【箱根への道】東大史上最速ランナー「連合の存在意義を分かってもらう」4種目で東大記録保持
来年1月の第101回箱根駅伝では、予選会(10月)で敗退したチームの選手で編成される関東学生連合(連合)が2年ぶりに結成され、オープン参加する。前身の関東学連選抜を含めて連合は、学習院大初の箱根ランナーとなった川内優輝(37)=あいおいニッセイ同和損保=ら個性的で魅力ある選手を生んだ。第101回大会の連合の注目選手は東大の秋吉拓真(3年)だ。日本陸上界屈指の文武両道ランナーの聡明(そうめい)にして熱き思いを聞いた。(取材・構成=竹内 達朗)
東大陸上運動部の公式ホームページ。部員紹介の一言欄に秋吉は「無限に速くなります」と記している。
「5000メートルの自己ベストは高校3年で14分59秒、大学1年で14分26秒、2年で13分53秒。毎年、約30秒ずつ更新しているので、今年は13分30秒を切り、来年は12分台に突入します。これは、さすがにネタですけど(笑い)。今年中に13分30秒台、1万メートルは27分台を本気で目指しています」
昨季、5000メートルなど長距離3種目で東大記録を更新。今月1日には1500メートルで3分48秒33と、東大記録を25年ぶりに塗り替えた。4種目の東大記録保持者は常連校でもメンバー争いに絡む力を持つ。
「予選会では東大として突破を目指すことが大前提。その一方で、個人の目標として日本人トップ争いに加わりたい。結果的に東大が予選会を突破できなかった時には、連合の一員として本戦に出場したい」
昨季の第100回大会で連合が編成されていた場合、予選会で個人54位だった秋吉は5番手で選出されていた計算となる。箱根出場のチャンスを運悪く逃していたとも言えるが、東大生ランナーは逆の発想を持つ。
「むしろ、運が良かったと思います。連合で走れるのは1回限り。2年生で出場していれば出場しただけで終わっていた。昨季より力がついているので、出場するだけではなく勝負できる、と考えています」
1年生だった第99回大会の本戦は1区と10区の走路員として箱根路に立った。
「1区で連合の新田颯さん(育英大)が独走する姿を目の前で見ました。僕も1区を走りたいですね」
能力は未知数だ。中高一貫の兵庫・六甲学院では中学ではサッカー部に所属。高校から陸上を始めた。
「高校の時、練習は週に2~3日で、月間の距離は100キロくらい。今、考えると、ほとんど練習をしていなかった。中学生や高校生が陸上を始めた当初、記録は一気に伸びる。僕はまだ、そのフェーズ(段階)にいると思っています」
高校3年の夏休みから本腰を入れて受験勉強を始め、東大理科一類に現役合格。
「東大しか受験しませんでした。京大、阪大を受験する友人が多かったですけど、僕は箱根駅伝を走りたい、という漠然とした思いがあったので」
連合は前身の関東学連選抜を含めて、今もプロとして活躍する川内や東農大時代に予選会を通過できなかったパリ五輪マラソン代表の小山直城(ホンダ)ら多くの魅力的な選手を生んだ。第101回大会では復活が決まったが、第102回大会以降の編成は未定だ。
「連合として出場するのであれば、その存在意義を広く分かってもらえるような走りをします」
東大から一直線で箱根への道を進む秋吉は、記録よりも記憶に残る激走をする覚悟を固めている。
◆秋吉が塗り替えた東大記録
1500メートル 3分48秒33(24年6月)
※3分49秒46 新妻拓弥(99年10月)
5000メートル 13分53秒28(23年11月)
※14分3秒63 近藤秀一(16年9月)
1万メートル 28分49秒27(23年11月)
※29分13秒71 近藤秀一(17年11月)
ハーフマラソン 1時間3分17秒(23年10月)
※1時間3分44秒 近藤秀一(18年10月)
※は従来の記録
◆秋吉 拓真(あきよし・たくま)2003年5月23日、兵庫・西宮市生まれ。21歳。六甲学院高1年から陸上を始め、3年時に県大会5000メートル9位。22年、東大理科一類に現役合格。現在は工学部機械情報工学科3年。「将来はモノ作りに携わりたい。ただ、陸上も限界までやりたいので、実業団にも興味があります」。173センチ、55キロ。
◆東大陸上部 正式名称は「陸上運動部」。1887年創部。1920年アントワープ五輪に山岡慎一さんが100メートル、200メートルに出場。箱根駅伝には84年の第60回記念大会に唯一、チームとして出場し、20校中17位。関東学連選抜で2005年に松本翔さんが8区(区間10位)、関東学生連合で19年に近藤秀一さんが1区(区間22位相当)、20年に阿部飛雄馬さんが10区(区間21位相当)に出場。昨年の予選会は57校中38位。練習拠点の東京・駒場キャンパスに全天候型の400メートルトラックを備える。
◆関東学生連合 2003~13年に編成された「関東学連選抜」(04年は日本学連選抜)を改め、15年に再結成。予選会敗退校の中から個人成績を参考に編成。各校1人で外国人留学生を除く。現在の選抜方法は、過去の本戦出場がない選手に限られるため全員が初出場となる。チーム、個人とも順位がつかないオープン参加。07~13年は公式順位が認められ、最高成績は08年の4位。前々回の23年は20位相当。タスキの色は白。