[go: up one dir, main page]
More Web Proxy on the site http://driver.im/

GTDでストレスフリーになれなかった3つの理由

タグ:[Life Hack]

GTDとの出会い

このブログの最大のテーマは「時間管理」です。このブログを始めて以来、様々な情報を集めて日々勉強してきました。そんな過程で巡り合ったのが デビッド・アレン氏の提唱する "ストレスフリーの仕事術" として話題になっていた「GTD」というタスク管理手法でした。兎にも角にも実践してみないことには本質は掴めないだろうと思い、その『手法』に関する情報をWEBで集めて実践し始めたのです。

GTDの実践

最初のうちは順調でした。最初のステップとして義務付けられている「タスクの洗い出し」では、それほど多くのタスクを洗い出せなかったのですが、日々思いついたタスクは全てツールに登録していきました。タスクが多くなってくると全てのタスクを吐き出せたような気分になり、快感をおぼえました。次にやるべきタスクが明確になっている事が軽快なリズムを生んでくれたし、「そのうちやる」リストも「いつか叶う」事になるだろうと自己満足の世界に浸っていったのです。

破綻

リズムが狂い始めたのは実践して1ヶ月程経過した頃からです。まず、週次レビューが面倒になって先延ばしになっていきました。次にタスクの追加漏れ緊急度・重要度の変化に対する反応が遅れてきました。最終的には今日やるタスクが山のように積もり、今日中にやらなければならない緊急のタスク以外は全て翌日に延期せざるを得ない状態に。。。夢のツールと信じ込んでいた「GTD」はあっという間に破綻してしまったのです。

基本に立ち返る

今ある知識や経験で原因を考えるよりも、提唱者の著書を読んで基本を学びなおした方が収穫が多いだろうと思い、「ストレスフリーの仕事術 〜仕事と人生をコントロールする52の法則〜 デビッド・アレン著」を購入し、読んでみたのです。そこには「GTD」という手法が何を目的としいるのか、なぜ効果があるのかが分かりやすく掲載されていました。本を読み終える頃には、私がGTDでストレスフリーになれなかった理由がハッキリと分かるようになっていました。

ストレスフリーになれなかった3つの理由

目的を誤解していた
私が挫折した最も大きな原因はGTDというツールの本質を理解していなかったことです。私はGTDというツールを「オートマティックなタスク管理ツール」だと思い込んでいたのです。(「ストレスフリー」という言葉はツールを誇張するためのエクスキューションにすぎないと思っていました。)タスクを洗い出し、思いついたタスクを登録し、ちょっとしたメンテナンスを施せば、気持ちよくタスクを処理することができると簡単に考えすぎていたのです。そもそもGTDの最も大きな目的は「頭を記憶作業から解放し、創造作業を活性化させる」ことにあったのです。このGTDを本気で実践するならば、それ相応の犠牲が伴います。これを覚悟しなければきっと挫折の一途をたどるでしょう。『一定の犠牲を覚悟する』ことこそ、本当の意味でのストレスフリーを実現する必要条件だったのです。

最初のステップ「タスクの洗い出し」が甘かった
一番最初のステップ「タスクの洗い出し」はGTDの最も基礎となる部分です。なんとなく浮かんできたものだけを洗い出す程度では何の意味もないことが分かりました。「頭がすっきり」するまで1時間以上粘ってタスクを搾り出さなくてはならなかったのです。ここで漏れが出ると、結局後になってツケが回ってきます。週次レビューの際も同様で、集中できる時間を意識的に確保して、タスクの洗い出し作業に向かう必要があったのです。

週次レビューのプライオリィが低すぎた
「週次レビュー」はアレン氏が言うように「GTDを実践する上で最も重要な作業」です。タスクは時間や環境に大きく影響され、生き物のように時々刻々と変化していくものなので、この週次レビューで正しく整理されなくてはならないのです。これをないがしろにすると、タスクの鮮度(カテゴリやプライオリティが最新の状態ではなくなる)が落ち、有効的に時間を使えなくなってしまいます。やらなくても当面困らない作業であるため、ついついプライオリティを下げてしまいがちですが、忙しくて時間がない時こそ週次レビューはやらなくてはいけない作業だったのです。

まとめ

以上が私がストレスフリーになれなかった3つの理由です。これからGTDを始めるという人や、同じように挫折している人はぜひ一度、提唱者の本を読んでGTDの本質を理解することをお勧めします。
WEB上の情報の信頼性は不透明ですね。ブログなどの短い記事で解説したページなどでは、説明が足りなかったり、ある部分が必要以上に誇張されたりするものだと、改めて実感しました。そしてこの記事もまた、私個人の考えのみに基づいて書かれているため、まったく客観性のない記事であることを断っておきます。