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高橋信二(たかはし しんじ、1978年7月7日-)とは、岡山県出身の元プロ野球選手(一塁手・捕手)である。現在は北海道日本ハムファイターズのコーチを務める。
北海道日本ハムファイターズ #78 一軍打撃コーチ |
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高橋信二 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 岡山県津山市 |
生年月日 | 1978年8月7日 |
身長 体重 |
183cm 87kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 捕手、一塁手 |
プロ入り | 1996年ドラフト7位 |
引退 | 2015年 |
経歴 | |
選手歴
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プロ野球選手テンプレート |
1996年のドラフト7位で津山工業高校から日本ハムファイターズに入団。背番号は62。
2004年には26本塁打を記録し、強打の捕手として鳴らした。
2005年に故障で長期離脱すると、それ以降守備型捕手である鶴岡慎也との併用が多くなり、売りの打撃でも2004年ほどのパワーは見せられず、中距離打者の成績に落ち着くようになる。
2007年は捕手としてマスクを被った日本シリーズの一戦で投手陣がメッタ打ちに遭い、解説にリードを酷評されたこともあった。
2008年に梨田昌孝が監督に就任すると、正捕手を守備型の鶴岡に固定したい梨田監督の意向と、フェルナンド・セギノールの退団による強打者不在もあって、一塁手での起用が増える。この年から背番号は2となった。
2009年は膝の怪我と大野奨太の加入もあって、ほぼシーズンを通して一塁手として出場、中盤からは4番に固定された。本塁打は僅か8本だったが、打率.309、75打点を挙げたほか7犠打を記録し、「繋ぐ4番」としてリーグ優勝に大きく貢献。ゴールデングラブ賞と一塁手のベストナインを受賞した。
2010年は開幕から不振に陥り、4番を小谷野栄一に奪われる。7月1日の埼玉西武ライオンズ戦で藤田太陽から頭部死球を受けて内耳震盪を起こすと、その影響で体調不良に陥り、そのままシーズン終了まで戦線離脱した。
2011年は一塁手のマイカ・ホフパワーが加入、陽岱鋼と中田翔の台頭で稲葉篤紀が指名打者に回った関係で一軍からはじき出される格好となり、出場機会が無いまま、5月9日に読売ジャイアンツへ金銭トレードで移籍。背番号は31。右の代打として期待されたが満足のいく活躍は見せられず、オフに自ら自由契約を志願し巨人を退団した。
2012年、オリックス・バファローズに移籍。背番号は6となった。5番・指名打者で開幕スタメンに抜擢されたが結果を残せず、その後は一軍と二軍の往復になり、28試合の出場に終わった。
2013年は5月に一軍昇格。主に代打か指名打者で起用され、6月28日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦では則本昂大から代打でサヨナラ打を放つなどの活躍もあったが、8月終わりに二軍落ち。51試合で打率.219、1本塁打、9打点に終わった。
2014年は10試合に終わり、戦力外通告を受けた。その後12球団合同トライアウトを受けた末に、信濃グランセローズに選手兼任総合コーチとして入団した。背番号8。
2015年は選手としてわずか3試合の出場に留まったが、シーズン途中に監督代行を務めた。
2015年オフに北海道日本ハムファイターズの一軍捕手コーチ兼打撃コーチ補佐に就任した。2018年からは二軍バッテリーコーチ兼打撃コーチ補佐。2021年からは一軍打撃コーチを務める。
捕手としての出場へのこだわりから、日本ハムでは一塁での出場がほとんどとなってからも登録は捕手のままだったが、巨人移籍以降は内野手登録となっていた。
球団 | レス | No | プレイヤー |
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日本ハム | 応援歌のピコカキコ一覧#115 | 8699 | |
オリックス | 応援歌のピコカキコ一覧#120 | 8707 |
通算:15年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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NPB | 917 | 3159 | 2883 | 310 | 768 | 131 | 6 | 82 | 416 | 22 | 8 | 31 | 183 | 36 | 545 | 64 | .266 | .316 |
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