80系とは、
第二次世界大戦後、国内も次第に復興し始めると共に日本国内の主要幹線では既に捌ききれないほど需要が増え、一刻も早い輸送力の強化が求められていた。
しかし、それまで長距離運用においては客車列車が主体であり、その加減速性能の悪さと、終端駅での機関車の付け替えの手間などが問題となり、過密線区での増発は極めて困難であった。そこで加減速性能に優れ、終端駅での機関車の付け替えを必要としない電車方式の長距離電車を開発する計画を立てた。但し、実際には当時の国鉄を指揮していたCTS(GHQ民間運輸局)は、鉄道は既に斜陽産業であるとの見方が強かった為、この多額の予算を必要とする計画に懐疑的であった。その為、開発予算を承認させる為に様々な策略を用いる等、開発にこぎ着けるまでにも様々な困難があった。
昭和25年、遂に80系が完成、当時の電車にはなかった客車と全く同じデッキ付き二つ扉構造、それまではこげ茶色ばかりだった首都圏の国電としては初めてオレンジと緑のツートンカラーを採用、「湘南色」と呼ばれ当時としては斬新なカラーリングで登場した。このオレンジと緑のカラーリングは、後に現れる後継車両、111系、113系、115系、153系、165系、211系等の国鉄形車両はもちろん、E231系やE233系といったJR形車両にも継承されている。
最初は東海道本線の東京~沼津間に投入され、「湘南電車」の愛称で親しまれる事となった。その後は電化区間の拡大に伴い東海道本線の準急列車の運用にも入り、更には他線区でも活躍するようになった。
しかし、1970年代後半になると、113系や165系といった新性能車両にも余裕が出来、それと共に次第に数を減らしていった。しかしながら昭和52年頃までは首都圏でも目撃されていた。
昭和58年3月1日、飯田線の運用を最後に全車引退した。現在、クハ86形とモハ80形のトップナンバー各1両ずつ合計2両が、京都鉄道博物館に保存されている。但し、クハ86形は最初期車の為、前面は三つ窓である。最も多かった二つ窓の車両は全て解体された為、現存しない。
ニコニコ動画においては、鉄道模型の80系の動画が上がっているほか、25年以上前に撮影された映像などに映っている事がある。
掲示板
急上昇ワード改
最終更新:2025/01/28(火) 17:00
最終更新:2025/01/28(火) 16:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。