YOUTUBE映像で保守的発言*1をくりかえし、日本の一部で人気を集めている米国人「テキサス親父」が、尋問調書の真偽をたしかめるため米国立公文書館へ問いあわせたという。
以前より慰安婦問題に関して様々な事を調べているテキサス親父が最近発見したネット上に上がっている1944年に報告された「尋問調書」に注目した。しかし、ネット上にある物の中には、捏造された物が多く存在し、その米軍の報告書とされている物が本物であるかという疑問を持った。
そこで、以前も竹島問題で「マッカーサー電文」が本物であるかどうかの確認を依頼したワシントンDC郊外にある「国立公文書館」へ問い合わせた。
この書類はこちらからご覧頂けます。→ http://texas-daddy.com/comfortwomen.htm
そもそも最近にインターネットで見つけたという時点で、調べが遅れているといわざるをえない。この尋問調書は「日本人捕虜尋問報告第49号」と呼ばれる版で知られ、1992年の吉見義明編集『従軍慰安婦資料集』に収録されており、20年以上前から日本の歴史学において論じられていた。1995年に岩波新書から出た吉見義明『従軍慰安婦』でも資料として引かれてある*2。
もちろん昔から知られていることでもあらためて確認したこと自体は正しい行動であるし、尋問調書の全文を日本語訳つきでインターネットに公開したことも悪くない。ざっと読んだが、やや過去の日本語訳と比べて違和感のある表現も多いが、思っていたよりは正確に訳されていた。
今回の本題ではないが、「日本の軍人に対する反応;」は対照的な日本軍人を証言した記述として興味深いし、「兵士たちの反応;」の末尾に書かれた慰安婦の推測は末端の兵士の苦難を想像させる。
しかし、尋問調書に対して「テキサス親父」は歴史研究をふまえずに解釈し、その主張にもとづいて2ちゃんねるでスレッドが立てられ、まとめブログをかいして拡散しつつある。
はてなブックマーク - まとめたニュース : 【動画】慰安婦が高給取りの戦時売春婦である証拠の「尋問調書」は本物だった事が発覚! テキサス親父が米国の国立公文書館へ問い合わせて確認
しかし、はてなブックマークでは周回遅れであることだけでなく、トリミングしていることも最初から何度も批判されている。
そう、「テキサス親父」が映像内で主張していること、およびYOUTUBEの説明文に書かれた下記まとめは明らかに間違っているのだ。尋問調書から都合のいい側面ばかり注目しつつ、非人道性の証拠を読み落としているし、虚偽も混じっている。
・慰安婦達の証言では、志願して雇用され高額の給料を貰っていた。
・町へ出かけて化粧品や洋服など好きな物を買っていた。
・時間の関係で全てのお客(兵士)にサービスができない事を悔やんでいた。
・日本人の兵士達とスポーツをしたり、ピクニックをしたり宴会をしたり様々なイベントを一緒に仲良くやていた。
・借入金がある慰安婦は、その返済が終われば希望があれば国へ帰ることも出来た。
・日本の兵士と結婚する者もいた。
たとえば「慰安婦達の証言では、志願して雇用され高額の給料を貰っていた」という主張は、尋問調書と見比べるだけで嘘がわかる*3。
この報告は、1944年8月10日ごろ、ビルマのミッチナ陥落後の掃討作戦において捕らえられた20名の朝鮮;人「慰安婦」と2名の日本の民間人に対す る尋問から得た情報に基づくものである。
つまり、いきなり誰の証言によるものかという前提に虚偽をすべりこませていたわけだ。尋問調書の証言は慰安婦だけではなく、慰安所を運営していた日本人業者からもとられている。
このことは永井和研究室に掲載された論文でも指摘されている。慰安婦に対する批判評価や慰安所環境の肯定評価は米軍の評価と同一ではなく、業者の証言である可能性を考慮しながら読まなければならない。重要な資料のひとつであるが、あつかいには注意が必要だ。
従軍慰安婦問題に関する自由主義史観からの批判を検証する
1. この文書は、尋問の目的が達成されなかった結果の、一般的「報告」であること。
2. 従って、予備知識なしに、一般的なことを聞いているにすぎないこと。
3. 従って、正確なものと不正確なものの判別が出来ず、現に、相反する記述が含まれていること。
4. 特に、朝鮮人慰安婦の聞き取りを何語で行ったか不明であること。
5. 誰が何を話したか特定出来ないこと。つまり情報の提供者が不明であること。
6. 断片を繋ぎあわせた、また主観の強い印象をまぬがれないこと。
また、「志願」によって集められたという主張も、尋問調書と読み比べれば印象が変わってくる。
1942年5月初旬、日本の斡旋業者たちが、日本軍によって新たに征服された東南アジア諸地域における「慰安役務」に就く朝鮮;人女性を募集するため、朝鮮に到着した。この「役務」の性格は明示されなかったが、それは病院にいる負傷兵 を見舞い、包帯を巻いてやり、そして一般的に言えば、将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると考えられていた。これらの周旋業者が用いる誘いのことば は、多額の金銭と、家族の負債を返済する好機、それに、楽な仕事と新天地シンガポールにおける新生活という将来性であった。このような偽りの説明 を信じて、多くの女性が海外勤務に応募し、2〜3百円の前渡金を受け取った。
偽りの説明で集めたならば、それを普通は志願したとはいわない。ついでに、朝鮮人業者だけが従軍慰安婦を集めたわけではないこともわかる。そもそも尋問されている業者はキタムラという名前の日本人だ。
他にも、「借入金がある慰安婦は、その返済が終われば希望があれば国へ帰ることも出来た」という主張がされているが、そもそも前借金で拘束すること自体が当時の日本でも違法だった。しかも、それに前後して尋問調書には下記のような記述がある。「相反する記述」の一例だ。
慰安婦は、「楼主」に750円を渡していたのである。多くの「楼主」は、食 料、その他の物品の代金として慰安婦たちに多額の請求をしていたため、彼女たちは生活困難に陥った。
そして慰安所の不法性を明らかにする決定的な記述が、尋問調書の付録Aにある。名前はイニシャルのみだが、慰安婦それぞれの出身地と年齢が明記されている。19歳が1人、20歳が3人、21歳が7人……先ほど引用した尋問調書に、朝鮮半島で募集したのが1942年と書かれていたことを思い出してほしい。
当時であっても、未成年の売春まで合法だったわけではない。日本が加入していた「婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約」によって、年齢が満21歳以上でなければならなかった。もちろん尋問がおこなわれた慰安婦の少なくない数が未成年だったことは、きちんと『従軍慰安婦』で指摘されている*4。
学問において主流の説に疑問をのべることは自由だ。しかしせめて過去の研究はふまえてほしい。誤った主張をした者自身が恥をかくだけならまだいいが、被害者をかさねて傷つけることは許されない。