[雑感] MADを作るぐらいなら、つまらなくてもオリジナルを作ったほうがいい理由
MADというものは面白いものである。それは原作では味わえないストーリーや設定を自由に再配置することができるので、もしも〜的なストーリーを味わうことができるので、非常に楽しい。特に原作が大好きな人間にとってはたまらないものである。
しかしながらMADというものは所詮は原作あってのものであり、その恩恵を 元に作られたものであるので、原作に勝てる訳は無いのである。
ここでひとつの疑問を生じる。原作にはどうあがいても勝てるわけの無いものをなぜ作るのかと? 理由としては次のようなことが挙げられる
- 原作がとても好きで仕方が無いので自分のオリジナルストーリーを作って自分の妄想の世界を楽しみ、周りにもその楽しみをわけてあげたい。
- オリジナルの作品を作りたくても、どうやっていいかわからない。一から作るよりはパロディーのほうが楽だし、そっちのほうが楽しい。
- オリジナルなんてやろうとはそもそも考えてすらいない。とりあえず好きな作品を元にしたストーリーを作ってみたい。
こういった点が理由に挙げられると思う。原作が好きなので、それを元にした
オリジナルストーリーをつくりたいというのが大きな理由となっていると考え
られる。
しかしちょっと待ってほしい。たしかに、Madは面白い。それに原作をつくるのはMADを作るのに比べ労力的にもかなり負担がかかるものであるし、リスクも大きい。だからといって安易にMADに流れるのは果たしてよいものかどうかと?
答えは否であると思う。なぜならMADというのは所詮MADに過ぎず、言わば原作をルーツにした葉枝的な存在に過ぎない。一瞬の間人気が出るかもしれないけれどもそういったものはすぐに忘れられる。所詮MADとはそれぐらいのレベルなのである。
そういったものを作るのに、果たして膨大な時間をかけるのはどうなのかということに疑問を感じた。
確かにオリジナルの作品を作るのは簡単なことではない。外部資料などを参考にしつつも1からものを作ることになるので、非常に手間のかかるものであるし時間も相当かけなければ作ることはできない。原作の恩恵というものも受けることなどもちろんできないので、作るリスクも非常に大きい。
しかしながら、原作を作って得られるものというのも、MADを作るのに比べて非常に大きいと思う.全くもってつまらないと評されてもオリジナルという事にはそのもの自体に深い意味があるのである。人には無価値なものだと思われてもそれは世界で唯一のものである。MADから生まれるものはオリジナルのおもしろみの付加的要素が殆どであるが、オリジナルからは、それ自身から、なにかしらの物が生まれてくる可能性というものが存在する。
というわけで、どんなつまらない作品であろうとも
原作 >>>>>>>>> 越えられない壁 >>>>>>>>> MAD
であることは当然なので、安易にMAD製作に流れないで、越えられない壁を突破して、オリジナルに挑戦することが大事じゃないのかなと考えました。
これは何も同人誌等に限った話でなくてもちろんほかの分野にもあてはまる。
人の物まねをするぐらいなら、自分で漫才を作ったほうがいいし、ほかの人と似たような行動をするよりは、変な方向を向いた行動をしたほうがいい。人の作ったプログラミング言語のエキスパトになるぐらいなら、自分のオリジナルのプログラム言語を作ったほうがいい。これらは非常に大事な原則であると考えられる。
なぜなら、いくら物まねがうまくても本人がいなけりゃ意味が無いし、人と同じような行動をとってもそこから発生するものには、対した価値は存在しない。
人の作ったプログラム言語のエキスパートになっても作者には絶対に頭が上がらない。
というわけで、何をするにしてもオリジナルこそネ申であり、模倣はあまりすべきではない(場合にもよるけどw)ということをきちっと頭に入れ、例えそれが困難な道であっても安易な道を選ばず挑戦していくことが大事なのだと考えましたとさ。