佐賀関
佐賀関 | |
---|---|
パンパシフィック・カッパー佐賀関製錬所 | |
北緯33度15分22.6秒 東経131度53分32.48秒 / 北緯33.256278度 東経131.8923556度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 大分県 |
市町村 | 大分市 |
地区 | 佐賀関地区 |
町名制定 | 2006年(平成18年)4月1日 |
人口 | |
• 合計 | 2,142人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
879-2201[2] |
市外局番 | 097(大分MA)[3] |
ナンバープレート | 大分 |
佐賀関(さがのせき)は、大分県大分市の大字。旧北海部郡佐賀関町時代の大字名は関であったが、大分市との合併後の2006年4月1日に現在の大字名に改称した。大分市内の地区の区分では、佐賀関地区に属する。
地理
[編集]旧北海部郡佐賀関町のうちで、佐賀関半島の先端から、半島のくびれた部分に位置する佐賀関港付近にかけての区域である。字域の南方では白木、西方では志生木にそれぞれ隣接しており、北方では別府湾、南東方では臼杵湾に面する。また、半島の先端部は豊予海峡に面する。
200mの巨大煙突を持つ銅製錬業のパンパシフィック・カッパー(PPC)(日本鉱業→日鉱金属→日鉱製錬)佐賀関製錬所のある佐賀関港と関あじ・関さばをはじめとした高品質な水産品の水揚げ港である佐賀関漁港とを中心とする地区であり、古くから旧佐賀関町の中心部として栄えた。
また、佐賀関港と四国・佐田岬の三崎港の間には、国道九四フェリーが就航している。大分市中心部方面からのアクセス道である国道197号は、かつては曲がりくねった見通しの悪い一本道であったが、古宮〜小志生木バイパスの開通等により改良が進んでいる[4]。かつては、旧国道197号と並行するように、日本鉱業佐賀関鉄道も運行されていた。
近年では、旧佐賀関町のうち半島の先端に近い佐賀関地区よりも、付け根に近いJR九州幸崎駅近辺の神崎地区の方が宅地開発により急速に活性化している。
歴史
[編集]佐賀関は、中世においては、1364年(貞治3年)に大友氏第8代当主大友氏時により大友氏の直轄領に組み込まれ、遅くとも15世紀前半には大友氏の水軍の中核であった若林氏の知行地となった。大友氏第22代当主大友義統は1588年(天正16年)に11箇条から成る佐賀関法度を発給し、佐賀関の町立や度量衡等について定めている。中世には、現在の佐賀関港は上浦または西浦、現在の佐賀関漁港は下浦または南浦と呼ばれていた[5]。
大友氏改易後、近世においては佐賀関は熊本藩の飛地となった[6]。
近代には旧日本鉱業佐賀関製錬所(1916年操業開始)の企業城下町として栄え、特に高度経済成長期までは大分県内でも屈指の人口密度を誇る地域であった。しかし、近年は若者離れによる高齢化・過疎化が著しく、2005年1月1日を以て大分市に編入合併した。これにより「佐賀関」という地名は一旦は消滅したが、地域住民の熱意により2006年4月1日に旧町の中心部であった関地区の大字名が「関」から「佐賀関」に変更され復活した。
世帯数と人口
[編集]2022年(令和4年)3月31日現在(大分市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
佐賀関 | 1,230世帯 | 2,142人 |
人口の変遷
[編集]国勢調査による人口の推移。
2005年(平成17年) | 3,598人 | [7] | |
2010年(平成22年) | 3,065人 | [8] | |
2015年(平成27年) | 2,665人 | [9] | |
2020年(令和2年) | 2,147人 | [10] |
世帯数の変遷
[編集]国勢調査による世帯数の推移。
2005年(平成17年) | 1,482世帯 | [7] | |
2010年(平成22年) | 1,356世帯 | [8] | |
2015年(平成27年) | 1,237世帯 | [9] | |
2020年(令和2年) | 1,043世帯 | [10] |
学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2022年4月時点)[11]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 大分市立佐賀関小学校 | 大分市立佐賀関中学校 |
事業所
[編集]2016年(平成28年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[12]。
大字 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
佐賀関 | 209事業所 | 1,707人 |
交通
[編集]道路
[編集]- 国道
- 県道
港湾
[編集]景勝地
[編集]- 白ヶ浜と黒ヶ浜 - 佐賀関の臼杵湾側には白ヶ浜という白砂の海岸と黒ヶ浜という黒い石の海岸が隣接している景勝地がある。このように白黒の海岸が隣接する地形は全国的にも珍しいとされる。この海岸は平安時代から知られており[13][14][15]、江戸時代の随筆にも、豊後国海部郡佐賀関には、「白濱・黒濱」というものがあり、それぞれの石が一つたりとも混じらず、白黒の境が、まるで綱を引くが如しだと記されている[16]。
施設
[編集]- 公共
- 大分市役所佐賀関支所
- 教育
- 大分市立佐賀関中学校
- 大分市立佐賀関小学校
- 佐賀関幼稚園
- 佐賀関保育所
- 郵便局
- 佐賀関郵便局
その他
[編集]日本郵便
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “「町丁別年齢別人口・世帯数(5歳刻み)」※住民基本台帳人口” (XLS). 大分市 (2022年4月7日). 2022年5月3日閲覧。 “(ファイル元のページ)”
- ^ a b “佐賀関の郵便番号”. 日本郵便. 2022年4月30日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ 一般国道197号古宮〜小志生木バイパスの全線開通について (PDF) 大分県
- ^ 佐賀関港の「みなと文化」 (PDF) 鹿毛敏夫、一般財団法人みなと総合研究財団
- ^ 佐賀関街道(関往還)峠越え|観光スポット | 一般社団法人 大分市観光協会 公式ホームページ(2014年5月19日閲覧)
- ^ a b “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
- ^ “大分市立学校通学区域一覧”. 大分市 (2020年8月31日). 2022年5月3日閲覧。 “(ファイル元のページ)”
- ^ “平成28年経済センサス-活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
- ^ 白ヶ浜 大分市ロケーションオフィス
- ^ 黒ヶ浜 大分市ロケーションオフィス
- ^ 第2回美しい日本のむら景観コンテスト 農林水産大臣賞 生産部門 黒い浜 大分県佐賀関町(現大分市) (PDF)
- ^ 大田南畝「半日閑話」吉川弘文館(日本随筆大成 巻4)1927年,320頁、日本奇跡考抄3條の項より。
- ^ “郵便番号簿 2021年度版” (PDF). 日本郵便. 2022年2月28日閲覧。