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子供の貧困に引き裂かれた友情を描いた社会派ミステリー 天祢 涼『希望が死んだ夜に』 レビュー

更新:2022.8.25

現在日本では7人に1人の子供が貧困に苦しんでいます。 貧困に陥る経緯は様々ですが、彼ら彼女らの多くは塾に通えず、給食費や学費を払えず、場合によっては進学すら断念せねばならない状況に直面しています。 今回はそんな子供の貧困に焦点をあて、大人の都合で引き裂かれてしまった少女たちの絆を描いた、天祢 涼『希望が死んだ夜に』をレビューしていきます。

ブックカルテ リンク

『希望が死んだ夜に』の簡単なあらすじと登場人物紹介

14歳の女子中学生・冬野ネガ同級生の春日井のぞみを殺害するショッキングな事件が発生。

被害者は町内の空き家で首を吊った状態で発見され、神奈川県警捜査一課の真壁巧が捜査を命じられます。

取り調べ中も動機は喋らず、反抗的な態度をとり続けるネガ。しかも変わり者で煙たがられている生活安全課少年係の女刑事・仲田蛍とバディを組まされ、不満に思います。

仲田は少年犯罪に造詣が深く、常に相手の立場に立って想像することを信条にしていました。

捜査を続ける中で、ネガが貧困母子家庭で生まれ育った事実が明るみに出ます。ネガの母親には生活能力がなく、さらには持病のせいで仕事が長続きしません。

一方のぞみの家は裕福で、同じクラスである以外にネガとの接点が浮上しませんでした。

ところが……のぞみもまた父親が鬱病を患い無職になり、経済的に苦しんでいたのです。

年をごまかし採用されたアルバイト先の居酒屋で偶然のぞみと再会したネガは、以来彼女と友情を結び、町内の空き家で過ごすようになります。されど楽しい時間は長く続かず、ネガとのぞみを取り巻く状況は刻々と悪化の一途を辿り、彼女たちは否応なく追い詰められていきました……。

刑事の視点と当事者の少女の視点、交互に語られる現実

『希望が死んだ夜に』は単行本発売当時からSNSで話題となり、本屋大賞2019発掘本にもノミネートされています。

本作の特筆すべき点は、刑事の真壁と中学生にして殺人犯の冬野ネガ、二人の視点で交互に語られる物語構成。

事件後から始まる真壁の視点ではネガの動機がなかなか見えてこず、もどかしさを味わうかもしれません。

一方ネガ視点は数か月前に遡り、のぞみと友人になる前の鬱屈した日常から事件発生まで、時系列に添って進んでいきました。倹約の為夏場でも風呂に入れず、蒸し暑い部屋でクーラーを我慢する……多感な年頃の少女が、自分の髪の脂汚れや体臭を気にする様子は胸が痛みます。

クラスの中心的人物であり、自分と正反対の存在であるのぞみに嫉妬を禁じ得ないネガ。

中学生の語彙から逸脱しない文体を心がけている為、ネガの苦悩に等身大のリアリティが生まれ、より共感しやすくなっています。

真壁が世間一般の「大人」を代表する語り手にして「正論」の使い手なら、ネガは主観の語り手。

両者の視点を巧みに織り交ぜることで、「子供の貧困」の一言では片付けられない現実を生きる、「冬野ネガ」と「春日井のぞみ」の姿が浮かんでくるのです。

生活保護は甘えか?行政システムの不備と矛盾に切り込め

結論から述べると、ネガの動機には生活保護制度が孕むジレンマが深く関係しています。

具体的な言及は控えますが、弱者の救済措置であるはずの生活保護制度の融通の利かなさが、のぞみの最後の希望を奪ってしまった皮肉な結末は切なすぎました。

我々は生活保護受給者の行動に敏感です。生活保護を受けている立場にもかかわらず飲酒・喫煙をし、パチンコなどした日にはまず間違いなく「身の程を知れ」と叩かれるのではないでしょうか。

生活保護の給付金は国から出ています。

国から出ている以上国民の税金で賄われているのは事実ですが、様々な事情で働けない人を「甘えだ」「怠けてる」と切り捨て、最低限の衣食住以外の嗜好品を「贅沢」と断じるのは、想像力に欠けた行為と言わざる得ません。

仮にあなたが経済的に逼迫しているとして、助けてやるから命より大事な物を差し出せと迫られたら……決断できるでしょうか?

『希望が死んだ夜に』が苦い余韻を残すのは、ネガとのぞみが全面的な被害者であるからです。

働けない……あるいは働かないのは彼女たちの親であり、まだ中学生のネガたちには、そもそも働く資格がないのです。中学生にはどうすることもできない親の事情に巻き込まれた同志として、ネガとのぞみが惹かれ合うのは自然な成り行きでした。

続編の『あの子の殺人計画』には貧困家庭の小学生が登場するので、ぜひ本作と合わせて読んでください。

著者
涼, 天祢
出版日

相手の立場で想像することの大切さ

本作のキーパーソンとして挙げられるのが生活安全課少年係の女刑事、仲田蛍。

彼女は殺人犯の冬野ネガを「ネガちゃん」と親しげに呼び、気さくに語りかけます。

真壁はそんな彼女を「公私の区別が付いてない」と疎んじますが、実の所仲田は相手の立場になり想像することで、いち早く事件の核心に迫る特異な才能を持っていました。

被害者だろうと加害者だろうと関係ない。

仲田は子供たちに寄り添い、彼ら彼女らの目線で事件を見直します。

相手の立場に立ち、初めて見えてくる厳しい現実があるのを我々も忘れてはいけません。

たとえば病気、たとえば障害、たとえば貧困……自分に関係ないと思ってるうちは他人事でしかありませんが、その人たちも誰かの子であり親であり、我々の友人かもしれないのです。

傍観者であるより理解者であれ。

常に当事者意識を持ち、相手の痛み苦しみを自分事としてとらえる仲田の優しさや誠実さが、哀しい物語に一抹の救いをもたらしていました。

著者
涼, 天祢
出版日

『希望が死んだ夜に』を読んだ人におすすめの本

『希望が死んだ夜』を読んだ人には、同じ生活保護をテーマにしたイヤミス『悪い夏』をおすすめします。

こちらはケースワーカーが主人公の話。同僚が生活保護の打ち切りを盾に女性に関係を迫っているのでは疑った彼は、真偽を確かめようと問題の家に向かうものの、そこで衝撃的な体験をし……。

悪知恵を働かせ弱者を搾取する人間のクズさが克明に描かれ、止まらない負の連鎖に戦慄しました。

著者
染井 為人
出版日

生活保護制度に興味が出た人には、ドラマ化もされた『健康で文化的な最低限度の生活』をおすすめしたいです。

本作は駆け出しケースワーカーの奮闘記。

生活保護の仕組みがわかりやすく解説されており、この社会で生きる上で必要になるかもしれない知識が身に付きます。ぜひ主人公の成長を見守ってください。

著者
柏木 ハルコ
出版日
2014-08-29
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