○幸福学園運動から始まり、1975年から始まった子ども楽園村開催の発展により、ほどなく学育構想が生まれ、幼年部から大学部まで順次生れることになり、1999年「やまぎし学園」設立認可申請取り下げ迄、実顕地の動きと共に簡単な年表をつくってみた。
【楽園村構想】
・幸福学園運動が発展していく中で1975年に「ヤマギシズム生活のある所が幸福学園
だ」という研鑽が深まり「夏の子ども楽園村」の構想が生まれた。
・1973年(昭和48):新島里子『子ばなれと親ばなれ』(思想の科学11月号)掲載
・1974年(昭和49)7月:幸福学園(阿山実顕地)一体生活始まる。
○実顕地の動き
・1974年7月(昭和49年):実顕地生産物多摩供給所発足。
【1975年】
○楽園村の歩み
・8月:第一回夏の子ども楽園村8月1日から2週間、幸福学園(阿山実顕地)で開催。
子ども34名、スタッフ8名。
○実顕地の動き
・9月:実顕地経営研鑽会始まる。
【1976年】
○楽園村の歩み
・8月1日~15日:阿山と春日山で夏の子ども楽園村開催。参加者125名。
○子ども関連
・新島淳良『子どもを救え』(無尽出版会)『新人類のための育児学ノート』(風梅社)刊行。
○実顕地の動き
・1976年(昭和51年)3月:参画申し込みは実顕地本庁が取り扱う。中央調正機関解散。
・4月から春日山より各実顕地へ、若夫婦次々と移動。春日山から豊里への移動始まる。
・12月28日:北試→別海実顕地、中央試験場→春日山実顕地。実顕地調正機関の体制。
【1977年】
○楽園村の歩み
・豊里ではじめての夏の子ども楽園村開催。参加者36名。
・阿山、春日山、別海の4会場合計200名。
○実顕地の動き
・1977年(昭和52年)5月:「緑のふるさと建設運動」の報告研
【1978年】
○楽園村の歩み
・別海、南那須、美里、阿山、春日山、豊里の夏の子ども楽園村開催。
・定員より多く6会場合計で約300名。テーマ「ボクのよさ+キミのよさ」
○子ども関連
・1月:新島淳良『ヤマギシズム幸福学園ーユートピアを目指すコミューン』刊行。
○実顕地の動き
・6月:「ヤマギシズム世界銀行」発足。「世界幸福株券・一口30万円」発行。
・10月:スイス特講2回目開催。
【1979年】
○楽園村の歩み
・春の特講と同時に春の子ども楽園村開催。テーマ「次代を担う野性的文化人に」。阿山(幼年23名)、春日山(小低学年42名)、水沢(小高学年32名)、豊里(中高生34名)。
・夏は全国10会場合計で約600名へ。テーマ「私はやります みんなとともに」。
○実顕地の動き
・1979年(昭和54年)1月:豊里実顕地洗濯館「黎明」完成。
・実顕地拡大部発足。参画者拡大、供給量拡大、適正規模への拡大。
・9月:養鶏法研鑽会が生活法研鑽会に変わる。
【1980年】
○楽園村の歩み
・夏の子ども楽園村参加者急増。「狭き門、子ども楽園村」「盛り上がる子ども楽園村運動」「子どもは楽園村に、親は特講へ」など『けんさん紙6・7月号』に紹介。
・8月:中日新聞に「楽園村の子ら」12回連載。
○子ども関連
・3月3日:豊里実顕地に「太陽の家」ができる。
・5月:『天真爛漫―本物を見て育つ』発刊。
○実顕地の動き
・1980年(昭和55年)1月:この年より年間テーマ「ヤマギシズム文化の年を迎えて」
・正月:豊里実顕地に「一体食堂・愛和館」ができる。
【1981年】
○楽園村の歩み
・テーマ「さあ ぼくもわたしも村づくり」サブテーマ「村の子どもは働き者です」「村の子どもはお腹をすかして何でも食べます」「村の子どもは仲良しです」。
・テーマソング「村のかじ屋」2週間通して同じ職場で。
・8月:中日新聞に「はぐくむ 楽園村の子」12回連載。
○実顕地の動き
・1981年(昭和56年)1月:年間テーマ「ヤマギシズムの村づくり」、特講1000回。
・2月:豊里実顕地に「村のお店」開店。「愛和館」での暮らし方資料配布。
【1982年】
○楽園村の歩み
・テーマ「楽園村 マンツーマンで村人に付く」
・2月:すずきせりか・絵本『せりかの楽園村』(春日山楽園村参加者の絵日記)刊行。
○子ども関連
・各地域で子育て集会開催。
○実顕地の動き
・1月:年間テーマ「ヤマギシズムの村づくり 村人育ち 拡大」
・2月:井上和博著・写真集『晨の村から』(写真構成ヤマギシの村づくり)刊行。
・8月:大型特講、春日山141名
・10月:阿山実顕地パン供給始まる。生産物供給→子ども楽園村→特講の具現方式。
【1983年】
○楽園村の歩み
・テーマ「選ばれて巣立ちと仲良しの練習 楽園村」。
・中学生、高校生楽園村開催(中高生対象の若人楽園村として呼びかける)。
・別海、那須、豊里、春日山、北条の全国五ヵ所会場で参加者200名。
○実顕地の動き
・1月:年間テーマ「ヤマギシズム社会化へ ヤマギシの村づくり」
【1984年】
○楽園村の歩み
・テーマ「親は子離れ 子は親離れ」
・楽園村開催10年目。この年から期間は9日間となる。
・中高生対象はジュニア楽園村、高卒年代以上は若人楽園村として開催。
・各地の中高生などから一年中楽園村のようなものとの要望があり、学園構想に繋がる。
○学育などの動き
・12月:「ヤマギシズム学園構想について」発表。まず翌年の「幼年部」設立などに繋がる。
○実顕地の動き
・1月:年間テーマ「ヤマギシズム社会化へヤマギシの村づくり 一粒万倍」
・1月:韓国実顕地発足(初の海外実顕地)。
・2月頃からすべての衣類を放す、「放してこそ豊か」の動きが活発化する。
・5月:朝日新聞に「好評な山岸会の生産物」掲載。
【1985年】
○楽園村の歩み
・テーマ「夏休みには親子揃ってヤマギシへ」サブテーマ「ヤマギシは自然公園、動物園 仲良しと楽しさの連続でこそ楽園村 見てこよう、町にないもの、学校にないもの」。
・夏の楽園村参加者は4500名。
・幼年楽園村、阿山・那須・豊里でスタート。
○学育などの動き
・阿山実顕地にて幼年部一期生スタート。外部から8名、実顕地から12名、合計20名。
○実顕地の動き
・1月:年間テーマ「ヤマギシズム社会化へヤマギシの村づくり 全人幸福」
・11月:豊里実顕地に隣接したゴミ焼却場の建設に反対する。
・韓国で会員研鑽学校始まる。
【1986年】
○楽園村の歩み
・「はれはれ」楽園村開催。村からまちへ「はれはれ」運動。参加者約6000名。
・10月:豊里で毎月楽園村始まる。
○学育などの動き
・第一回の学生特講開催。
・4月:豊里実顕地にて高等部一期生スタート、男6名女9名。テーマ「真人類ヘの出発」。
・高等部スタートに向けて「酒晴れて アルコール社会との永遠の離別」のテーマがある。
・全国各地で学育講演会が行われる。テーマ「教育から学育へ」
○実顕地の動き
・3月:「アルコール社会と永遠の離別」「アルコール的社会風習、観念界からの脱却」
・11月:『金のいらない仲良い楽しい村―ヤマギシズム生活六川実顕地篇』刊行。
・豊里でヤマギシズム出版社新設、健康特講開設。
【1987年】
○楽園村の歩み
・スイスにて国際子ども楽園村開催。
○学育などの動き
・『愛児へのおくりものーヤマギシズム学園幼年部の一年』(福井正之・川端國文共著)
・幼年部三期生・阿山53名、豊里51名
○実顕地の動き
・1月:年間テーマ「全面的ヤマギシズム社会化運動へ 全人幸福」
・2月:『人間と自然が一体のヤマギシズム農法』(農山漁村文化協会)刊行。
・春まつりから散財まつりへ。
【1988年】
○楽園村の歩み
・子ども楽園村全国で8千数百名参加。
○学育などの動き
・7月:高等部一期生の古賀重敏君が農場で事故死。
・北川道雄『鶏鳴館-ヤマギシの学育について』『親らしさ子どもらしさ 分類の子育て』刊行。
○実顕地の動き
・生産物供給の拡大や参画者の急増が進む。実顕地27ヶ所、供給所45ヶ所。
・12月:豊里で全国調正世話係研開催。
・一志実顕地百万羽科学工業養鶏構想に着手。
・スイス実顕地、ブラジル実顕地発足。
・別冊家庭画報「本物印の食べ物ガイド」にヤマギシの有精卵をトップで紹介。
【1989年】
○楽園村の歩み
・5月:若人楽園村春日山で開催。
・夏の子ども楽園村、全国20会場で参加者・スタッフ併せて九千名以上。
○学育などの動き
・豊里実顕地にて中等部一期生スタート、実顕地にいる親の子だけ、男女それぞれ約35名。
・五期生を迎えた幼年部は阿山、春日山、豊里に加えて岡部実顕地でも始まる。
・高等部一期生の出発式。高等部では二~四期生併せて200名近くの大所帯になっていた。
・7月:学生特講が大安で開催。
・11月:一般も含めての高等部参観が開催。全国各地から教育関係者など650名程参加。
・11月:『ヤマギシズム学園高等部―教えることのない学園』刊行。
○実顕地の動き
・1月:平成となり、年間テーマ「全面的ヤマギズム社会化実働 全人幸福」
・4月:第2回お父さん研、春日山で開催。
・9月:第1回青年研鑽学校開催。
・9月:朝日新聞「ヤマギシ食品売れています ブランドが定着」掲載。
・10月:豊里実顕地20周年記念式典、「ヤマギシズム社会化」実現へ。
・10月:『主婦の友』10月号、安全な食品としてヤマギシの生産物を掲載。
【1990年】
○楽園村の歩み
・子ども楽園村開催。4月29日~5月6日、大安特講参加者の子どもたち対象。
・夏の子ども楽園村7月1日、21日、8月1日、11日から開催。この年から特講に併せて8日間になる。毎月楽園村は全国で約400名参加。
○学育などの動き
・中等部一般公募へ
・4月:豊里実顕地にて初等部一期生スタート、全国学園生総数800名を超える。
・高等部1・2・.3年生から予科・本科・専科に。本科から各職場で受け入れる。
・11月:『子、五歳にして立つーヤマギシズム学園幼年部の子どもたち』(松本照美・福井正之共著)刊行。 ・堀芳彰『中等部生日記―競争なく自己最高』刊行。
○実顕地の動き
・3月:年間テーマ「全面的ヤマギズム社会化革命 全人幸福」。実働から革命に変わる
・5月:散財まつりに10数万人集う
・夏の特講千名、楽園村1万名に達する。「青年特講」「健康特講」も始まる。
・9月:大安新特講会場竣工式典
・11月:ヤマギシズム文化祭開催。前年の高等部劇に加えて中等部劇を行う。
【1991年】
○楽園村の歩み
・8月:夏の楽園村最中の事故死。特講に母親が参加し、預かっていた幼児が豊里実顕地で送迎用のバスに2日間放置された。大々的な報道があったが比較的冷静なまま幕を引いた。
・この頃、供給量の伸び→仕事量の増大→生産現場から人の送り出しの難航が続いた。
・9月の毎月楽園村参加者全国で約650名。
・11月;『ヤマギシズム子ども楽園村―家にないもの学校にないもの』刊行。
○学育などの動き
・4月:豊里実顕地にて大学部一期生スタート
・初等部・中等部全国に展開。各地の学育に初等部、中等部・幼年部ともに全国8ヶ所。
・5月:青春地球村開催。若人60人参加。
○実顕地の動き
・年間テーマ「ヤマギズム社会化革命 自然と人為の調和 全人幸福」
・1月:豊里で参画者予備寮開設。各実顕地・職場に配置されるまでの研修機会。
・世界実顕中央試験場再発足(春日山)。山岸会・実顕地・研鑽学校と四大機関充実へ。
・5月:「散財まつり」から「タダのまつり」へ。テーマ「宇宙自然界はみなタダだった。
・8月:朝日新聞「巨大な農業集団に成長した山岸会」(独特な信条、約3000人等)掲載。
・9月:朝日新聞「製品はブランド主婦らに人気」「村人の生活質素で堅実など」掲載。
・11月:ヤマギシズム顕示博覧会開催。中等部劇・高等部劇・大学部劇を披露。学園生の実際の姿に触れることが目玉で、教育・農業・健康等各種の講座やシンポジウムも開かれた。
・東欧で革命運動、ドイツ実顕地発足。ブラジル特講始まる。
【1992年】
○楽園村の歩み
・9月:「3週学校 1週楽園村」運動始まる。9月の毎月楽園村全国で参加者約850名。
○学育などの動き
・1月:豊里中等部生が女子生活館の二階から転落、事件性はなく自殺の疑いもあった。
・4月:学園生全国で2300名。幼年部全国九カ所、初等部全国十七カ所・一般家庭からも子どもを受け入れる、中等部全国十カ所、高等部250名、大学部50名。
・初等部が一般公募を始める頃から大きな問題が出てくるようになる。
・4月までに春日山に養護部出来る。
○実顕地の動き
・年間テーマ「ヤマギズム社会化革命 自然と人為の調和 全人幸福運動」
・この年から山岸会をヤマギシ会と表記。
・生産物増大と楽園村送りが運動の二本柱だったが、どちらもピークにさしかかっていた。
・3月:第一回老蘇研鑽学校始まる。(1998年第26回迄続く)。
・5月:(東部実顕地)参画者振出寮始まる。各人が一切を放し日常を離れて今まで身につけたものとか位置や立場、成果や経験などすべてを振り出しに戻すことを目的としていた。
・5月:関西テレビ「楽園の家族たち」放映。
【1993年】
○楽園村の歩み
・毎月開催となって8年、すべての子らを楽園村へと「子ども楽園村開催要綱」発表。
・テーマ「選ばれて巣立ちと仲良しの練習 楽園村」
○学育などの動き
・飯田実顕地中等部男子部が暴走状態になり一時解散となる。この時期頃から世話係の子どもに対する見方が厳しくなる。また、学園参加者の増加も止まるようになる。
・7月:教育新聞「親離れ 一貫した実学で、農業主体で学び合う共同生活」掲載。
・8月:井上信子『ヤマギシズム学園の子どもたち―幼年部篇』刊行。
○実顕地の動き
・年間テーマ「ヤマギズム社会化革命 全人幸福運動 真実の世界」
・1月:生活調正機関・機関誌「ヤマギシズム生活」創刊(1998年12月72号迄毎月発行)。
・2月:オールメンバー研鑽会始まる。(3週間・2000年2月第34回まで続く)
・3月:公人の丘参画者の墓竣工。
・5月:第一回革命記念日、オールメンバーの革命の誓い17名。以後1998年まで続く。
・6月:第一回実顕地病身者研鑽学校開催(1999年8月第12回まで続く)。
・8月:夏の特講参加者1,143名(7月・8月で)。研鑽学校参加者257名(9会場)。
・9月:デパートフェア、1カ月で全国33ヶ所開催。
・10月:雑誌『自然生活』に、松本繫世「私のみたヤマギシズム社会の実態」刊行。
・ブラジル参画者有期研鑽学校始まる。
・この年新参画者348名で過去最高記録。
【1994年】
○楽園村の歩み
・7月後期、8月前後期3回で、参加者全国で6千名超える。
・12月:第32回障害児楽園村開催。
○学育などの動き
・1月:福井正之著『蝶よ花よといじめないー楽しい子育て親育ち』刊行。
・『ヤマギシズムから教育界へー教育革命の提言』発刊。
・11月:三重県総合文化センターにて学園ミュージカル「脳が好きだ」上演。
・12月:21世紀地球村in春日山(青年が集う)開催。
・学園で隅々まで管理されているような生活に感じ、逃げ出す子どもが後をたたなくなっていた。一応自分の意志で高等部に入学しても、3年間で3割~4割近くやめていた。
・中等部などでは係の言うことをきかない子に手をかける等、「個別研」も頻繁になる。
○実顕地の動き
・1月:ヤマギズム社会化Z革命運動テーマ「全人幸福運動 真実の世界」
・以後毎年同じ年間テーマとなり、2000年以後は年間テーマ、毎月のテーマがなくなる。
・5月:日本経済新聞「不況でも販売好調」掲載。
・8月:『ヤマギシズム社会への参画の道―私はなぜこの生き方を選んだか』刊行。
・8月:第一回実顕地生産物実務者研鑽会開催(1998年5月第16回まで続く)。
・硬直した現実の実顕地生活の在り方に対し疑問を持つ人も出始めていた。推進しているような人はやり甲斐があっても、疑問を感じた人に対して不寛容であった。
○社会の動き
・6月:「ヤマギシを考える全国ネットワーク」活動始まる。代表・松本繫世。
・12月:『ヤマギシズム学園の光と影』「ヤマギシを考える全国ネットワーク」編・発刊。
【1995年】
○学育などの動き
・3月:学園ミュージカル「脳が好きだ」東京公演。その後何年か続く。
・6月・ヤマギシズム学園親の会編『ほうれんそうは緑の海―ヤマギシズム学園をつくる親たち』刊行。
・月刊『ヤマギシズム学園通信』1990年4月~1995年4月まで。
○実顕地の動き
・1月:「幸福会ヤマギシ会」に改名。
・1月から:オールメンバーを中心に反対派への圧力行動盛んになる。
・3月:「ヤマギズム生活実顕地」→「ヤマギシズム社会実顕地」に改称。
・5月:「タダのまつり」→「ヤマギシズム社会まつり」となる。
・9月:第一回実顕地食品加工実務者専研開催。(1997年3月第4回迄続く。
・11月:「顕示博覧会」→「ヤマギシズム社会博覧会」となる。
・この年の後半から生産物、特講減少始まる。学園・楽園村送りは既に頭打ちに。
○社会の動き
・1月17日阪神淡路大震災、3月20日地下鉄サリン事件。
【1996年】
○楽園村の歩み
・11年ぶりに2週間楽園村開催。多少の変化はあるけれど以来28年後の今も続いている。
○学育などの動き
・この頃(それ以前からか)学園で様々な問題が発生、暴力や虐待などもあったようだ。
・11月:日本テレビ「今日の出来事で」ヤマギシの子どもを5回わたり取り上げる。
○実顕地の動き
・参画取消者による財産返還訴訟や裁判始まる。
【1997年】
○学育などの動き
・2月:学校の要請で広島弁護士のヤマギシの子どもたちだけの調査が行われた
・それ以前から、初等部などで、学校とヤマギシズム学園の齟齬も起こるようになっていた。
○実顕地の動き
・9月:全国で国税局による税務調査始まる。
・9月:「ヤマギシの子どもを救う会」活発化。親権喪失宣告申立裁判など起こる。
【1998年】
○学育などの動き
・4月:「やまぎし学園」設立認可申請書を三重県に提出。
・「ヤマギシズム学園教育文化研究所」設立。遠藤豊所長はじめ各地の教育家等が協力する。
・6月:日弁連のヤマギシの子どもの人権侵害の調査がある。
・8月:中日新聞「楽園の子どもたち」ヤマギシズムを考える10日間連載
・「ヤマシズム学園についての三重県アンケート」の調査。※(このアンケートは、ヤマギシズム学園が自前の小中学校設立を企図し三重県に申請している。その実態調査のため三重県生活部私学課という部門で調査した内容を指す。調査日:平成10年11月27日、調査場所:県内7小中学校、平成11年3月9日三重県生活部青少年・私学課となっている。)
○実顕地の動き
・1月:豊里でモデルメンバー研開催(99年11月第12回まで続く)。
・4月:ヤマギシ会200億円の申告漏れ(追徴課税60億)
・10月:9月度のオールメンバー研から端を発した「村から街へ」の動きが、10月度のテーマになり、新たな動きへと大きくうねり始め、街へ行く人が次々と。
・この頃からお小遣いがでるようになった。
【1999年】
○学育などの動き
・4月:徳風高校(通信制)へ進学(122名)。
・5月:日弁連が学園に対し改善勧告。
・6月:「やまぎし学園」設立認可申請取り下げ。
○実顕地の動き
・1月:ヤマギシの暮らし、文化情報誌『ストリーム』創刊。(2000年5月迄)。
・3月:実顕地から試験場、研鑽学校を切り離しそこ独自の活動をするための数名の新配置。
・5月:革命記念日にかえて「Z革命 参画者の集い」開催。
・7月:実顕地をもたらしに世界中の街へいこう(ストリーム掲載より)。
・11月:杉本利治氏死去。(税務調査以後、鬱的な状態にあり実務に携わっていなかった)。
・12月:気の合う仲間で実顕地を起こそう。国内各地町にも村にも実顕地を。
・12月28日:第33回オールメンバー研(実顕地を離れて活動している22名の参加)。
・最後の生活法テーマ「参画者全員解任すべてを根底から見直す」。
※『春日山50年のあゆみ(2019年)』『豊里40周年だより(2013年)』など参照。間違い・訂正したいこともあると思うので連絡下さい。