脚本家の佐藤氏は、そんなオーダーに対してどうしているのか。
「『説明しないとわかりにくい』って言われちゃうことについては、基本的には敗北感しかない。でも、僕ははっきりと言います。“わかりやすくしてください”は“おもしろくしてください”と、イコールではないですよって。『多少おもしろくなくなってもいいから、わかりやすくしてくれ』というオーダーなら、筋が通っているので聞きますけど」(佐藤氏)
では、わかりやすくした結果、どうなるのか。
「勢いがなくなります。それは当然で、全部説明しちゃったら、観ている人の思考がそこで止まっちゃうから。やや理解が追いつかない程度、多少視聴者を置いていくくらいじゃないと、勢いが出ない。脚本はどっちでも書けるけど、じゃあどっちを取りますかって話をします」(佐藤氏)
自分の頭が悪いことを認めたくない
佐藤氏によれば、説明過多だと視聴者の思考が止まる。逆に言えば、説明セリフを求める人は、映像作品の視聴時に「行間を読んで思考を働かせる」という発想が、そもそもないということだ。彼らにとっては、具体的・明示的に描かれるセリフと、誤読が起こりようのない「記号的なテンプレ芝居」がすべてなのか?
「そもそも、なぜ文字ではなく映像で作るかっていうと、役者の発するセリフだけじゃない、醸し出された雰囲気や、言語化しにくいメッセージを表現に込めたいからですよ。当然、観客によって受け取りかたはさまざまになるけど、それでいいんです。受け手には“作品を誤読する自由”があるんだから。誤読の自由度が高ければ高いほど、作品の奥が深い。……というのは、僕の意見だけど」(真木氏)
しかし、セリフで全部説明してほしいタイプの観客は、誤読の自由を満喫しようとはしない。その自由度を「奥の深さ」とは受け取ってくれない。不親切だと怒り、不快感をあらわにする。
「全員が全員ではないけれど、やっぱり観客が幼稚になってきてるんだと思う。楽なほうへ、楽なほうへ。全世界的な傾向だよね。全部説明してもらって、はっきりさせたい。自分の頭が悪いことを認めたくない。だから、理解できないと作品のせいにする」(真木氏)