[go: up one dir, main page]
More Web Proxy on the site http://driver.im/


廃校危機だった女子校を倍率10倍の「人気校」に変えた驚きの改革

奇跡は、「目の前の一歩」から生まれた
漆 紫穂子 プロフィール

それまで私は、「品川女子」に勤めるようにと言われたことは一度もありません。

誰に乞われたわけでもなく、経験の浅い自分が役に立つはずもないのですが、心が揺れました。たとえ非力でも、みんなと苦労を共にするべきではないかと。

一方、自分個人のことを考えれば、小さいころからの夢だった教員になったばかり。働き甲斐のある学校に勤務することができ、しかも、担任しているクラスもあと1年で中等部を卒業というところまで来ていました。

どちらを選ぶべきか、心は振り子のように揺れました。

「自分はどういう人間なのか」「何のために生まれてきたのか」
を突き詰めて考えました。

そして最終的には、消去法で決めたのです。どちらが後悔しないだろうかと。

「みんなが大変なとき、自分が何もせず、この学校が本当につぶれてしまったら、私はどんな気持ちになるんだろう? 自分だけが幸せでも、それは本当の幸せではない。きっと後悔するのではないか」

そう思い、勤めていた学校を辞め、本校に来る決断をしたのです。

1929年から北品川のこの場所にあり、地元にも愛されている。

そのときは、自分で選んだ道だから、こちらで良かったと思えるような人生にしようと、過去を振り返らないようにしていました。

しかし、年を経て、経験を積むほどに強くなるのは、担任をしていた子どもたちや、育ててもらって恩返しをする間もなく退職した前任校への思いです。

「どちらに決めても、後悔はする」

決断とは、一つを選び、一つを断つこと。選ばなかったもう一つの大切なものに対する思いは残ります。このことを知っていることで、決断ができるということもあると思います。

 

八方ふさがりな現実

人生を変える決断をし、絶対にこの学校をつぶさないという強い思いで本校に赴任した私ですが、実際は、文学部を出て3年間の教員経験しかなく、経営者どころか教員としても一人前とは言いがたい状態でした。

ただ、それまで外側から本校を見ていたため、内部にいては気づかない改善点も見えていたつもりでした。

当時、1980年代から90年の前半は公立の校内暴力のようなものが話題となって、私立の中高一貫校も注目され始めた時期でした。私は私立の中高一貫校から転任してきてその良さもみていましたから、私学の存在意義を高めるためには、中高一貫教育しかないと思っていました。

しかし本校の中学と高校は、中学が1学年1クラス、高校は10クラスというアンバランスな編成でした。中等部は私が入った時、30人いませんでした。

また、高等部もかなり厳しい状態でした。本校は進学校ではなく、高校を卒業したらきちんと就職させるための学校であり、公立中学をまわって推薦で入学してくれる生徒を集める募集方法でした。ちょうど女子の大学進学率もあがっている時代、私立学校の役割というものが変わりつつあるときに、本校は乗り遅れていたのです。

関連記事