潮州
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潮州(ちょうしゅう)は、中国にかつて存在した州。隋代から元初にかけて、現在の広東省潮州市一帯に設置された。
隋代
[編集]591年(開皇11年)、隋により循州が分割されて、潮州が立てられた。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、潮州は義安郡と改称され、下部に5県を管轄した[1]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。
隋代の行政区画変遷 | |||
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区分 | 開皇元年 | 区分 | 大業3年 |
州 | 広州 | 郡 | 義安郡 |
郡 | 義安郡 | 県 | 海陽県 海寧県 潮陽県 程郷県 万川県 |
県 | 海陽県 海寧県 潮陽県 程郷県 義昭県 |
唐代
[編集]621年(武徳4年)、唐により義安郡は潮州と改められた。742年(天宝元年)、潮州は潮陽郡と改称された。758年(乾元元年)、潮陽郡は潮州の称にもどされた。潮州は嶺南道に属し、海陽・潮陽・程郷の3県を管轄した[2]。
宋代
[編集]宋のとき、潮州は広南東路に属し、海陽・潮陽・掲陽の3県を管轄した[3]。
元代以降
[編集]1279年(至元16年)、元により潮州は潮州路と改められた。潮州路は江西等処行中書省に属し、録事司と海陽・潮陽・掲陽の3県を管轄した[4]。
1369年(洪武2年)、明により潮州路は潮州府と改められた。潮州府は広東省に属し、海陽・潮陽・掲陽・程郷・饒平・恵来・鎮平・大埔・平遠・普寧・澄海の11県を管轄した[5]。
清代、潮州府は広東省に属し、海陽・豊順・潮陽・掲陽・饒平・恵来・大埔・澄海・普寧の9県と南澳庁を管轄した[6]。