意外と知らない、機械でもできる仕事が自動化されない「シンプルな理由」
コストをかけて機械化するよりも…「クソどうでもいい仕事(ブルシット・ジョブ)」はなぜエッセンシャル・ワークよりも給料がいいのか? その背景にはわたしたちの労働観が関係していた?ロングセラー『ブルシット・ジョブの謎』が明らかにする世界的現象の謎とは?
ケアリングが「クソ仕事」になるとき
「家事労働賃金運動」に携わっていたキャンディは、家事労働に対する賃金という発想へのアンドレ・ゴルツというフランスの理論家の批判に感銘を受けたといっています。その批判とは、ケア活動に貨幣的価値を与えてしまうならば、その活動はすべてクソみたいなものになる、というものです。
キャンディがゴルツをひきあいにだすのは、グレーバーがケアリングの数量化不可能性について話をしたとき、おなじことをゴルツが40年前にいっていたことをおもいだすからです。そのゴルツは、それとともにUBIをすすめていました。キャンディは、そのような道筋をたどっているのです。
ゴルツによれば、UBIが拓くのは「非改良主義的改良」の道です。つまり、いまあるフレームはそのままでその条件を向上させるという改良主義ではなく、フレームそのものの変革を改良が改良を生むというかたちで、そしてやがて別の宇宙にいたるという具合にすすめていくという意味での「改良」です。
ときにUBIには、国家を通してやるのだから国家を肥大化するのではないか、とか、その保障のための税源はどうなるのか、といった疑義がよせられます。
しかし、グレーバーもいうように、たとえば失業者にさまざまなハードルをつくり、たらいまわしにし、屈辱を与えながら保障の取得を断念させるさいに必要な、多数の人員とお役所仕事はただちにすべてお払い箱になります。
もちろん、レスリーのような人はそれを望んでいるでしょう。そして彼女たちが、たとえ仕事を失ったとしても、その暮らしはBIによって保障されています。