「内定してからが本当の就活だよ」
いいかげん就活脳から研究脳に切り替えないと、またしても研究室での社会的立場が危うくなってしまいそうです。生まれて初めての花粉症と闘いながら日々を過ごしています*1。あとなんか、風邪引いた。季節の変わり目のハズなのに寒いじゃないすか。
今日は、タイトルに示したような事をつらつらと書こうと思います。すなわち、
内定をもらっても、そこで就活をやめるべきではない
という考え方についてです。
就活の目的をどう設定するか
就職活動の目的が、志望企業群のうち少なくとも1社から内定をもらうことなら、最初の企業から内定をもらった時点で就活終了となるのが理にかなっている。実際に、外資系の企業に年内に内定をキメ、盛り上がる就活を横目に学生生活を謳歌していた先輩もいた。
一方、内定をもらってそれでも就活を続ける理由は、たぶん次のうちどれかに分類できる。
- まだどの企業に入るか決めていない
- 内定してからいろいろ内部の事情を見て選ぶ
- 内定をもらったという事実、または内定の数が目的になっている
- 社会勉強としての就活
このうち僕がもっとも重視する要素は、最後の
社会勉強としての就活
だ。中心的な考え方は以前理系の就活について書いた時のものと同じ。
僕はProfileで"ディレッタントを自称する興味拡散系"と書いているくらいなので、接する知識や視点の幅に価値を置いている。異質な価値観にどれだけ触れているか、その幅がそのまま柔軟性や創造性*1に繋がると信じている。
だから、この機会を逃すわけには行かないのです。
社会人が学生の目線まで降りてきて「私たちは何をやってるのか」親切に教えてくれる機会なんて、これを逃したらもう無いんとちゃうかな。
理系修士が就活を経験すべきだと思う理由 - ミームの死骸を待ちながら
要は、機会を最大限に生かす、ということ。日本で特に重視される*2新卒という不思議な時期は、
飛びぬけた実績を持たないただの学生が唯一ちやほやされるゴールデンタイムであると同時に、公的にモラトリアムる最後の機会
理系修士が就活を経験すべきだと思う理由 - ミームの死骸を待ちながら
と言っていいように思う。ここまでが"机上"・"考え方"の話で、以下が"体験談"となる。
内定してからも就活を続けると言うこと
"つよくてニューゲーム"...とはちょっと違うが、内定をもらってからしばらく就活を続けてみて、いろいろと気づかされることがあった。ものの見方が、以前とは違ってくるのである。
モチベーションの低下
以前のエントリで、
「自分が就職すべき企業群」というものを五社くらい決めておけば、あとはどこに内定しようが問題ではない。決定的な一社というものはなく、"縁"で決めてもいいだろうと思う。
譲れない基準を持ってさえいれば、どこに内定しようと問題ではない - ミームの死骸を待ちながら
と書いたし、この考えに至ってからは、実際にそうして就活を進めた。しかし僕は、大きな罠に気がついていなかった。
"めんどくささを回避する"ことを金科玉条とする僕のような人間は特にそうだが、行きたい企業からオファーをもらってしまうと、正直ものすごいモチベーション下がる。それ以上就活するのが面倒になってくる。
もはや
「YOU, やめちゃいなYO!」
「いや、就活生で居られるのは今だけ...できるだけ世の中を見ないと...!」
こんな感じの自分との戦いだった。
内定企業を客観的に見ざるを得ない
これは上記とは異なり、視点の広さという意味で非常にポジティブな要素だ。
内定後も就活を続け、また別の企業の面接に進むとする。ある程度の時期になっていれば、会話の"ツカミ"として面接官は
「就職活動はどんな感じですか」
「どんな業界/会社を受けていますか」
といった類の質問をほぼ必ず投げかけてくる。その時に、他社から内定をもらったことを伝えることになる*3そこで面接官が100%考えること、ひいては学生が必ず説明しなければならないことは、
「じゃあ、内定出してもその会社に行くんじゃないの?なんでウチなの?」
という重大な問題だろう。
特に最終面接に近づくほど、「本当に入社する気があるの?」ということを嫌と言うほど確認される。僕などは、言動の信憑性のなさに定評があるので、いくら「第一志望ですYO!」と言ってもいらぬ疑いをもたれかねない。そんなすれ違いで、本当の第一志望から祈られる羽目になっては泣くに泣けない。いや、普通に泣く。
第一志望の最終面接を受ける前に、すべての内定を断った猛者もいるらしい。...が、ただ一点、この情報ソースが絶対内定2010―自己分析とキャリアデザインの描き方 (絶対内定シリーズ)である点が悩ましい。というのも、超えて捨て去るべき"定番型"であるこのシューカツバイブルに掲載されている学生は「キリマンジャロにのぼる」「インターン先で新規ビジネスを起こして数千万の利益を上げる」「むしろ起業しちゃった」といった、
レベルの超人が多く、もし自分を凡人と思うなら見習わない方が安全だと思うからだ*4。
話が逸れた。
ともかく、内定企業を伝えた後は、どのような流れにしろ、
「内定を既にもらった企業ではなく、この会社に入りたい理由」
を論理的に説明しなければならない。このロジックを考える過程で、内定をもらった企業を、客観的に見る機会を得ることになる。
もしも一社から内定が出た時点で就活を終えてしまうと、この「自問自答」のプロセスを(下手をすれば)経ないまま入社する日を迎え、主観ではバラ色だったハズの社会人生活がいざフタを開けてみれば予想外の困難/障害の連続であり、そのギャップに働く意欲を失うリスクがあるのではないかと思う。
レールがあるのだから、とりあえず利用しよう、という話
新卒重視の文化は良い面もあれば悪い面もある*5。しかし、現実として
- 新卒は専門や経験に関係なくいろいろな企業に入社しやすいし、見聞きする機会を多く与えられる
という"レール"が存在しているのだから、新卒重視の可否を議論するのは他人にまかせて、そのレール使うの使わないの?といった事だけ考えればいい。以前、
ちなみに、僕は研究室/学科の推薦制度はアリだと思っていて、
「理系は研究に最大の時間を投資しなければならない。その代わり就職する際はある程度レールが用意されている」
という暗黙の前提があって、そういう制度なのだ、と割り切ったほうがいいように思う。
理系を選択し大学院に進むということは、そのレールに乗りますと宣言したことに等しい。だから文系と同じだけの時間を投資して就職活動を行うこと、暗黙の前提に反しているともいえる。
理系修士が就活を経験すべきだと思う理由 - ミームの死骸を待ちながら
こう書いたように、たとえば理系なら"推薦"というレールを利用してささっと就職先を決めてしまい、本業である研究に集中するのもひとつの道だとは思う。
(個人的には、もし研究者として生きないことを決めているなら、「2年の研究」と、「40年の人生を左右しかねない最初の企業選び」を比べる間でもない気がするが、これもまた偏っている意見に過ぎないのだろう)
それっぽくまとめてみると、理想は理想として大事に持ちながらも、現実の仕組みを理解して利用できるだけ利用するのが、賢い社会とのつきあい方である...となろうか。
...などとのたまう僕は、研究発表のデータがないことに涙目になっており、「なんだ全然賢く社会と付き合ってねーじゃん」との罵声もやむなしというか、そんなのいつも通りの戯言だから勘弁してよと思いつつ、オチもないままに三月最初のエントリを占めようとするのである。