然

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隣接する市町村

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参照 岩手県の市町村全図[2]

歴史

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行政区域の変遷(市制町村制施行以後)

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行政

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  • 村長 :佐々木靖(ささき やすし 2021年8月20日就任)

姉妹都市・友好都市

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日本の旗深谷市埼玉県) :1997年(平成9年)2月、旧・川本町友好町村提携。

地域

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人口

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田野畑村と全国の年齢別人口分布(2005年) 田野畑村の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 田野畑村
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
田野畑村(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 5,412人
1975年(昭和50年) 5,559人
1980年(昭和55年) 5,225人
1985年(昭和60年) 5,199人
1990年(平成2年) 5,019人
1995年(平成7年) 4,806人
2000年(平成12年) 4,529人
2005年(平成17年) 4,241人
2010年(平成22年) 3,843人
2015年(平成27年) 3,466人
2020年(令和2年) 3,059人
総務省統計局 国勢調査より

平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、9.81%減の3,466人であり、増減率は県下33市町村中26位。

教育

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小学校

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中学校

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  • 田野畑村立田野畑中学校

産業

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島越港にある北山崎めぐり観光船発着所(2007年撮影)

農林水産業が盛んな地域である。酪農などの第一次産業が主産業である。特産品としてウニ、アワビ、ワカメ、マツタケ、山ぶどうなどのほか、牛乳、ヨーグルト、アイスクリームなどの乳製品がある。また漁船や観光船によるクルーズや海釣り、海水浴、ダイビング、キャンプ、トレッキング、収穫体験といった、体験型観光にも力を入れている。

水産業

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  • 北山漁港
  • 机漁港
  • 平井賀漁港
  • 島の越漁港
  • 槇木沢漁港

郵便局

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  • 田野畑郵便局(集配局)
  • 沼袋郵便局
  • 島越郵便局
  • 平井賀郵便局

交通

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三陸鉄道田野畑駅(2013年5月10日)
道の駅たのはた(2021年7月10日)
三陸北縦貫道・鵜の巣断崖IC

鉄道

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バス

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道路

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地域高規格道路

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  • E45 三陸北縦貫道路

一般国道

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県道

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主要地方道
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一般県道
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名所・旧跡・観光

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ホテル羅賀荘(2009年)。羅賀荘は津波で被害を受けたが、2012年11月21日に改修の上営業を再開した
  • 三陸復興国立公園
  • 平井賀浜海水浴場
  • 島越海水浴場
  • 机浜番屋群未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選に選定されている。
  • 津波石
  • 畠山神社 - 源義経の討伐に差し向けられた畠山重忠の愛馬がこの地で脚を折って倒れ、それを祀った神社とされる。重忠のものとされるが奉納されていた(現在は田野畑村民俗資料館に保管)[13]。祭神は鍬形八幡大明神。御神体がであることから鍬形神社とも呼ばれ、農家の嫁に巻き付いた大蛇を鍬で打ち殺し、その鍬を祀るために神社を創建したという伝説もある[14]
  • 菅窪鹿踊・剣舞(県指定無形民俗文化財)- 伝承では、畠山重忠が田野畑村大芦に畠山神社を建立し、守護神「鍬形八幡大明神」を勧請するとともに鹿踊りを伝えたのが始まりで、数百年のちの嘉永5年(1852年)、大芦の一番の踊り手であった大工・常五郎が菅窪に移住して菅窪鹿踊を創始し、雷電神社別当を代々務めた常五郎一族によって神社に奉納されるようになったという[14]。菅窪鹿踊の鹿頭は野生鹿を象っており、この特徴は田野畑村と四国宇和島だけと言われる。また、菅窪流は同一の踊組が鹿踊りから早替わりして剣舞を踊るという珍しい芸態をもっている[15]

ギャラリー

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田野畑村を舞台とした作品

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出身・ゆかりのある人物

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脚注・出典

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  1. ^ a b c 田野畑村総合計画”. 田野畑村. 2024年9月11日閲覧。
  2. ^ 県内各市町村”. (公式ウェブサイト). 岩手県 (2018年10月1日). 2019年10月6日閲覧。
  3. ^ 中村尚史. “「サンヘイ一揆」を知っていますか?(広報かまいし2020年11月号寄稿)”. 東京大学社会科学研究所. 2024年9月11日閲覧。
  4. ^ a b c “明治三陸津波で打ち上げられた津波石「本当だった」”. KoLnet(ウェブサイト) (河北新報社). (2011年4月13日). オリジナルの2011年4月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110416053815/www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110413t33040.htm 2011年4月15日閲覧。 
  5. ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、152頁。ISBN 9784816922749 
  6. ^ 震度データベース検索”. (公式ウェブサイト). 気象庁 (2011年3月11日). 2011年4月16日閲覧。
  7. ^ 1人でも救いたかった…岩手派遣の県警援助隊が会見”. asahi.com(ウェブサイト). 朝日新聞社 (2011年3月19日). 2011年3月21日閲覧。
  8. ^ cf. “岩手県内の被災状況(県と県警まとめ)”. 岩手日報WebNews (岩手日報). (2011年4月xx日). http://www.iwate-np.co.jp/index.html 2011年4月19日閲覧。 
  9. ^ “三陸鉄道「国の支援なければ、もはや何も…」”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2011年4月5日). https://web.archive.org/web/20110408174345/http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866918/news/20110405-OYT1T00559.htm 2011年4月5日閲覧。 
  10. ^ “東日本大震災:零細漁村、復興への道筋見えず 高齢化、膨大な費用 - 岩手・田野畑”. 毎日jp (毎日新聞社). (2011年4月21日). オリジナルの2012年7月11日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/fabu 2011年4月21日閲覧。 
  11. ^ “東日本大震災 図説集”. 毎日jp (毎日新聞社). (2011年4月10日). オリジナルの2012年7月10日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/eeRn 2011年4月17日閲覧。 :被災状況全図。
  12. ^ cf. 田野畑村(岩手県)の住所・地名の読み仮名”. 市町村.com. 2011年4月20日閲覧。
  13. ^ 畠山神社田野畑村
  14. ^ a b 鹿踊りの起源をめぐる伝説について : 宮沢賢治を超えて 井上孝夫、千葉大学教育学部研究紀要 Vol.53 page.223-227 (20050228)
  15. ^ 第12回地域伝統芸能まつり 菅窪鹿踊・剣舞 (岩手県 田野畑村)一般財団法人 地域創造、2012

関連項目

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外部リンク

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