土井利与
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時代 | 江戸時代末期(幕末) - 昭和時代 |
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生誕 | 嘉永4年6月28日(1851年7月26日) |
死没 | 昭和4年(1929年)1月2日 |
改名 | 基若(幼名)→利与 |
別名 | 泰次郎(通称) |
戒名 | 宝台院殿仁誉昌徳利与大居士 |
墓所 |
茨城県古河市大手町の正定寺 谷中霊園 |
官位 | 従五位下、大炊頭、従三位、子爵 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 下総古河藩主→古河藩知事 |
氏族 | 土井氏 |
父母 |
父:土井利則 母:心誠院(土井利亨の養女、土井利位の娘) |
妻 | 先妻:青山忠良の娘、後妻:大関増式の娘 |
子 |
利孝、利正、利大(三男)、 娘(大橋篤治室)、娘(井関保久室)、 娘(金沢某室)、娘(高田政治室) |
土井 利与(土井 利與[1]、どい としとも)は、下総古河藩の最後の藩主。土井家宗家14代。
生涯
[編集]嘉永4年(1851年)6月28日、先代藩主・土井利則の長男として江戸日比谷の古河藩上屋敷で生まれる。元治2年(1865年)4月1日、将軍徳川家茂に拝謁する。同年12月15日、従五位下内膳正に叙任する。家督相続後、大炊頭に改める。慶応3年(1867年)4月5日、父利則の隠居により家督を継ぐ。慶応4年(1868年)1月14日、旧幕府から神奈川守備の増強を命じられる。同年4月6日、上洛して新政府に対して恭順の姿勢を示す。同年閏4月22日、新政府軍へ貸し付けていた軍資金10500両を献上することを申し出る。
明治2年(1869年)6月の版籍奉還で古河藩知事に任じられ[1]、明治4年(1871年)7月15日の廃藩置県で免官された。1884年(明治17年)、子爵を授けられる[1]。1888年(明治21年)、主猟官となる[1]。1929年(昭和4年)1月2日に死去。享年79。
家族
[編集]父母
妻
子女
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 東洋新報社編『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
子爵 (古河)土井家初代 1884年 - 1929年 |
次代 土井利孝 |
当主 | ||
先代 土井利則 |
土井宗家 14代 1867年 - 1929年 |
次代 土井利孝 |