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若者のあいだで「批評」と「スポーツ観戦」が不人気な理由

「快適」だけを求める人たち
稲田 豊史 プロフィール

結末までのダイジェスト映像やあらすじを読み込み、「問題なし」とジャッジしてからようやく本編を見はじめる気持ちも、これなら理解できる。彼らはコスパ追求のために「外したくない」のと同時に、不快なものの摂取を巧妙に避けている。人生の大事な時間を快適にすごすための、立派な自己防衛策である。

 

「批評」が読まれない時代

関連する話をしよう。いま、映画評論本が売れない。これは、そちら方面の出版関係者なら重々承知だろう。

念のため説明しておくと、「評論」とは、「物事の価値・善悪・優劣などを批評し論じること。また、その文章」(「デジタル大辞泉」より)。つまり、良い点も悪い点も指摘し、公平かつ客観性をもって論じることである。「批評」も、ほぼ同様の意味だ。ちなみに「批判」も本来は同じ意味だが、どちらかといえば否定的に使われることが多い。

どんなに名の通った大御所評論家の評論集でも、気鋭の論客による渾身の著作でも、かつてほどは売上が見込めない。見込めないから、出版社で企画が通らない。だから刊行点数も少なくなる。一方で、人気作や出演俳優の「ファンブック」はよく売れる。ファンブック、すなわち、作品を絶賛する出版物

評論というものが、もともとすごく売れるジャンルではないにしても、それに輪をかけて売れなくなってきている現状がある。

ネット上のテキストにも、同じことが言える。絶賛テキストのほうが、批評テキストよりもずっと読まれるし、SNSで拡散される。ぬるい大絶賛記事のほうが、切れ味鋭い客観分析記事よりもPVを取りやすい現実は、カルチャー系のライターなら誰もが知るところだろう。そのPVが逆転することは、非常に稀だ。

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