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森井茂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
森井 茂
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 三重県
生年月日 1915年4月12日
没年月日 (1987-04-11) 1987年4月11日(71歳没)
身長
体重
168 cm
58 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1936年
初出場 1936年
最終出場 1950年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

森井 茂(もりい しげる、1915年4月12日 - 1987年4月11日[1])は、三重県出身のプロ野球選手。ポジションは投手

来歴・人物

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宇治山田商業から大津晴嵐クラブを経て、1936年名古屋軍へ入団。同年9月23日の対名古屋金鯱軍戦でプロ初勝利。当時のプロ野球は春・秋の2シーズン制だったが、1936年秋シーズンは26試合に登板して8勝5敗の成績を挙げ、これは沢村栄治(13勝2敗)に次ぐリーグ2位の成績だった[1]

1937年春シーズンに初めて開幕投手に起用されると、以後1937年秋・1938年秋・1941年1944年1946年と計6回開幕投手に起用された。これは2014年川上憲伸に抜かれるまで中日ドラゴンズの球団記録だった[1]。この内、1937年8月29日の秋季リーグ開幕戦、イーグルス戦(西宮球場)では、イーグルスの藤野文三郎と投げ合い、当時のプロ野球記録となる1試合最短試合(57分)を樹立した[2][3](試合はイーグルス打線を完封して勝ち投手になった)。なお対巨人戦では1938年春から1944年にかけ15連敗を喫しており、これは戦後に大石正彦大洋)が同じく巨人戦で16戦連敗(後に17連敗まで伸びる)を記録するまで、同一カードにおける投手の最多連敗記録であった[4]

1946年のシーズン終了後中部日本軍を退団し、地元の全宇治山田で3年間プレーした後、1950年広島カープでプロに復帰したが、1年間のみのプレーで同年引退した。妻によれば戦争中に肺を患ったことで、野球選手としての選手生命を縮める結果となったという[1]

スローボール(現在でいうチェンジアップのようなボール)を武器にしていた。関係者によれば下手投げの超スローカーブが決め球であったという[1]

詳細情報

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年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1936 名古屋
産業
中部日本
20 10 7 3 0 8 5 -- -- .615 590 133.1 113 2 73 -- 3 53 1 0 70 52 3.49 1.40
1937 19 17 5 0 0 3 9 -- -- .250 513 109.1 127 2 55 -- 4 37 4 0 91 60 4.91 1.66
1937 27 19 8 2 1 5 11 -- -- .313 641 149.2 150 3 51 -- 6 40 1 0 74 56 3.36 1.34
1938 18 12 7 0 0 4 9 -- -- .308 441 101.0 104 2 36 -- 0 30 0 0 56 39 3.48 1.39
1938 5 4 2 2 1 2 1 -- -- .667 120 29.1 24 0 10 -- 1 7 0 0 11 9 2.70 1.16
1940 1 1 0 0 0 0 1 -- -- .000 31 6.0 7 1 3 -- 0 1 0 0 7 4 6.00 1.67
1941 23 8 0 0 0 4 6 -- -- .400 390 90.0 75 3 47 -- 2 39 1 0 37 27 2.70 1.36
1942 27 13 3 0 1 4 13 -- -- .235 567 135.1 121 5 39 -- 2 29 0 0 49 28 1.85 1.18
1943 18 14 6 4 0 5 5 -- -- .500 445 116.0 81 3 26 -- 1 31 1 0 24 17 1.32 0.92
1944 22 19 14 2 3 6 12 -- -- .333 672 160.0 157 5 33 -- 1 28 0 0 67 40 2.25 1.19
1946 38 26 17 2 2 10 13 -- -- .435 1023 242.0 243 4 63 -- 3 51 4 0 117 85 3.16 1.26
1950 広島 15 13 6 0 0 2 8 -- -- .200 354 78.1 96 13 24 -- 0 22 0 0 62 50 5.70 1.53
通算:10年 233 156 75 15 8 53 93 -- -- .363 5787 1350.1 1298 43 460 -- 23 368 12 0 665 467 3.11 1.30
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 名古屋(名古屋軍)は、1944年に産業(産業軍)に、1946年に中部日本(中部日本軍)に球団名を変更

背番号

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  • 19 (1936年)
  • 7 (1937年 - 1938年)
  • 23 (1939年 - 1943年、1946年)
  • 27 (1950年)

脚注

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  1. ^ a b c d e 東京中日スポーツ・2009年4月7日付 4面
  2. ^ 職業野球!実況中継(12年秋 イーグルスvs名古屋 1回戦)
  3. ^ この記録は、1940年8月21日阪急vs大阪戦(大連・満俱球場。阪急:森弘太郎、大阪:若林忠志の投げ合いだった)で56分で更新され、1946年7月26日パシフィックvs阪神戦(西宮球場。パシフィック:湯浅芳彰、阪神:渡辺誠太郎の投げ合いだった)で55分で更新されて、現在に至っている。職業野球!実況中継(阪急vsタイガース 8回戦 満州リーグ)
  4. ^ 西武菊池雄星 55年ぶり同一カードで13連敗”. nikkansports.com. 日刊スポーツ新聞社 (2018年8月25日). 2018年8月25日閲覧。

関連項目

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