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松田正俊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松田 正俊
名前
愛称 マツ[1]
カタカナ マツダ マサトシ
ラテン文字 MATSUDA Masatoshi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1980-09-04) 1980年9月4日(44歳)
出身地 千葉県千葉市
身長 185cm[2]
体重 79kg[2]
選手情報
ポジション FW
利き足 右足[3]
ユース
1996-1998 日本の旗 市立船橋高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2002 日本の旗 FC東京 4 (0)
1999 日本の旗 横浜FC 9 (3)
2001 日本の旗 ヴァンフォーレ甲府 12 (2)
2003-2004 日本の旗 モンテディオ山形 14 (5)
2005-2006 日本の旗 京都パープルサンガ 33 (10)
2007 日本の旗 TDK 32 (18)
2008-2009 日本の旗 栃木SC 39 (7)
2009-2013 日本の旗 ブラウブリッツ秋田[注 1] 138 (73)
通算 281 (118)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

松田 正俊(まつだ まさとし、1980年9月4日 - )は、千葉県千葉市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワード(FW)

来歴

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選手時代

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プロ入りまで

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1996年船橋市立船橋高等学校に進学し、3年時には同期の西紀寛と共にインターハイを制し、さらに千葉県選抜として国体で優勝を果たした。同年の全国高等学校サッカー選手権大会千葉県大会では玉田圭司を擁した習志野高校に敗れた。市立船橋の同期には他に岩佐潤(バスケットボール部)、高橋美佳子(吹奏楽部)がいる。

FC東京→横浜FC

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高校卒業後の1999年J2FC東京に加入。シーズン途中にJFL横浜FC期限付き移籍し、リーグ優勝に貢献した。

FC東京→ヴァンフォーレ甲府

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2000年にFC東京に復帰したが、J1に昇格したチームではアマラオツゥットの2トップが定着したために出場機会は限られた。2001年はシーズン開幕前から好調を維持し[1]、持ち前の強烈なシュートと豪快なヘディングを武器に[1]練習試合で得点を量産したが先発には食い込めず、同年9月よりJ2・ヴァンフォーレ甲府へ期限付き移籍し[4]、苦戦の続いていた甲府の主力の一角として活躍した[1]

モンテディオ山形

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甲府から復帰後の2002年もFC東京では出場機会を得られず、2003年柱谷幸一が監督を務めるJ2・モンテディオ山形へ移籍[5][3]。好ペースで得点を挙げていたが[6][7]、同年5月のJ2第10節甲府戦で左膝前十字靭帯及び内側側副靱帯断裂[8]、長期のリハビリとコンディション調整を強いられた。翌2004年9月の水戸戦で得点を挙げ復調の兆しを見せたが[7]、この年限りで山形を退団。

京都パープルサンガ

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2005年、J2・京都パープルサンガへ移籍[9]。松田の苦闘を知る柱谷の下でのプレーとなり[10]、限られた出場時間の中で8得点を挙げ、京都のJ1昇格に貢献した。2006年限りで契約満了により退団[11]

TDKサッカー部

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2007年、JFL・TDKサッカー部(現 ブラウブリッツ秋田)に移籍。チームトップ(リーグ3位)の18得点を記録[12]同年の天皇杯では、4回戦で古巣・FC東京から得点を挙げ、相手サポーターからも声援を送られた[13]

栃木SC

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2008年に柱谷が監督を務めていたJFL・栃木SCに移籍。J2昇格を目指し、昇格が懸かったJFL後期第15節アルテ高崎戦ではハットトリックを挙げて勝利に貢献した[14][15]

TDKサッカー部/ブラウブリッツ秋田

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2009年9月、栃木SCから期限付き移籍する形で、TDKに復帰[16]。シーズン途中の加入ながらチームトップタイの7得点を記録し[17]、低迷していたチームを中位へ引き上げた。2010年より秋田(TDKから改称)へ完全移籍[18]。同年のJFLベストイレブン、2011年には同リーグの得点王(20得点)を獲得した。主将としてもチームを牽引し[19][20]、「ミスターブラウブリッツ[21]」「雷神[22]」「キングオブブラウブリッツ[20]」といった呼び名で慕われた。2013年11月17日のJFL第33節滋賀戦でJFL通算200試合出場と100得点を達成し[20]、同年をもって現役を引退[2]

指導者時代

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引退した松田は、2014年より秋田の育成コーチ兼アンバサダーに就任した[23]。2015年1月、秋田のヘッドコーチに就任した[24]。2016年は再び育成年代のU-14のコーチを務めた[25]

2017年、横山雄次監督率いる古巣栃木SCのヘッドコーチに就任[25][26]。横山との共闘は2012年の秋田在籍時以来となった。同年、A級ジェネラルライセンス取得[27]。2018年より栃木SCのトップチームを離れ、アカデミーのU-15カテゴリーのコーチとなり[28]、2022年からはU-12チームの監督を務めている。

2024年2月6日、栃木シティFCのU-15監督に就任した[29]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1997 市船高 - - - 1 0 1 0
1999 FC東京 27 J2 0 0 0 0 - 0 0
1999 横浜FC 25 JFL 9 3 - 3 3 12 6
2000 FC東京 27 J1 1 0 0 0 0 0 1 0
2001 1 0 0 0 - 1 0
甲府 29 J2 12 2 - 3 2 15 4
2002 FC東京 18 J1 2 0 1 0 1 0 4 0
2003 山形 J2 9 4 - 0 0 9 4
2004 15 5 1 - 1 0 6 1
2005 京都 30 19 8 - 1 0 20 8
2006 J1 14 2 4 1 0 0 18 3
2007 TDK 14 JFL 32 18 - 4 5 36 23
2008 栃木 22 6 - 2 0 24 6
2009 9 J2 17 1 - - 17 1
2009 TDK 20 JFL 8 7 - 0 0 8 7
2010 秋田 10 34 24 - 1 0 35 24
2011 33 20 - 2 5 35 25
2012 32 12 - 2 0 34 12
2013 31 10 - 2 0 33 10
通算 日本 J1 18 2 5 1 1 0 24 3
日本 J2 62 16 - 5 2 67 18
日本 JFL 201 100 - 16 13 217 113
日本 - - 1 0 1 0
総通算 281 118 5 1 22 15 308 134
その他の国際公式戦
出場記録

タイトル

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指導歴

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脚注

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  1. ^ 2009年は「TDK」

出典

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  1. ^ a b c d e f 『FC東京ファンブック2002』毎日新聞社、2002年、49頁。 
  2. ^ a b c 松田正俊選手 現役引退のお知らせ ブラウブリッツ秋田 (2013年11月13日)
  3. ^ a b c d 2003移籍加入選手決定のお知らせ”. 2002年12月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月29日閲覧。 モンテディオ山形 (2002年12月3日)
  4. ^ 松田正俊選手 期限付移籍決定のお知らせ”. 2004年5月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月29日閲覧。 FC東京 (2001年8月27日)
  5. ^ 松田正俊選手 モンテディオ山形へ完全移籍決定のお知らせ”. 2004年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月29日閲覧。 FC東京 (2002年12月3日)
  6. ^ 選手出場記録 (1/3) Jリーグ (2003年11月23日)
  7. ^ a b J2:第32節 山形 vs 水戸 レポート Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2004年9月6日)
  8. ^ 松田正俊選手の負傷について モンテディオ山形 (2003年5月9日)
  9. ^ 松田正俊選手 京都パープルサンガへ完全移籍のお知らせ モンテディオ山形 (2004年12月28日)
  10. ^ 【J2:第11節】横浜FC vs 京都:柱谷幸一監督(京都)記者会見コメント Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2005年5月7日)
  11. ^ 契約満了選手のお知らせ”. 2006年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月29日閲覧。 京都パープルサンガ (2006年12月1日)
  12. ^ 順位表・戦績表 第9回日本フットボールリーグ (2007) 日本フットボールリーグ (2007年12月2日)
  13. ^ 【第87回天皇杯4回戦 F東京 vs TDK SC】レポート Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2007年11月4日)
  14. ^ 昇格圏 4位以内が確定 アルテ高崎に6-1で大勝 47NEWS (2008年11月17日)
  15. ^ 【JFL後期第15節:アルテ高崎戦】試合結果 -本日の勝利でJリーグ昇格条件であるJFL4位以内が確定しました!- 栃木SC (2008年11月16日)
  16. ^ a b 松田正俊選手、井上雄幾選手 TDK SCに期限付き移籍のお知らせ 栃木SC (2009年9月15日)
  17. ^ 順位表・戦績表 第11回日本フットボールリーグ (2009) 日本フットボールリーグ (2009年11月29日)
  18. ^ 松田正俊選手 ブラウブリッツ秋田へ完全移籍のお知らせ 栃木SC (2010年1月20日)
  19. ^ ブラウブリッツ秋田 (12年連続20回目) 第93回 天皇杯全日本サッカー選手権大会 47NEWS (2013年8月29日)
  20. ^ a b c ブラウブリッツTV 松田正俊選手 秋田放送 (2013年11月24日)
  21. ^ ミスターブラウブリッツ ブラウブリッツ秋田公式ブログ (2013年11月18日)
  22. ^ ブラウブリッツの「ブリッツ」は稲妻を意味する。
  23. ^ 松田 正俊氏 育成コーチ兼アンバサダー就任のお知らせ ブラウブリッツ秋田公式サイト
  24. ^ 松田正俊氏 ヘッドコーチ就任のお知らせ』(プレスリリース)ブラウブリッツ秋田、2015年1月7日http://blaublitz.jp/whatsnew/31838.html2015年1月7日閲覧 
  25. ^ a b 松田正俊U-14コーチ契約満了及び、栃木SCコーチ就任のお知らせ ブラウブリッツ秋田 (2017年1月19日)
  26. ^ 2017シーズン トップチームスタッフ体制のお知らせ』(プレスリリース)栃木SC、2017年1月19日http://www.tochigisc.jp/news/article/00008198.html2017年1月19日閲覧 
  27. ^ 2016年度 A級コーチジェネラル養成講習会 合格者【149名】 日本サッカー協会 (2017年4月13日)
  28. ^ 2018シーズン トップチームスタッフ体制のお知らせ”. 栃木SC. 2022年6月10日閲覧。
  29. ^ "【アカデミー】 松田正俊U-15監督就任のお知らせ" (Press release). 栃木シティFC. 6 February 2024. 2024年2月8日閲覧
  30. ^ 松田正俊ヘッドコーチ退任並びにU-14コーチ就任のお知らせ ブラウブリッツ秋田 (2016年1月15日)
  31. ^ ノースアジア大学サッカー部へ指導者派遣のお知らせ ブラウブリッツ秋田 (2016年3月4日)
  32. ^ ブラウブリッツ秋田 松田正俊氏が指導 (PDF) ノースアジア大学 (2016年3月4日)
  33. ^ 育成スタッフ紹介”. 栃木SC. 2018年4月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月12日閲覧。
  34. ^ 育成スタッフ紹介”. 栃木SC. 2019年5月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年5月22日閲覧。
  35. ^ 育成スタッフ紹介”. 栃木SC. 2020年4月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月1日閲覧。
  36. ^ 育成スタッフ紹介”. 栃木SC. 2021年5月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月29日閲覧。
  37. ^ 育成スタッフ紹介”. 栃木SC. 2022年6月10日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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